
病院を飛び出した理学療法士が鳥取県でつくる「つながり」
エンジニアが真価を発揮できる環境を作りたい
神崎 弘樹 / Hiroki Kanzaki
株式会社KAMING
代表取締役
「エンジニアファースト」を理念に掲げ、SES事業を手がける株式会社KAMING。代表取締役社長の神崎弘樹は、エンジニア第一主義について、このように語る。
「客先にITエンジニアが常駐して技術提供を行うSESは、IT業界の中でネガティブなイメージを持たれがちな分野です。その要因にあるのは、エンジニアが置かれている労働環境の悪さ。多重下請け構造がまん延していて、エンジニアへの還元率が低くなり、不当な条件下で働くことも少なくありません。雇用元と作業現場が異なるため、エンジニアの要望や相談が伝言ゲームのようになってしまい、解決しにくいという難点もあります。そのような状況下では本来のパフォーマンスは発揮できません。私たちがエンジニアに寄り添い、彼らの環境を整備することが、結果的にクライアントの満足度につながると考えています」
KAMINGの特徴の一つは、フリーランスのエンジニアを多数抱えていること。エンジニアと社員雇用契約を結ぶSES企業がほとんどの中、同社は業務委託契約でも安定的に働くことを可能にしている。確定申告や経費計上など、フリーランスとして働くうえで必要になる手続きをサポートしており、その手厚さからめったに待機者はでないという。エンジニアは正社員雇用を選択することも可能だが、面白いことに、自らフリーランスへの転向を申し出る社員が多いという。
また給与還元率にも自信を持つ。業界平均は60〜75%だが、KAMINGでは80%を実現しており、業界最高水準を誇る。
「エンジニアへの還元率を上げるために、経営面の無駄を徹底的にそぎ落としました。例えばオフィス。エンジニアが出社することはほとんどないため、過剰な装飾や広さは不要としました。さらに独自の業務システムを構築し、事務員がいなくても業務が回る仕組みを採用しています。高いOA機器や固定電話は置いていませんし、清掃も床を走るロボット任せ。オフィスとしての飾り気はありませんが、そうした取り組みによって高い還元率を維持しています」
一口にエンジニアといっても、さまざまな業務があり、人によって得意分野や対応領域は異なる。しかしSESの場合はエンジニアサイドに選択権がなく、自身の専門外の現場を任されることも多い。スキルやニーズを無視したスタイルは、エンジニアにとってもクライアント企業にとっても非効率で非生産的だ。そこでエンジニアの希望にできる限り応じられるようにと、KAMINGでは1万件以上の案件を用意している。
20代は音楽に情熱を注いでいた神崎。音楽活動に時間を割けるよう始めたのが、大手外資系企業での派遣社員だった。ハードな日々だったが、がむしゃらに目の前の業務に打ち込んだ。その姿勢が認められ、社員として営業職に抜擢。トップの成績を残し、MVPとしてアジアでも表彰された。
順調にキャリアを築き、30歳を目前にした神崎だったが、商品開発の推移や上司の突然の異動などから、自分の在籍する事業部が少しづつ縮小傾向にあるのではと気付く。転職も考えたが、「学歴のない自分が成功できるのか」という不安がつきまとった。そこで思い立ったのが起業だった。
「自分で何でもやる会社だったので、営業といいつつもカタログの制作や展示会の企画・準備などにも携わっていました。顧客もルーチンの売上がまったくなく、イチかバチかの新規開拓が中心。個人商店を立ち上げられるくらいのノウハウはすでに身に付いているのではないかと思い、起業にチャレンジすることにしました」
KAMINGを立ち上げたのは2014年のこと。主力事業として開始したのは、屋内版Googleストリートビューの導入支援だ。日本に参入して間もないサービスということもあり、事業は好調な滑り出しで、すぐに軌道に乗った。
その傍ら、新事業にも踏み出そうと考えた神崎は、当時社会問題化していたITエンジニア不足に着目。さらに深く調べてみると、SESで働くエンジニアの過酷さにたどり着いた。
「『人材不足になっているエンジニアを、しっかりと守らなければいけない』という気持ちが生まれました。同時にビジネスとしての勝機も感じました。エンジニアにとって悲惨な労働環境が常態化している産業だからこそ、改善に取り組めば、業界内で希少な存在となれるはず。クライアントに対してイエスマンになるのではなく、エンジニア側に立った視点を持つことを心がけました」
現在はフリーランスと正社員、2種類の契約形態を設けているKAMINGだが、事業開始当初はフリーランスに絞っていた。「プロジェクトごとにクライアント企業を渡り歩くSESに、正社員というスタイルはマッチしないのではないか」と考えたのだ。当時は今ほどフリーランスが浸透していない時代だったが、その働き方に意義を感じていた。
「企業が社員を育て上げたり守り抜いたりすることが難しい時代になりました。安定や安心感を持てない今、社員で働くことの意味が問われています。一方で、さまざまな企業で仕事をするSESのエンジニアであれば、フリーランスが適しているのは目に見えていました。個人で生き抜くための術を身に付けられるよう、会社としてフリーランスエンジニアを支援することにしたのです」
SES企業の多くが月1回程度設けている「帰社日」。エンジニア同士の交流を深めたり、上司と面談をしたりするのが目的だ。しかしKAMINGに帰社日はない。その理由を、神崎はこう語る。
