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ストーリー代表・CEO

頼まれごとは、まずやってみる

代表_ブラス

株式会社ブラス

代表取締役社長
河合 達明 / Tatsuaki Kawai

生来〝仕切り屋〟の自分にとっての天職との出会い

「河合、結婚式の司会をしてくれないかな?」「いいよ」。それまで結婚式に出たこともないのに、二つ返事で引き受けてしまう。気がいいのか、おっちょこちょいなのか、話し好きで〝仕切り屋〞のうえに、頼まれると断れない。この性格が未来を切り拓く原動力になろうとは、このときは知る由もありませんでした。

高校を卒業した私の夢は、なんとシンガーソングライター。大学進学の道を捨て、「東京で一旗あげてやる」とばかりに、相方とギターを抱えて上京しました。けれど、音楽の才能がまるでないことを自ら悟り、あえなく愛知県の実家へ出戻り。水泳のインストラクターや、軽トラックを買い込んで配送業をして小遣い稼ぎをする、いまでいうフリーターのような生活を過ごしました。そのうちに、地元の友だちが大学を卒業して就職するようになり、さすがに焦りを感じた私は22歳でイベント制作会社へ就職。「なんとなく恰好よさそう」という不純な動機もありました。

そこは、大手広告代理店の下請けとして、イベントの企画から実施までを請け負う小さな会社でした。実際に働き始めると、この仕事がすごく面白い。生来〝仕切り屋〞の私にとって、イベントの運営はまさに天職でした。私の担当は、電話帳ほどの厚さになる「実施運営マニュアル」をつくることで、当時はワープロとコピー機を使った手作業です。細かい面倒な仕事ですが、おかげでイベントの運営ノウハウがすっかり身につきました。

「河合が本番を仕切ると、本当にうまくいくなあ」。大手代理店からの評判もよく、仕事は順調だったのですが、問題がひとつ。超ワンマンだった社長にかわいがられながらも少しずつ反発心が芽生え、次第に居づらくなったのです。当時の私は、結婚してすでに2人の子どももいたのですが、3年で退職することになりました。

 

人間関係が命の仕事環境で学んだこと

新しい仕事を探し始めたものの、いま思えば、この頃が人生のどん底だったように思います。将来的にイベント会社での独立を思い描いたり別の道を探したりと、どちらにしても「これで一生食っていく」という決心がつかない。人から与えられたことは素直にこなしてはいても、自分は何がしたいのかが見えず、生き方がブレまくっている本当にダメな男でした。

それでも仕事を探さなければ、家族を食べさせてはいけません。話し好きな性格は自覚していたので、営業の仕事をしてみようと考え、地元では知られている食品メーカーの面接に臨みました。フリーターの期間が長く、職も転々としているうえに営業経験ゼロ。案の定、一度は不合格となるのですが、ほどなく電話がかかってきました。「まだお決まりでなければ、うちへ来ませんか」「行きます!」。辞退者が出たための繰上げ採用でした。

歴史のあるこの会社は、前職と違い、人間関係が穏やかで、実に居心地がいい。営業でも仕切り屋の本領を大いに発揮。懇意にしていただいていた取引先に「河合、野球やろうよ」と誘われれば、「やります!」と、チームづくりから対戦相手探し、球場予約、審判手配まで手際よく仕切り倒したものです。人間関係が命の仕事環境でしたから、周りを巻き込むのが得意な私は、営業成績もトップクラスでした。

 

結婚式は盛り上がらなくても当たり前か

その頃から、平日は食品メーカーの営業として働きながら、週末は結婚式の司会をやっ ていました。21歳で初めて司会を引き受けて以来、「河合に頼むと、結婚式が盛り上が る」と評判になり、紹介の輪が広がって、出番が途切れることはありませんでした。私は20代後半で、周りが結婚適齢期だったことも奏功したのでしょう。あるとき、司会者の派遣事務所から「プロでやりませんか」とスカウトされたのです。もちろん、「やります!」 と即答。発声練習や滑舌、台本づくりなどの基本レッスンも初めて受けさせてもらい、技を磨きました。

ところが、プロとして意気揚々と仕事を始めてみると、大きな壁が待ち受けていました。 私の司会は当時からアドリブが多く、演出のために敢えてくだけた言葉遣いも交えます。 それは参列者や新郎新婦からは「こんな楽しい結婚式は初めて」「いい式だった」と大好評なのですが、式場のマネージャーからは大ヒンシュク。その頃の結婚式といえば、型通りの堅い言葉遣いが良しとされ、また、1日に何十組もの式を執り行う大型式場では、私のアドリブで式が延びることなど、絶対に許されなかったのです。結婚式は盛り上がらなくても当たり前。それがどうしても腑に落ちない私は、一人で突っ張っていました。

自分の理想の司会をやりたい

実は、私が現在も続けている、アドリブだらけの司会スタイルは、自分の結婚式がきっかけでした。当時、イベント会社にいたご縁で、司会を地元テレビ局の有名アナウンサーにしていただいたのですが、私は新郎席から見ていて、ビックリしてしまいました。所せましと会場中を自由に歩き回り、参列者に相手かまわずマイクを向けては、面白おかしくみんなを笑わせる司会進行。当時の常識では司会者は式台から動くことはありません。笑 いのあとには、お約束の泣かせる演出もばっちり決まった、完璧な司会に衝撃を受けた私 は、これを自分のスタイルにしようと決意したのです。

