上海で自分の力を試すチャンス
ベネフィット・ワン上海 (Benefit One Shanghai Inc.) 董事総経理 鈴木 梢一郎

ベネフィット・ワン上海 (Benefit One Shanghai Inc.)

鈴木 梢一郎Shoichiro Suzuki

董事総経理

2015.06.08

海外に行って勝負したい

当社は上海で企業の従業員向け福利厚生のアウトソーシングサービスを提供している会社です。中国は贈り物の国で、中秋節や国慶節など節目ごとに社員にプレゼントをする習慣があります。また多くの企業がインセンティブ制度にも力を入れています。国民が裕福になった今、月餅券やiPadの代わりにポイントを付与し、本人の好きな時に好みの商品やサービスと交換してもらいます。「ポイント制福利厚生」「選択制福利厚生」、アメリカでは「ポイントリワード」と呼ばれるものです。日本でも大企業を中心に導入していただいています。このサービスを中国で展開するために、2012年5月にベネフィット・ワン上海を立ち上げました。

私は1999年に、新卒でパソナに入社しました。大学時代はスキークラブに所属し毎年冬はずっと雪山。4年生の4月までスキーをしていました。教職を目指していたのでそのまま教育実習に行きましたが、今すぐやることじゃないと思い帰ってくると、同級生は就職活動が終わっていました。慌てて内定をもらったのが、パソナです。

パソナはベンチャー企業であり、自分を試せそうと思っていたのですが、入ってみるとすでにかなりの大企業でした。結局、社内ベンチャー第1号として創業したばかりの子会社であるベネフィット・ワンに縁をいただいて行かせてもらうことになりました。

当時はまだ社員30名程度。飛び込み営業をしてもテレアポをしても「要らない」「聞いたことがない」と言われてへこむ日々が続きました。でも、やがてバブル崩壊の余波で企業が保養所を閉め始め、それに代わる福利厚生制度として当社のサービスが売れるようになっていきます。その後、会社は急成長し、株式上場も経験することができました。

しかし、入社から8年目になると営業という仕事にも慣れ、海外に行きたいと思うようになったのです。英語で格好良く交渉するビジネスマンに憧れていました。そこでMBAの取得を計画しました。それから2年間は平日の夜と土日は勉強し続け、実際にロサンゼルスへ行って学校訪問もしました。ついにTOEFLやGMATの必要スコアもクリアし、あとは推薦状を必要枚数集めるだけとなったのですが、最後に社長のサインだけはもらえませんでした。社長としても、私が「この会社に必ず戻る、費用は自分で持つ」と言っても、それを聞き入れるのは難しい状況だったのです。実はその頃、ある会社の買収が進み、私は新事業部の責任者になることが濃厚だったからです。

結局、私は40、50代の課長たちを取りまとめながら、新しい事業部を立ち上げ、役員に就任しました。ある時社長から「北京の案件があるから行ってきてくれ」と頼まれます。当時の私は、海外と聞けば英語でビジネスというイメージで、喜んで出張しました。しかし、期待した内容とはだいぶ違う出張でした。この時の案件は中国進出を検討するもので、最終的に私自身が上海でスタートさせることになったのです。

2011年の終わり、私はトランク2つを持って1人で上海にやってきました。夜11時に空港に降り立ってタクシーに乗り、ホテルの名前を英語で書いたメモを渡したのですが、運転手にまったく違う場所に連れて行かれるという洗礼を受けました。右も左も分からない中でのスタートです。海外進出第1号なので、日本の誰も助けてはくれません。まずは、「上海 会社設立」でネット検索してコンサルタントを雇ったのを皮切りに、何人もの中国関係の弁護士、銀行、会計士などに会いました。そして今度は「上海オフィス賃貸」で検索して日系不動産業の連絡先を見つけ、コンサルタントの勧めどおり、浦東エリアで事務所を探しました。

こちらで最初に雇ったのはハンさんです。彼女は日本で大学院を出て、大手企業の人事部長もしていたという逸材。日系企業の立ち上げも2度経験している、とても心強いスタッフです。実は中国には、日本語・中国語バイリンガルで、日本の大学院卒、課長・部長職を経験している管理部人材がかなりいます。

オフィスを借りるまではお互いに自宅勤務とし、カフェで会って会社登記をどうするか、どこに銀行口座を開くか、営業担当をどうやって雇うかなどを決めました。その他にオフィスの壁紙を何色にするか、椅子をどれにするかといったことも2人で話し合いました。

また、オフィスが整う前から営業も開始しました。日本の親会社には数千社の既存クライアントがいます。上海の子会社や支社をご紹介くださいとお願いして、端から訪問しました。ところがこれは長続きせず、50件ほどで止まりました。日系企業の中国ビジネスの歴史は長く、多くの会社がすでに本社から独立して運営されています。そこが新興国とは違うところです。日本の会社の窓口である人事部からは「中国には紹介できるような知り合いがいません」と言われることが多々ありました。

