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ストーリー代表・CEO

アート×体験「“0→1”で創造する価値」を提供

最新ストーリー代表_株式会社MORIYA

「媒介者」「器」として存在し、
ご縁ある方の幸福度に貢献する

坂東 工 / Takumi Bando
株式会社MORIYA
CEO / Artist / Actor

小学生で独り暮らし。あらゆる手段で生活費を稼ぐ

「僕にとって大切なのは『衝動』と『実感』なんです。突き動かされるような衝動に駆られた時には、目的や意図、概念といったものを手放して、考える前に始めている。そんな無目的な行動を繰り返してきて、今のスタイルがあります」

俳優、MC、ナレーター、アーティスト、起業家。

坂東工は多彩な顔を持つ。一般に広く知られているのは、2017年にスタートしたリアリティ番組「バチェラー・ジャパン」「バチェロレッテ・ジャパン」の司会としての顔だ。俳優としては2006年にハリウッドでデビュー。クリント・イーストウッド監督作「硫黄島からの手紙」では、メインキャラクターの一人、谷田大尉役を演じた。

アーティストとしては、革や石を自ら手に入れ、ゼロから手がける作品を制作。映画「真田十勇士」で衣装を手がけ、アジアンフィルムアワードの衣装美術賞にノミネートされたほか、NHK大河ドラマ「西郷どん」では渡辺謙(島津斉彬役)の衣装制作を担当した実績を持つ。近年は、セッション形式で人・企業・コミュニティの持つ磁場を受け取り、身体から流れ出るように色彩を描く「オーラアート」も人気を博している。

一方、会社を立ち上げ、俳優、マルチメディアコンテンツの制作など、多様な企画開発やプロモーションも手がける。

こうした多岐にわたる活動から、「好奇心旺盛で、新しいことに次々とチャレンジしている人物」というイメージを抱く人も多いかもしれない。しかし実際には、さまざまな人に出会い、その都度相手から求められたことに応じるうちに能力が引き出されてきたのだと坂東は話す。

「『こんなことできる?』と聞かれて、『やってみましょう!』と始めることが多いです。芸能にしてもアートにしても、ご依頼に応えて喜んでいただきたい。ギフトをお届けするような気持ちで、『最善のものはなんだろう』と心を砕き、概念を払ってゼロから創造するような取り組みをしています。無軌道・無目的な僕が今こうして存在できているのは、出会った人々に支えられてきたからこそ。だから、僕と関わってくださる方が笑顔になってくれたら、という気持ちを大切にしています。言い表すとすれば『恩送り』という言葉に近いのかもしれません」

坂東の人生の波乱は、幼少期から始まった。5歳頃までは東京・渋谷で育ち、その後は住居を転々とした。10歳の頃、母・兄・姉と4人で夜逃げし、父から離別。その後、兄が大学進学で家を出て、姉はアメリカへ留学、母は故郷の大阪に帰って起業すると、坂東は小学4年生にして独り暮らしとなった。

月3万円の生活費が銀行口座に振り込まれたが、ATMで警備員に怪しまれ、お金を引き出せない。親の知人を頼り、新聞配達、八百屋の手伝い、皿洗いなど、あらゆる手を使って生活費を稼いだ。この頃に「何でもやってみる」スタンスの素地が培われた。

やがて芸能の仕事に興味を持ち、大学は芸術学部演劇学科を選択。しかし、授業にはほとんど出ず、アルバイトに明け暮れた。

現在につながる転機となったのは、19歳の頃に訪れたニューヨークでの体験だ。小劇場でロングランのミュージカル「ファンタスティックス」を観た時、そのエネルギーに圧倒され、嗚咽するほどの衝撃を受けた。「この街はすごい」。大学卒業後、磁場に引き寄せられるようにニューヨークへと渡った。

ニューヨークでは、「ロード・ノベル(旅の小説)を書きたい」と漠然と思いつつ、現地の日本人コミュニティで日本人と遊ぶだけの日々を過ごしていた。しかし、半年ほど経った頃、1人の女性をきっかけにその生活が変わることになる。

「命を燃やす」ような生き方の始まり

坂東は現地でダンススクールに通う日本人女性と付き合っていた。ある日、「彼女のダンスを見てみよう」と思い立ち、スクールの窓からスタジオを覗き込んだ。

「身長175cm、体重45kgほどの細身の彼女が、すごくパワフルに踊っていた。それはもう、命を燃やすかのように。思わず持っていたボトルを落とすほど感動して、『あれ、俺、何やってんだろう』と目が覚めました。もっとちゃんと人生を生きなければならない、と思ったんです」

坂東は旅に出る計画を立てた。彼女も一緒に行くことになり、車と2人分の寝袋を準備。ところが旅立ちの前日、彼女は突然「日本に帰る」と告げる。坂東は1人で旅に出た。

旅先ではネイティブアメリカンたちと生活を共にし、狩猟や石の採掘に夢中になった。結局、旅行記を1行も書かないままサンフランシスコへ流れ着き、1年半の旅を終える。

彼女への想いはまだ残っていた。携帯電話が普及していない時代。公衆電話から彼女の実家に電話をすると祖母が出た。そこで彼女が亡くなったことを知らされた。

その時、彼女が長く病気を患っていたことを初めて知ったのだという。旅への同行をとりやめたのは、坂東の夢を壊したくなかったからなのか……今となっては分からない。

受話器を置き、泊まっていたモーテルの部屋へ戻ると、旅先で収集した革や石が入ったダンボール5箱が目に入った。その瞬間、絶望感が押し寄せ、ベッドから動けなくなった。そのまま1週間、宿のスタッフの助けで風呂に入り、食事をとり、ようやく正気に戻って外に出ると、掲示板に貼られていた演劇学校の生徒募集広告が目に留まった。