私が衝撃を受けるくらいですから、そのスタイルは型破りで、ものすごく喜んで認めてくれる人はいても、伝統と格式を重んじる業界からは異端視されていました。自分の理想 の司会をやりたい。その想いが募り、この道でやっていこうと決意したのは30歳のときでした。初めて結婚式の司会を任されてから9年。ずいぶん回り道をしたものです。

そして司会事務所ブラスを設立。ある意味、異端が売りの司会事務所ですから、初めは 仕事を取るのに苦労しましたが、その頃から流行り始めたレストランウェディングから徐々に声が掛かるようになっていきます。すると今度は、結婚式場と比べ見劣りする、レ ストランの音響や動線といった設備面が気になる。特にBGMは演出上の要。肝心なときに音が出ないようなことがあれば、万事休すなのです。

いつしか司会だけでは満足できず、「自分が全部取り仕切ったほうが、断然いい結婚式ができる。もっと楽しい結婚式を提供したい」と考えるようになっていました。ちょうど 同じ時期に東京で、豪華なゲストハウスを使ったハウスウェディングが評判になりつつありました。時代は変わり始めていたのです。


自分と会社の成長がリンクするベンチャーの醍醐味

「 自分と会社の成長がリンクするベンチャーの醍醐味 自分のハコを持ちたい」――当時の私を知る人からは、何かに取り憑かれたみたいに、 そのことばかり考えていた、といわれます。とはいえ、会場を新築するようなお金はありません。一人で地元の改装物件を探し回っているとき、ふと使われていない住宅展示場に 目が留まりました。モダンで大きな一軒家が2棟、広い駐車場もありました。「これなら いける」。こうして、住宅展示場を改装した1号店が誕生することになりました。

1号店が軌道に乗ると、すぐ2号店の建設に着手しました。手狭だった1号店を省みて、2号店は少なくとも倍の規模にしたい。人も倍に増やさなければ運営できません。経験者の採用も考えましたが、敢えてこの業界で働いたことのない新卒を採ることに決めました。ブラスが手掛けるのは、それまでの伝統と格式にがんじがらめの結婚式業界ではありえない、まったく新しいハウスウェディングです。だから、業界の常識にとらわれない、結婚式が大好きな若者を、一から教えて育てていきたい、と思ったのです。

2号店のスタートに際して採用した新卒の10人は、いまではブラスの中核メンバーとして活躍しています。私は彼ら・彼女らを見ていて羨ましく思うことがあります。〝同じ釜の飯を食う〞というと古臭いかもしれませんが、創業間もない時期に入社し、会社組織やそれまでにない新しいビジネスモデルを創ることに、朝から晩まで共に悪戦苦闘した仲間がいる。当時は教えられる人もいません。自分たちの成長が、会社の成長そのものでした。だからこそ、仲間意識の強さはもちろん、自分たちが育てた、自分たちの会社という実感 や誇りを持っている。これこそが、アーリーベンチャーでしか経験できない醍醐味です。

いま社長という立場にいることは、奇跡のように思います。もし友人から司会を頼まれ なかったら、もしイベント会社で運営ノウハウを学ばなかったら、もしプロの司会として スカウトされなかったら……。すべては周りの人にご縁をいただき、愚直にひとつひとつ 取り組んだ結果だと思います。この経験から伝えられることがあるとすれば、そのときはピンと来ない頼まれごとや仕事のオファーでも、ありがたくやってみるということ。それが新しい道の入り口かもしれないのです。

『笑いと涙を届ける「結婚式の司会」という仕事 新郎新婦にとって最高の一日を創るプロフェッショナルたち』幻冬舎


『ウエディングプランナーになりたいきみへ ―笑いと涙の結婚式―』幻冬舎


『ウェディングプランナーになりたいきみへ―現役プランナー11人のリアルストーリー』幻冬舎メディアコンサルティング


 

リスナーの目線

「河合くん、やらない?」という誘いに「やります!」と率直に、素直に応じてきたからこそ、河合社長のいまがあります。それは、小器用に、そつなく生きがちな若者にこそ伝えたい、流れに身を任せつつ、自分の未来を築く生き方。少し前の『イエスマン〝YES〟は人生のパスワード』という映画を思い出すエピソードの数々に、温かい勇気をもらいました。

インタビュー・編集/垣畑光哉・青木典子・森晶

Profile

1966年愛知県生まれ。21歳のとき、友人から結婚式の司会の依頼を受け、人生初の司会者となる。以後会社員として働きながら、友人知人からの依頼を受け司会を続ける。

1998年に独立。司会事務所「有限会社ブラス」を立ち上げる。他会場への派遣の司会としての限界を感じ、2003年、愛知県一宮市の住宅展示場を「ゲストハウス」としてリニューアルし、1号店「ルージュ:ブラン」をオープンさせる。現在は愛知・岐阜・三重・静岡・大阪に18店舗を展開。

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