これからのアジアにはバランス型リーダーが必要
PT MicroAd Indonesia COO 榎原 良樹

PT MicroAd Indonesia

榎原 良樹Yoshiki Enohara

COO

2015.04.24

インドネシアは、ゼロからやり直すのにふさわしい場所だった

私が働いている「PT MicroAd Indonesia」は、日本のマイクロアド社とインドネシア現地企業の「PT Corfina Mitrakreasi(ピーティー・コルフィナ・ミトラクレアシ)」社および「PT Rizki Bukit Abadi(ピーティー・リツキ・ブキット・アバディ)」社が、共同出資をして設立した合弁会社です。2011年6月に設立された当初から、私はこの会社でCOOを務めてきました。

けれども私は、元々マイクロアドやインドネシア現地企業の社員というわけではなく、新たな挑戦としてインドネシアでのゼロからのスタートを選び、ここにやってきたという経緯があります。

2008年にリーマンショックが起きたあとのことです。世の中の価値観が、物質的価値観から精神的価値観へと移り変わってきているのを感じた私は、有機野菜のブランド化に取り組む会社を起業しました。ところがこの事業がうまくいかなかった。会社をたたむことを決めたときに、マイクロアドの代表から、インドネシアでの現地法人設立の話を持ちかけられたのです。

当時、ありがたいことに、そのほかにもいくつか新しい仕事のオファーはいただいていたのですが、インドネシアという場所が、そのときの自分にいちばん合っていると思ったのです。ゼロから新たな挑戦をする自分が、再スタートする場としてはそこがふさわしいと感じました。

学生時代、大学を卒業したら商社に入社して新興国でのインフラ整備に携わりたいと思っていた時期がありました。結局、縁あって銀行に入社したのですが、そのときも海外、特に新興国で働くチャンスのある銀行はどこかという視点で選びました。その銀行には3年半お世話になりましたが、組織の歯車になっているのに過ぎないと感じ、退職。転職先のサイバーエージェントでは8年3ヵ月の在職中、名古屋営業所の立ち上げ、大阪支社長として売上を6倍に伸ばすなど、幹部社員として会社の成長に貢献しました。東京へ異動になった頃から「もう一段自分の価値を高めたい」という気持ちが強くなり、起業を決断。その結果、先述したような経緯を経て、インドネシアに来ることになりました。

こちらで仕事をし始めて、しばらく経ったときのこと。私はふと「これまでいろいろな試行錯誤はあったけれども、そうした経験を経て、自分はもう一度学生時代に志していた原点に戻ってきたんだな」と思いました。

社会人になってからというもの、すっかり忘れてしまっていたのですが、私が学生時代に商社マンを目指したのは、新興国のまだ何もないまっさらな場所で、ゼロからビジネスを立ち上げていくことに憧れていたからです。それが気づけば、こうしてインドネシアでビジネスの立ち上げに悪戦苦闘しているのですから、人生とは不思議なものです。

当社はインターネット広告ビジネスを事業の柱としている会社です。現在のインドネシアのインターネット広告市場は、ちょうど日本の90年代後半から00年代初頭の状況に似ています。つまり完全な草創期であり、インドネシアにおけるインターネット広告のビジネスモデルをゼロから構築しなくてはいけない時期です。

ですから私は、学生時代に志していた原点に戻ってきたというわけです。もちろん当時とは異なり、プロフェッショナルとして事業を成功させるミッションを負った経営者の立場でインドネシアに来ています。酸いも甘いも味わったビジネスの経験もきっと役に立つでしょう。この覚悟と経験を武器に、この会社をインドネシアを代表するインターネット企業に育てていきたいと思っています。

日本人に意外と近い、インドネシア人のメンタリティー

設立当時には社員が2名だった会社も、今では40名を超えました。具体的な事業内容としては、ホームページの制作やSNSマーケティングなどのインターネット広告に関する総合サービスの提供や、メディア事業などを展開しています。メディア事業では「Ibudan Mama(イブダンママ)」といって現地向けの育児情報サイトを運営しています。クライアントは、日系企業や現地企業、日本以外の外資系企業など多岐にわたります。また、日本国内で展開しているDSP“MicroAd BLADE”を今後インドネシアでも積極的に販売していくため、DSP事業に特化した子会社を2013年10月に設立したところです。

「インドネシアを代表するインターネット企業になる」というゴールを100とすれば、今の到達点は20くらい。主要クライアントを何社か獲得して、スタート地点から数歩踏み出したという段階でしょう。

社員は、私以外は全員がインドネシア人です。つまり、彼らがいかに当事者意識を持って仕事に取り組んでくれるかという一点に、この会社の未来がかかっています。

そこで私は、日本で組織をマネジメントしていたとき以上に、きめ細かなコミュニケーションを社員一人ひとりと取ることを心掛けています。私のインドネシア語は、まだまだ流暢とはいえませんが、社員との個別面談を通じて、会社のビジョンや現時点での到達点、今後の課題と戦略などを〝自分の言葉で〞伝えるようにしています。

日本国内の場合であれば、同じような環境の中で育ってきた経営者と社員同士、阿吽の呼吸で意思疎通が成り立ちますが、海外ではそうはいきません。特に当社の場合、日本人は私しかいないのですから、なおのことです。

インターネット広告市場でトップを目指す限りは、ビジネスのやり方やスピードに関してこちらに従ってもらわなくてはいけない部分がたくさんあります。一方で、インドネシア人にとって働きやすい職場であるためには、インドネシア流のルールや慣習を取り入れることも大切です。だからこそお互いが、積極的にコミュニケーションを取りながら理解を深め、誰もが高い意欲を持って仕事に取り組めるチーム作りをすることが求められるのです。

オーナー企業が多いインドネシアでは、経営陣と社員の役割がはっきりと分かれていて、経営側は指示を出し、社員は上から言われたことをやるという関係になっています。でもこれでは社員たちが「ここは自分たちの会社だ」「これは自分たちの仕事だ」という意識を抱くことができず、どうしても組織として弱体化してしまいます。その点では、経営者も社員も一緒に汗を流しながらゴールを目指す日本の経営スタイルに分があると思うのです。私の経験からも、インドネシアの人たちには、日本スタイルを受け入れる素地は十分あると思います。

もう少し掘り下げてみると、インドネシア人のメンタリティー(=心理状態)というのは、意外と日本人に近いとも思われます。多民族国家という点では日本と大きく異なりますが、島国で移民もほとんどいないという共通点からすると、インドネシア人としての同質性が高いんですね。そして仲間や和を大切にする国民性を備えています。だから日本人にとって、インドネシアは住みやすい国であり、日本のスタイルが比較的通用しやすい国であると思うのです。

榎原 良樹

Profile

1974年鳥取県生まれ。
大学卒業後、大手都市銀行に就職。2001年、株式会社サイバーエージェント入社。名古屋営業所の立ち上げなどを経て、西日本統括大阪支社長、事業戦略部長を歴任。2009年同社を退職し、農業・環境関連ベンチャー企業を起業するも約2年で閉鎖。2011年4月より株式会社マイクロアドと現地企業の合弁会社PT MicroAd Indonesia設立に携わり、COOを務める。

Contact

PT MicroAd Indonesia

Indosurya Plaza/amrin Nine, Floor 3A Jl. M.H. amrin No.8-9 Jakarta Pusat 10230, Indonesia
EMAIL : info@microad.co.id
URL : http://www.microad.co.id

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