
「楽しく働く」をモットーに最速で支店長へ。直感を信じ、女性のキャリアモデルを体現。
誰もが反対した観光事業を
先代社長との二人三脚で成功へ導く
成田ゆめ牧場が評価されるのは
酪農事業があってこそ。
今後は酪農事業の発展にも注力する
株式会社秋葉牧場ホールディングス(成田ゆめ牧場)
代表取締役会長
秋葉 良子 / Yoshiko Akiba
青々とした牧草地が広がる千葉県成田市の『成田ゆめ牧場』。乳牛をはじめ、ヤギやヒツジ、馬などの動物がいる観光牧場で、動物とふれあったり、牧場内の遊具で遊んだりできる。ショップやレストラン、キャンプ場も併設し、大人も子供も一緒に楽しめる観光牧場となっている。この成田ゆめ牧場を経営するのは、株式会社秋葉牧場(成田ゆめ牧場)。1887年に搾乳専業牧場として創業し、創業100周年を迎えた1987年に一酪農家から観光牧場も手がける会社として生まれ変わった。そして、新設された観光牧場が成田ゆめ牧場だ。秋葉牧場(成田ゆめ牧場)代表取締役会長を務める秋葉良子は、成田ゆめ牧場のポリシーと魅力をこう語る。
「基礎はあくまで酪農にあります。ですから、ゆめ牧場の主役は『自然』です。動物の手触りや鳴き声、匂い、足の裏に感じる大地の感触、四季折々に咲く花々、木々や牧草の間を吹き抜ける風……。私たちはこうした人間の本能や五感に訴えかける自然の中で自社生産の牛乳や乳製品をお客様に直に届けることを大切にしてきました。ビルやアスファルトを通り抜けてくる風とここで感じる風は、言葉では言い表せない違いがあります。強い刺激で疲れた心身をここで休め、開放してほしいですね」
「自然」を大切にする秋葉牧場(成田ゆめ牧場)には、譲れないこだわりがある。それは、牧場内に電気系の乗り物やアトラクションを設置しないこと。人工的につくられた物ではなく、自然をより感じてほしいと考えているからこそだ。事実、来場者自身が動かしたり力を加えて遊んだりする遊具がほとんど。このように、直に感じられる自然の良さ、都会にはない心地よさや安らぎ、それこそが秋葉牧場の財産なのだ。
良子は、5代目社長・秋葉博行の妻である。大学卒業後は就職せず、稽古事に通うなど実家で何不自由なく暮らし、結婚相手が見つかるのを待つ日々を過ごしていた。一見恵まれた環境だったが、ある日、良子は耐えがたいほどの空虚な気持ちにとらわれた。
「家と稽古場を往復するだけの生活になってしまい、『自分は世の中に必要とされていないのでは』という気持ちになりました。自由は、日々果たすべき役割があってこそ初めて喜べるもの。人間は誰かから必要とされる存在でなければ生きていけない。『いつか結婚したら、相手にとって絶対に必要な人間になろう』と強く思うようになりました」
その後、博行と出会い、良子は秋葉家に嫁ぐことに。また、結婚を機に秋葉牧場(成田ゆめ牧場)に入社し、社員として働くようになった。牧場はすでに会社組織となっており、良子が酪農の現場仕事をおこなうことはなかったが、独身寮に暮らす社員の食事を一日三食10人分、毎日欠かさず作ることになる。当時、子供もいたため、子育てをしながらの食事づくりは体力的にきついものだったが、社員たちと年齢が近い良子は姉のように世話を焼いた。
「あるとき、『今日は味が違う』と言われたことがありました。『そんなことないわよ。いつもと同じよ』と言っても信じてもらえない。よくよく考えると、その日はとても忙しく、自分では同じように作ったつもりでも『どこか上の空で心がこもっていなかったのかもしれない』と気付きました。どんな仕事でも心を込め、愛情をもって取り組むのが大切なのだ、と学んだこの出来事は今でも印象に残っていますね」
どんなことでも前向きに明るく向き合う良子。最大の挑戦は夫とともに取り組んだ成田ゆめ牧場(成田ゆめ牧場)の開設だったと振り返る。きっかけは、酪農業界の不況だった。海外から輸入していた飼料が高騰する一方で、乳価は原価を割るほどに下落。大手乳業メーカーが牛乳を全量買い取ってくれても、飼料代を差し引くと利益が残らない。社員に給料を払うのにも苦労した時期があった。当時は博行の父が社長、博行が第一牧場の牧場長を務めていた。父に赤字を補填してもらう話もあったが、博行はそれを良しとしなかった。
「『親にいちいち補填してもらうようでは、事業とはいえない。第一、牧場で出た赤字は自分たちで何とかしなければ』と主人が言いまして。それなら何か始めないといけないね、と二人で新規事業を考え始めたんです。それからは、子供を預けて事業のヒントを求めて全国を回りました。日本だけでなく、アメリカへも視察に行きましたね」
当時の秋葉牧場(成田ゆめ牧場)は、100周年を目前に控えた時期。酪農に誇りを持っていた博行は、何としても酪農事業を継続させねばとの使命感に駆られていた。どんなに苦しくとも酪農を辞める選択肢はあり得ない。となると、酪農を続けながらできる事業を考える必要がある。酪農は動物相手で、一日たりとも世話を怠るわけにはいかない。別の場所で事業を立ち上げると気持ちが分散して経営が中途半端になり、共倒れになる恐れもある。何とか酪農と同じ場所でできる事業を─。そう考えてたどり着いたのが「観光牧場」のアイデアだった。観光牧場として楽しさを前面に出したいと考え、『成田ゆめ牧場』と名付けた。
