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ストーリー士業(司法系・会計系・コンサル系など)代表・CEO

「できない」と言わない社労士事務所。 自らの命がある限り人や社会に貢献し続ける

代表_経営トータルサポート

生まれ育った勝浦を拠点とする
労使問題解決のエキスパート

顧客と正面から向き合い
10名を超える社員全員で
事業をフルサポート

株式会社経営トータルサポート
代表取締役 / 人事コンサルタント
南総労務管理センター社会保険労務士法人
代表社員 / 社会保険労務士
渡邉 昌俊 / Masatoshi Watanabe

解決方法が必ずある。「できない」と言わない社労士事務所

社会保険労務士の仕事は多岐に渡る。顧問先の社員教育や就業規則の作成、労使トラブルを事前に回避するような提案、助成金申請などだ。中小企業の場合、税理士、行政書士、司法書士、弁護士、それぞれの士業が専門的に扱う仕事以外は社労士の業務となることが多いという。また、多くの社労士事務所では、1人の社労士のみで業務をしたり、奥様やパートが1~3人で幅広い仕事をこなしていたりする。そんな中、南総労務管理センター社会保険労務士法人(系列会社㈱経営トータルサポート含む)では社労士事務所としては珍しく10名もの社員を抱え、顧問先1社を2名以上が担当するといった体制をとっている。これは、「相手の立場に立って、相手の喜ぶものを、相手の喜ぶときに」という南総労務管理センター及び経営トータルサポートの代表である渡邉昌俊の信念に基づいたものだ。 

「どんな相談を持ちかけられても、絶対にできないということはないと思っているんです。無理難題に対してマイナス思考から始めてしまうと、途中で『できない理由』を探し始め、何もかもが『できない』で終わってしまいます。そうではなく、できる方法をさまざまな角度から探す。1人でできないなら、社員や提携先、今まで培ってきた幅広い人脈を活かして解決していく。その積み重ねが、お客様からの信頼につながるのだと思います」 

顧問先の社長と対話する際、渡邉が意識しているのは、お世辞を言わないこと、そして媚を売らないこと。労務管理を指導する立場として、経営者が襟を正さなければならないときは厳しいことを言うことも。媚を売って得た仕事では対等な関係は築くことはできず、本当の意味で顧問先のためにならない。お客様と目線を合わせることを意識しているのだ。

さらに、良好な関係を築くうえで大切にしているのは、話を聴く側に徹する姿勢。顧問先の社長と話すときには聴き役に回り、6~7割は相手側に話してもらう。相手の話を引き出し、距離を縮める秘訣は「相手の過去に遡る」ことだという。 

「人の脳は面白いもので、現実と想像の世界って区別できないとある本で学んだことがあるんです。なので、会話の中で一緒に過去に遡っていくと、勝手に相手の脳が以前から知り合いだったように勘違いして、親近感が抱いてくるんです。小学生の頃の話までいったら、もう仲良しですよ(笑)」 

そんな経営者の相談・解決を得意としてきた渡邉が、社労士と対面しなくても気軽に電話やメールで相談できるようにと提供しているのが、相談即回答で困りごとの7~8割が解決できるサービス『ネット顧問』(月々5,000円(税別))だ。労働基準法を中心とした疑問と労使トラブルや国からのさまざまな調査へ不安を抱くお客様に対し、渡邉率いる「できない」と言わない専門知識を持つ社員たちが、徹底的にサポートしてくれるのだ。



家族の存在を胸に、証券マンから社労士へ転身

渡邉は千葉県勝浦市に生まれ、現在に至るまで勝浦で過ごしている生粋の勝浦っ子。子どもの頃は人一倍の負けず嫌い。野球は巨人、相撲は貴乃花が大好きで、巨人や貴乃花が負けると悔しくてご飯も食べずに涙を流していたという。とにかく一番にならないと気が済まず、そこに誰よりも強いこだわりがあった。そんな渡邉の負けず嫌いな性格は、漁師をしていた父親からの影響である。「何かするなら1番を取らないといけない」という強い在り方と、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という口癖から、謙虚さを持ち続けることの大切さを教えられ、その想いは今もなお渡邉の土台となっている。 

小学3年から本格的に野球を始め、大学まで野球漬けの日々を過ごした。県立高校では主将を務め、その後野球の強豪校である国際武道大学に進学。中学時代はピッチャーをし、高校から大学2年まで野手としてプレー。200名を超える部員が所属し、熾烈なレギュラー争いの中、大学2年まではベンチ入りすらままならない状況だった。「なんとかベンチに入りたい」と闘志を燃やした渡邉は、今や南総労務管理センター及び経営トータルサポートのポリシーである「できる方法を探す」思考法でベンチ入りを目指した。 

「このまま野手でいたらベンチ入りはできない、かといってオーバースローでピッチャーになっても勝ち目はない。新たな道を模索していたとき、中学時代アンダースローで投げていた経験から、チームメイトの前で投げたところ『おまえ結構いい球投げるな』と言われたのです。当時アンダースローは珍しかったので、『これならいけるんじゃないか』と。それからはピッチャーの練習を積み重ね、練習試合でのリリーフの短いイニングながら10試合連続相手をゼロに抑えたんです。その結果、ベンチ入りメンバーに選ばれました。運も味方してくれたんだと思います」

卒業後は証券会社へ就職。実は、銀行の内定を辞退しての就職だった。銀行で野球を続けるつもりであった渡邉だが、最終面接で役員から「君は体が小さいからうちで野球するのは難しい」と言われ、「プレーも見ず、変えることができない『身長』に焦点を当てて無理だと言う人の下では働けない」と、内定を辞退。監督や就職課の部長からはひどく怒られたが、「できない」より「できる」選択肢を探す生き方をしたいという信念を貫いた。 