「普段、所属会社を離れているエンジニアの帰属意識を確かめる目的で帰社日を設定している企業がほとんどです。しかし、それは企業側の都合だと思います。エンジニア本人にとっては、常駐先に行けず作業が滞るわけで、面倒な行事になってしまっている。帰属意識をどう作るかがSES企業の課題だったりするんですが、うちでは求めないことにしました。最優先なのは、エンジニアが快適に働ける環境を作ることですから。その代わり、コンパスというミーティング制度を設け、エンジニアの皆さんを4段階の方法でフォローしています」
常識を打ち破りながらSES業界の変革を目指してきた神崎だが、自身はエンジニア経験ゼロ。事業を始めた当初は、エンジニアとのコミュニケーションに戸惑いを感じることもあったという。
「真面目な方がほとんどでしたが、中には遅刻をしたり、プロジェクト初日の待ち合わせ時間に来なかったエンジニアもいました。信用問題に関わることなので 困りましたが、話を聞くうちに、彼らが受けていた不当な扱いや不条理な対応が仕事への不安を生み出していると分かりました。それぞれが持つ高いスキルや能力を埋もれさせないためにも、身体面と精神面でエンジニアを支える決意をしました」
神崎がエンジニアと接するうえで心がけているのは、フラットな関係性。「上司対部下のような関係にはなりたくない」と話すが、最初からこのような関わり方を実現できていたわけではない。起業後、コミュニケーションに関する研修に参加して分かったのは、「自分の正しさを基準にジャッジするタイプ」だということ。「このままでは周囲と距離ができるばかり」と、自身のコミュニケーションスタイルを根本的に見直した。
「相手の人間性をすべて受け入れ、経験や背景を想像すること」を意識して、エンジニアとコミュニケーションを図るようにした。次第に、相手との心の距離の取り方が分かるようになった。
「本音で対峙することが、最も大事だと分かりました。相手がミスや失敗をしたとき、ありがちな常套句でなだめたり指導したりしても、うまく伝わらないケースがあります。場合によっては反発を買うこともある。仕事上での関わりだとしても、もっと人間味にあふれていていいですし、感情的でいいと思うのです。こちらが本音で接すれば相手も心を開き、バックグラウンドや思いの丈を開示してくれる。そう信じてエンジニアとコミュニケーションを取るようにしています」
エンジニアとの信頼関係を着実に構築してきた神崎。今ではエンジニアから相談を受けるのはもちろん、ミスの報告も直接連絡が入るという。「嘘や隠し事のない、正直な関係性を築けている証ですね」と、笑顔を見せる。
KAMINGは2022年の時点でエンジニア80名を抱えている。会社規模が拡大しても、エンジニアへのサポート体制の品質は維持し続けるという。
「会社員時代から『高品質な仕事の提供』をモットーにしてきました。エンジニアの人数が増えると支援体制が疎かになるのでは、と思われたくありません。いつ何時も、エンジニアのパフォーマンスを最大限に引き出せる、レベルの高いサポートをこれからも継続します」
ここ数年で確実に改善の兆しが見えてきたSES業界。その一端を担ってきた神崎は、新たな未来を見据えている。次の打ち手は、エンジニア向けの就労移行支援施設による、再起支援だ。
激務などを理由にメンタルの不調をきたし、休職・退職に追い込まれるエンジニアの支援は、IT業界の長年の課題だといわれている。体調が落ち着き、社会復帰を目指そうとしても再就職が困難なのだ。
「優秀な能力を持っているにもかかわらず、復職できないエンジニアが数多くいます。要因は主に二つ。一つは、長年現場から離れていたため、エンジニア自身が自信を持てず社会復帰に踏み出せないこと。もう一つは、キャリアにブランクが生まれ、書類審査で落とされてしまうこと。これらを解決するには、仕事を休んでいる間も技術力を磨き続けられる環境の整備が必要不可欠です。そう遠くない未来、開設する予定でいます」
エンジニアが生き生きと働ける社会を作りたい一心で、今日まで走り続けてきた神崎。今後も社会課題の解決に使命感を燃やす。
「新しい形のSES事業を展開できたのは、私にエンジニアの経験がなかったから。もしエンジニアだったら、IT業界の悪しき習慣にも気付けなかったかもしれません。独自の視点が功を奏し、SES業界に風穴を開けられたと思っています。今後も世の中のニーズや社会問題にアンテナを張り、顧客に価値を提供できる存在でありたいです」
公開日:2022年9月8日
ゼネラルエレクトリック社(米)で、照明事業部の日本市場のセールスマネジャーを経験し、国内外共に表彰される。リーダー育成機関の最高峰である、Crotonville project Managementを修了し、29歳でKAMINGを創業。
20代では、50名ほどのミュージカル団体の運営や脚本、作詞作曲、アレンジ、15名のビッグバンドを主宰し、自らも演奏やアイリッシュタップダンスで出演。好きなゲームは「Call of Duty」、「スプラトゥーン」(ウデマエX)。身長178cm、体重71kg、ベンチプレス65kg、デッドリフト100kg。人に「希望」を与える存在にコミットしています。
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東京都渋谷区代々木1-21-16 アジリア代々木J's
インタビュー・執筆:堤真友子/編集:勝木友紀子
撮影:田中振一
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