
真面目におもしろいことをしよう!企業のビジネスが輝くような“世界観(ストーリー)”を世に展開し、顧客とのコミュニケーションを力強く後押しする
ひとも、技術も、
日々進化させていく
目指すは、構造設計No.1のリーディングカンパニー
株式会社ベクトル・ジャパン
代表取締役
安藤 浩二 / Koji Ando
上下水道施設のような社会インフラ、オフィスビルやマンション、空港ターミナルビルなど、多様な建築物の構造設計を手がける設計事務所。それが株式会社ベクトル・ジャパンだ。東京汐留の高層ビル群を臨む場所に本社を構える同社では、年間500棟超の設計に、東京・君津・大連(中国)の3拠点で約40名の設計者が取り組んでいる。
誰もが知るような著名かつ巨大な建築物のプロジェクトに参画することもあるというベクトル・ジャパン。そうした仕事を手がけられる秘訣は「新しいことへの果敢な挑戦」にあるのだと、代表取締役の安藤浩二は語る。
「例えば、ここ数年で一般にも知られるようになった3Dプリンタ。当社は業界に先駆けて15年ほど前から取り入れています。また、今では当たり前になったCGも20年以上前から導入しており、いち早く構造物を3Dで表現することに挑戦してきました」
2D、つまり紙の図面での設計を前提にすると、実際の工事段階で初めて不具合が見つかることも少なくない。そのため、事前にどれだけ立体で検討できているかは品質に大きく影響する。だからこそ同社ではCGや3Dプリンタと同様に、3次元設計への移行も業界に先駆けて進めてきたのだという。
「私たちが最新技術の導入にこだわるのは、高い技術力によって品質でお客様から選ばれ、業界をリードしていきたいのが第一の理由です。それだけでなく、この先間違いなくスタンダードになる設計技術を、社員にいち早く身に付けてほしいのも、私が願っていることのひとつ。BIMなどを用いてはじめから立体で設計すると、平面で設計することによるミスは起きようがありません。これは、従来10年経験してようやく到達していた水準の設計品質を、学校を卒業した直後の新入社員でも実現できるということ。設計士にとって革命的なことだからこそ、私はこうした最新技術への投資を惜しみません」
技術によって設計士としての下積み期間が短くなるなら、その分より難易度の高い案件へ早期に挑戦できるはずだと安藤は語る。実際に今、同社では、入社したばかりの社員6名がチームを組んで、巨大なインフラ設備の設計を手がけている最中。最新技術を身に付けるとともに、実践経験を増やすことで、一人ひとりが世の中から必要とされ続ける設計士へと成長していくことを期待している。
また、ベクトル・ジャパンが追求する品質とは、設計事務所としての「設計品質」にとどまらない。構造設計とは建築家が描いたアイデアを実現させる仕事であると同時に、耐震構造をはじめとして災害から人命を守る役割を担っている。将来を見すえた長い時間軸で追求していくことこそ本質的な品質。それが安藤の考えだ。
「住宅やインフラなど、建築物は最低でも数十年にわたって人々が使い続けるもの。だからこそ設計士が本質的に求められているのは、図面の品質が良いことは当然ながら、30年40年と使い続けていく中で起きることを想定した仕事だと私は思います。言い換えるなら、設計士に要求されているレベルはどんどん高くなっているということ。そんな時代だから、学校の知識だけでなく最先端の技術と案件からどんどん学べる環境を社員に提供したいんです」
1962年、大分で生まれた安藤は工業高校で土木を学び、卒業後にゼネコンへ就職する。特に設計の仕事を夢見ていたわけではなかった。早く自立したい。その一心で選んだ道。しかし、設計部に配属されると同僚は設計の仕事に大志を抱いて働く人ばかり。自分との差に愕然とし、置いていかれてなるものかと猛勉強を始めた。
その甲斐あって、安藤は21歳の若さでサウジアラビアの案件を任され、現地に赴任することになる。実力主義でチャンスをつかみとれる環境が、安藤には心地よかった。
帰国後は大阪本店に配属され、本部直轄型の大型工事を担うように。自分の努力と能力次第で任される仕事はどんどん大きくなっていき、安藤はこの会社で鉄道や空港などの社会インフラに携わった。
ところが、30歳を目前にした安藤は自らこの環境を手放す。上司の方針に納得がいかず、勢いに任せて退職をしてしまったのだ。辞めてしばらくは設計のアルバイトをしていた安藤だが、ときはバブル景気真っ只中。次から次へと設計依頼が押し寄せてくる。そこで個人事務所として創業したのが、現在につながるベクトル・ジャパンの歴史の始まりだった。