証券会社では営業職に就き、持ち前の負けず嫌いの精神で所属した7年間は同期内で連続トップセールス。順風満帆な会社員生活だったが、人事異動(単身赴任での異動)辞令が出たとき同じくして長女が未熟児で誕生。子どもの命が危ういと医師に言われるなかで、家族を置いて単身赴任するわけにはいかないと次の仕事の当てもないまま退職を決意する。 

「家族を食べさせていくには、手に職がないといけない。そのため、国家資格を取得しよう。資格を探していたときに、たまたま社労士だった義母の影響で社労士を知り、『これなら家族を養える』と考え猛勉強を始めました。義母のもとでアルバイトをしながら専門学校に通い、一日5~6時間勉強を続けました。試験に合格するまでは本当に苦しかったのですが、乗り越えられたのは家族の存在があったからです」


命ある限り、生まれ育った勝浦に最大限貢献する

南総労務管理センター、経営トータルサポートのほか、美と健康のエステサロン『Toujours ierik(トゥジュール イエリック)』を手掛ける株式会社チェンジ&チャレンジ、野球教室やドローン事業を手掛ける株式会社心研、現在4つの会社を経営している渡邉。周囲からすれば大変だと思える立場も、むしろ楽しんでいるという。その源は渡邉の「命」に対する姿勢そのものだ。 

「今までの人生で5回死にかけた」と語るほど、命の危険にさらされる瞬間が何度もあった。1回目は、渡邉が生まれるとき。医師に「この子を産めばあなた(母)の命はない」と告げられ、家族全員からはおろすようにと言われていたが、母親だけが周囲の反対を押し切り命懸けで産んでくれた。その決断がなければ、渡邉がこの世に生を授かることはなかった。2回目は、幼少期にコンクリートの角で顔面を強打。目の間の鼻部分を打ち付け、医師からは数ミリずれていたら命はなかったと言われた。その後、高校時代に手術をした際医療ミスにより呼吸困難となり血圧低下し生死をさまよい、大人になってからは居眠り運転で谷底へ転落しかけ、数年前にはアナフィラキシーショックで救急に運ばれ、医師からは手当が遅かったら命の危険があったと言われた。ギリギリのところで5回も命を救われたからこそ、「できない」と諦めるより「できる」方法を探し挑戦するのだという。 

「私自身が5回も死にかけたり、娘が超未熟児だったりと、生きているだけで丸もうけと感じています。だから、他人に迷惑がかからないことであれば、何でもやってみようと思うんです。せっかく生きているのに、失敗を恐れてやらないなんてもったいない。少しでも可能性がある限り、難しいことでも挑戦し続けたいですね」 

人生のほとんどの時間を過ごした勝浦市は、渡邉にとって人生そのものだ。勝浦で生まれ、大学まで実家で過ごし、証券会社でも勝浦支店に配属。独立開業時、周囲からは社労士業務をしやすいクライアントの多い場所での開業を勧められたが、それでも「恩返しをしたい」という一心で勝浦の地を選んだ。開業後も多くの人に「都会に出したほうが収入も上がり、顧問先も増える」と言われながらも、渡邉は地元にこだわり貢献し続けている。

その一例が、渡邉が主宰する『心研野球塾』。プロ野球選手を目指す地元の野球少年に技術指導をするだけでなく、一人の人間として「心」の教育も行っているという。ほかにも、中学生のアーチェリーオリンピック強化選手や少年サッカーチームのスポンサー、フィリピンのダバオ市野球大会のスポンサーや野球道具の定期的な寄付など、仕事の枠を超えて地域貢献や青少年活動への支援にも積極的に協力している。 

「自分がやったことで、周りを幸せにすることができれば、それが私にとっても幸せです。そうやってより多くの人を幸せにする自分にも期待したいし、だから損得勘定は抜きにボランティアでも何でもやります。この世に生かされている以上はできるだけ多くの貢献をし、周囲から『ありがとう』と言われるような存在でいたいです」 

渡邉の「貢献したい」という想いは、命ある限りずっと続いていくのだろう。


リスナーの目線

過去の壮絶な体験を明るい表情でお話しされる一方で、仕事の話になると真剣な表情になり気迫すら感じさせられる渡邉さん。目の前にいる人に全力で向き合うその姿は、常に厳しい環境で「できる」ことを探してやり抜いた結果の表れなのだと感じました。自分だけではなく周囲の幸せのために行動するその想いは、顧問先だけでなく勝浦という街にもしっかり受け継がれていくのでしょう。

インタビュー・編集/角田尭史、福井寿久里 撮影/新見和美

Profile

1967年、千葉県勝浦市生まれ。小学3年生からソフトボールを始め、中学では軟式、高校では硬式野球部主将を務める。国際武道大学に進学し、硬式野球部で投手としてベンチ入り。1990年、証券会社に入社し、7年連続で同期トップセールスマンに。退社後、2年間の勉強期間を経て社会保険労務士試験に合格。1999年、社労士事務所開業。2001年6月、有限会社一南経営サポート(現:株式会社経営トータルサポート)設立。南総労務管理センター社会保険労務士法人の代表を務めるほか、株式会社チェンジ&チャレンジ(エステサロンFC展開事業)、株式会社心研(ドローン事業、野球塾運営)の経営も行う。その他、勝浦いすみ青年会議所の理事長を2006年に歴任、勝浦ロータリークラブ、BNIクリスタルチャプターに所属。

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