ところが、観光牧場の開設には周りの人間からことごとく反対された。博行の両親も反対し、東京のコンサルティング会社からも「絶対にやめた方がいい」と言われた。牧場前の道路で博行と構想を練っているときに通りがかった年配の男性から「こんなところには誰も来やしないよ」と言われたこともある。しかし、博行と良子はあきらめなかった。
「今思えば根拠のない自信そのものなのですが、主人と私はやれると思っていたんです。とにかく第一歩を踏み出そうと電話線を引いたり、建物を改修したりすることから始めました。経営者の方々から、開業時は苦労したでしょうと言われますが、楽しさのほうが大きかったです。財務面で苦しかったのは確かですが、自分たちで小さなことをこつこつと積み上げ広げていく面白さのほうが上回っていました」
新築もしたが、既存の建物も活かした。以前、牛舎だった建物はバーベキュー用の施設としてリノベーション。他にも、アイスクリームやジェラートを作れる機械を導入し、自社生産の牛乳を原料に商品の製造を開始。スタッフには地元の主婦をパートで採用した。
そして1987年、創業100周年の年に博行と良子は成田ゆめ牧場のオープンにこぎつける。開業日は夏休み初日の7月19日を選んだ。最初に来たお客様は、白い割烹着を着けた自転車の前と後ろに子供を乗せた地元のお母さんだった。「このときの光景は今でも覚えている、涙が出るほど嬉しかった」と良子は振り返る。8月のお盆の頃にはお客様が次から次へと訪れ、その対応にスタッフが足りなくなるほどだった。
「『秋葉家の中興の祖になりたい』。30代の頃、主人はそう言っていました。それだけ秋葉家の歴史にプライドを持っており、自分の代でもっと良くしたいという思いの強い人でしたね。私も若く、酪農家の苦労を知らなかったので、無邪気に盛り上げていました。主人は2015年にガンで亡くなりましたが、『人生、本当に楽しかった。ゆめ牧場を興してよかった』と亡くなる前に言ってくれて。ここまで頑張ってきて良かったと思います」
「牛は必ず隣に置いておけ。酪農は手放すな」。それが博行の遺言だった。酪農事業の赤字を補填しようと始めた観光事業だったが、その基礎はあくまで「酪農」であることを忘れず、今後は酪農事業を一層成長させていきたい、と良子は語る。外国人の集客も見込める観光事業が目立つ存在であるのに対し、酪農事業は地味な存在だ。しかし、酪農事業がなければ、成田ゆめ牧場は誕生しておらず、支持されることもなかった。6次産業を成り立たせることができるのも、牛を飼い自社で搾った牛乳で商品を製造販売する「本物の牧場」だからこそ。そのため、今後は観光事業だけでなく酪農事業の成長も目指している。
「牛は絶対に手放しません。酪農は、一度廃業してしまうと再度立ち上げるのに大変な労力と時間がかかります。乳牛は産まれてから育成をして種付けされ、子牛を産んで初めて牛乳を搾れるのです。雌牛ならお乳が出るわけではないんですね。ですから、2年は何の利益も生み出さない時期が続くのです。秋葉牧場(成田ゆめ牧場)が130年以上継続してきたからこそ今の私たちがある。そう考えると、私のやるべきことは何とか酪農事業を伸ばして次の代に渡すこと。それに尽きます」
良子には成し遂げたい夢がある。それは海外に店を出すことだ。スイーツブランド『モーマム』の立ち上げ時に、「いつかニューヨークに店を出したいね」とカフェ好きの社員と盛り上がったことがあった。現時点ではまだ難しいが、思い続け、言い続けることで夢は実現に近づくと考えているため、「いつか海外に出店しよう」と今も社員に言い続けている。夫亡き後、良子が6代目社長となり経営の舵取りをしてきたが、2018年、息子・秀威に社長職をバトンタッチした。国内外での経験を活かして社内改革を進める秀威を、今後は良子が陰になり日向になり支えていく。
「会社は何より継続が大事です。先代までの人々が困難を乗り越えて酪農を続けてきたからこそ、今の私たちがお金では買えない130余年の歴史を手に入れることができているわけですから。世の中はいいときもあれば悪いときもあります。大変な時期には縮小すればいいし、いいときには大きくすればいいんです。時代や環境に合わせて柔軟に考え、酪農を軸に事業を継続していってほしいと願っています」
5代目社長で、夫でもある秋葉博行さんと二人三脚でゆめ牧場をつくりあげてきた良子さん。周囲の反対やゼロからつくりあげていく苦悩もあったと察しますが、「むしろ楽しかった」と当時を振り返る姿は、大変勇ましく見えました。そして、酪農に力を入れ、更なる飛躍を目指していることから、秋葉牧場(成田ゆめ牧場)の、そしてゆめ牧場の今後がいっそう楽しみになりました。
1949年群馬県出身。1971年フェリス女学院大学卒業後、
秋葉牧場5代目の秋葉博行と結婚。
1976年同社入社。1987年に「成田ゆめ牧場」を設立。
2015年同社代表取締役社長に就任。2018年7月より現職。
インタビュー・編集:垣畑光哉、西野愛菜、横山瑠美/撮影:新見和美
「楽しく働く」をモットーに最速で支店長へ。直感を信じ、女性のキャリアモデルを体現。
「人」「食」「社会貢献」を起点にビジネス総合力を身に付け、即戦力として活躍
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