大阪から東京に移転し、個人事務所から会社へと形を変え、人も雇い、仕事自体は順調に運んだ。しかし、創業期の安藤は社員との関係に悩み続けた。相場よりも高い給料を出し、仕事をしやすい環境を整えているのに、なぜ不平不満ばかり言うのか。20代前半で海外のシビアなビジネス環境に身を置き、合理の世界で育った安藤にとっては理解ができず苦しい時期だった。
「結局のところ、あの頃の私は儲けるためだけに会社を運営していたのだと思います。でも、それでは社員はついてこない。経営に理念もビジョンもない状態だったために、みんながバラバラの方向を見ていたんです」
社内は混乱をきたし、大部分の社員が一斉に辞表を出すという事件も発生。途方に暮れた安藤は、この会社がある目的は何だろうと自分に問う。真っ先に浮かんだのはこんな大変な状況でも会社を支えてくれる社員の顔。だからこそ、安藤は正直な気持ちを言葉にした。
『この自由の旗のもとに集まった社員、その社員を豊かにし幸せにすること』
これこそが、ベクトル・ジャパンの企業理念。以来、安藤自身が貫き続けてきた信念でもある。
「私は、仕事を通して人として成長し人格を高めることこそ、働く意義だと考えています。単に経済的に充実するだけでは人は豊かになれません。自分自身が努力を続けること、仲間を助けること、創造的な仕事をすること、それらを積み重ねることで、人は真に豊かになっていくのではないでしょうか。私はその機会を社員に提供し続けられる人でありたい。それができて初めて皆で同じ方向を向けるのだと思います」
安藤は、社員に「付加価値のある人になってほしい」と語る。AIによって仕事が淘汰されることも起こり得る時代。安かろう悪かろうでは生き残れないからこそ、自分にしかできない価値を磨くことにこだわってほしいのだ。
こうして、社員一丸となって事業成長を続けてきたベクトル・ジャパン。社員を豊かにすることで良い商品が生まれるという発想が、サービス品質と人材育成を相互に高めていく好循環を生み出している。ただし、社員が豊かに働ける環境は決して手加減をするという意味ではない。仕事のクオリティには一切の妥協をせず努力する姿勢が大前提。いつも本気で臨む緊張感こそが、一流の商品を生むという発想だ。
「私たちは、社員全員が持つべきフィロソフィのひとつとして“手の切れるような商品をつくる”を掲げています。つまり、まるで白い手袋をはめて慎重に扱うくらいの品質まで、自分の仕事を高めようということ。そのためには一人ひとりが腕を磨くことも必要ですし、仲間で助け合って偉業を実現することも必要。仲間を尊重しながら、自分も努力を続けられる人が集まっていますね」
こうした考えが浸透しているため、特定の個人へ過度に業務が集中することはなく、ほとんど残業をしないのも同社の特徴だ。ときには遠く離れた大連で働く社員が手伝いに駆けつけてくれることもある。社内で困っている人がいれば誰かが必ず手を差し伸べる。支えてもらったら、次は自分が助けに入る。そうした連携ができているという。
例えば、ある女性社員は新卒入社したばかりの頃はおっとりした気質から、何をしても今一つやり切ることができず自分でも苦しんでいたが、仲間の支えもあって今や立派な設計士に成長した。また、ある男性社員も完璧主義ゆえに周囲との衝突が絶えなかったが、仲間と仕事をする中で次第にチームの大切さに気付いてくれた。
「人として成長でき、仲間を尊重しながら同じ志で働ける会社になれた今、私が今本気で目指したいのは、『構造設計ならベクトル・ジャパン』と言われるような業界きっての会社になること。今まで以上に挑戦しがいのある仕事を手がけ、社員一人ひとりをもっと豊かにしていきたい。また、構造設計の分野で私たちが追求してきた3次元の知見は、その活用シーンが建築や土木だけにとどまらないはず。『3Dを活用したソリューション』を新たな事業の柱として育てていくことも、私が目指す未来のひとつです」
21歳にして海外での仕事を経験し、30歳を前に経営者の道へ進むなど、一足飛びに駆け上がってきた安藤社長。一見すると輝かしいキャリアのようですが、その陰で何度となく苦悩してきたからこそ、今の経営理念に辿り着いたのだと語ってくれました。また、社員の成長を全力で後押しすると同時に、自分自身の鍛錬にも余念がない様子。ホノルルマラソンへの出場など、会社の外でも精力的に活動されています。
1962年、大分県生まれ。 1980年、大手ゼネコンに入社。海外にて構造設計に従事した経験を持つ。土木構造設計の経験を積み、1990年2月、日本ベクトルエンジニアリング有限会社を設立。1996年、株式会社ベクトル・ジャパンへ組織変更。
インタビュー・編集:森田大理/撮影:森モーリー鷹博
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