「とにかく身体を動かさなければならない。自分を忘れるくらいに何かをやらなければダメになる――そんな衝動にかられ、演劇学校に通い始めました」

これが「俳優」の道への第一歩となった。1日のほとんどを英語と演技の勉強に費やし、名門の演劇学校を首席で卒業。講師から贈られた「君の英語は80%しか分からないが、心は200%伝わる。技術には走るな」というメッセージが今も耳に残る。「たぶん、この時の教えを自分はずっと守り続けている」と、坂東は言う。

ニューヨークに戻って俳優活動を始めると、アジア人キャストのオーディションで連戦連勝。しかし彼女のダンスを見た時の、雷に打たれたような感動は生み出せなかった。

そこで坂東は、昔、空手で鍛えた身体能力を活かし、ダンスカンパニーを立ち上げた。初舞台は教会。アフリカの打楽器や和太鼓の生演奏をバックに7分間のパフォーマンスを終えた時、1,000人ほどの観客のスタンディングオベーションが起こった。しかし、坂東にはその瞬間の記憶がないという。

「ステージでの7分間、自分が何をしたのかまったく覚えていないんです。ただずっと、照明の奥にいる彼女と会話をしていた。楽屋に戻って気絶して、30分間ほど意識が戻らなかった。いわゆる『ゾーンに入る』という状態だったのでしょう。これくらい心を燃やしていれば、彼女は僕の中でずっと生き続けるのかもしれない、と思いました」

自らのアート作品に覚えた感覚「僕の描いたものではない……」

その後、幅広い芸能活動を行うが、俳優として危機感を覚えた出来事があった。映画「硫黄島からの手紙」の撮影中のことだ。クリント・イーストウッド監督の方針は、リハーサルをしない「ワンテイク撮影」。坂東は陸軍大尉役として、拳銃での自決シーンに臨んだ。ゾーンに入り、彼女の姿も含めたさまざまな情景が頭を巡った。拳銃の引き金を引いた瞬間には「命の糸がぷつっと切れた音を聞いた」という。

そこから5年間、言語障害が続いた。日本に帰国し、映画やドラマに出演するものの、セリフをうまく話せない。徐々に仕事を失い、自暴自棄に近い数年間を過ごす。

新たな転機は33歳の時。ふらりと入った中目黒のセレクトショップで、オーナーから声をかけられた。オーナーは坂東が身に着けていた自作の革の小物に目を留め、「私にも作ってほしい」と依頼した。その後、百貨店の期間限定ショップへの出品、個展の開催など、提案を受けるがままに「アーティスト」としての活動を開始。個展前の1カ月半は不眠不休で作品制作に没頭し、体重が15kg落ちた。そして制作を終えた時、坂東は今までにない感覚にとらわれる。

「出来上がった作品を見て、『これは……ここに現れたものは僕が作ったものではない』と思ったんです。“客観視の視座”が生まれた瞬間でした。『誰かが僕の身体を使って作っているんだ』というような感覚です。思えば、戦争映画の自決シーンで自分を撃つ瞬間に見えたものも、実はほかの誰かの記憶であり、僕の身体を使って想いを昇華させたのかもしれない。僕がスピリチュアルな能力を持っているということではなく、僕の人生は誰かにとって、『自身本来の質との対峙や気付き』の通過点としてあるのだ、と感じたんです。この時から言語障害も治りました」

以来、坂東は自身を「媒介者」「器」としてエネルギーを循環させる存在であるととらえるようになった。それを象徴する活動が「オーラアート」だ。幼なじみの女性から「私の絵を描いてほしい」と頼まれたのがきっかけ。絵画の経験はなかったが、彼女から「自分を変革したい」という覚悟を感じ、承諾した。キャンバスに向かうと自然に、姿形を写すのではなく、色を塗ることで彼女から感じとるエネルギーを表現していた。描いている間、彼女は涙を流し、「自分自身を洗っているようだった」という。

「模写ではなく、ダイレクトなエネルギーを描かれるという体験を通じて自分自身と出会い、溶け合う時間を持つことが、人生の豊かさにつながるのではないか」――そう考えた坂東は、オーラアート活動を本格化。今では企業経営者からも多くの依頼が寄せられている。

「風や水の流れのように、『その時その時に触れるものを味わい、感じながら過ごす』。そんな感覚を持ち合わせてみることも、人生の彩を豊かにする一つの生き方だと思います。そうした心の豊かさをプラスしていく、開いていくような試みを、これからも時代やお客様の喜びに寄り添いながら展開していきたいと思っています」

公開日:2022年12月23日

Profile

1977年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒業後、渡米。俳優・ナレーター・アーティスト・起業家とパラレルキャリアを実践。「硫黄島からの手紙」などでハリウッド映画出演を果たした後、日本へ帰国。2011年、アーティスト活動を始動。初の個展に2,000人以上を動員。2015年、レザー作品が衣装美術家・黒澤和子の目に留まり、映画「真田十勇士」の衣装制作を依頼される。2019年、NYで個展を開催。現地メディアやNHKなどの取材を受ける。Amazon Prime配信リアリティーショー「バチェラー・ジャパン」「バチェロレッテ・ジャパン」全シリーズの司会進行。2018年12月、株式会社MORIYAを設立しCEOに就任。
俳優・司会としての活躍が知られる一方、アーティストとして、人や場所、企業(コミュニティ)の持つエネルギーを色彩で表現するアート作品「オーラアート」が注目を集めている。

Contact
東京都渋谷区桜丘町23-17 #408

Credit

インタビュー:垣畑光哉/執筆:青木典子/編集:佐々木沙枝

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