上海で飛び込み営業を成功させる方法

こうなったら飛び込み営業です。日本では受付で「人事責任者に会いたい」と言えば成功することもあります。しかし中国の日系企業の受付は勝算ゼロでした。受付嬢の仕事は約束のある来客と宅配便などの取次だけです。自社の社長の名前も知らないことがあるほどなので「福利厚生担当者に繫いでほしい」と言ったところで埒があきません。そこで日本商工会に入会し、会員企業の総経理に対して顔写真入りの開業挨拶状を配ることにしました。これを受付に持って行くと、書類なので受け取ってくれます。そして翌日電話します。ここで「○○総経理はいらっしゃいますか?」と日本語で聞きます。中国語を使うと先方のペースとなり失敗しやすかったので、ここは日本語で押し通しました。そうやって頑張ると、転送してくれる人も出てきます。転送先はたいてい総経理秘書です。日本語が通じますが工夫が必要です。それでも総経理に繫がりさえすれば、あとは9割近い確率で会ってもらえます。

現在までに集めた名刺は約3000枚です。そのうち1000枚は自分で地道にアポイントを取った結果で、さらに1000枚は校友会、日本人会、各種勉強会などで集めました。残る1000枚は福利厚生セミナーです。

福利厚生セミナーは定員30名程度。すでに30回ほど開催しています。内容は毎回変えるように工夫していて、今人気があるのは調査会社と共同で進めている中国人のフォーカスグループインタビューです。アメリカ企業と日本企業の若手社員を対象に「どんな時に会社を辞めようと思いましたか?」「どんな時に思い留まろうと決めましたか?」などと質問し、福利厚生やインセンティブの影響力を分析しています。

いただいた意見は、交換商品のバリエーションを増やしたり、サービス自体の向上にも役立てています。サービスが魅力的でなければ利用企業の新規開拓はもちろん、継続もしてもらえません。交換商品は、家電製品から旅行、レストランの利用券など、多岐にわたります。仕入先の開拓は、すべて中国語の世界です。福利厚生サービスは中国ではまだまだ知名度は低く、発注数も少なくなってしまうため、開拓には骨を折ります。中にはくじけそうになるスタッフもいます。そんな時、私は日本での創業期の成功事例をスタッフに熱く語り、激励し続けました。結果、1年間で2000アイテム以上が集まったのです。これは完全に優秀な中国人スタッフの努力の賜物です。

私たちのビジネスは、営業に1〜2年かかる息の長いものです。それでも今の状況だと「まだこの国にはニーズがない」と諦めるのが普通かもしれませんが、私は本社の創業期の苦しみを見知っているので、そんな時はあと一踏ん張りだと思って、自らを鼓舞します。私を手本にして、スタッフの気持ちも強くなります。

営業人材は育成中です。中国は長らく経済成長を続けているので、営業経験者ではあっても何もせずにモノが売れる状態しか経験がない。しかも見えないサービスを売った成功経験を持つ人がいません。それでも、皆が優秀で頑張り屋さんで日本語も上手です。彼らが30歳で当社のような小さい会社に来たというのは、思い切った決断です。こちらはブランド主義が根強いので、家と車を持ち、名の通った会社で働いていてこそ人生の成功者と見なされます。しかも、35歳からぐっと転職が難しくなるのが現実です。30歳で来てくれた彼らは、僕のことを慕い信じてくれている。期待に応えたいと思っています。

彼らがよく「中国ではそのやり方は違うのではありませんか?」と聞いてきます。しかし何でも「中国だから」と考え出すと、的外れになりやすいと思っています。多くの中国人たちと接してきて、最初は声の大きさや直接的な表現に気圧されましたが、人間としての中身は共通だと感じるようになりました。根本的な品質を大事にし、サービスにこだわる。礼を尽くせば感謝される。メンツを立てれば喜ぶ。新しいものに対して慎重になる。こうしたことは全人類共通なのです。

ベネフィット・ワンに入社して17年です。社員30名が1000名になっていったあの頃のように、もう一度自分の力を試したい。そう思っていたからこそ、海外に出ることを望んでいたのです。そして、今まさに再びゼロから築くことを試みています。社長と部長は雲泥の差だということも、今回よく分かりました。一から人を雇い、自分一人で方針を決め、資金繰りをしていくというのがいかに大変か。いい経験をさせてもらっています。

おかげさまで顧客が増えてきたこともあり、首都である北京にもオフィスを構えました。幸い他の国々にも事業は広がっています。中国を軌道に乗せたら、将来は他の国々に関わっていきたいと思っています。

鈴木 梢一郎

インタビュアーの目線

日本でも創業メンバーの一人であった鈴木さんは、中国という巨大市場で、もう一度立ち上げのご苦労をされている真っ最中。中国全体が急速に豊かになった今日、同社サービスへの需要が拡大するのは時間の問題として、今は大輪の花を咲かせるまでの土作りや水やりの時期のようです。本音で苦楽を語っていただき、心からエールを送りたくなりました。

書籍「世界を動かすアブローダーズ ~ 日本を飛び出し、海外で活躍するビジネスパーソンたち 」から掲載】


Profile

1976年、東京都生まれ。
1999年早稲田大学政治経済学部卒業後、株式会社ベネフィット・ワンに入社。福利厚生アウトソーシングの営業マネージャーおよびコンテンツ開発マネージャーを経て、グルメ事業の事業部長としてM&Aと新規事業立ち上げを担当。その後、CRM事業の執行役員を経て、2012年ベネフィット・ワン上海の董事総経理に就任。
趣味・特技:スキー、マラソン、アイスホッケー(初心者ですが上海で始めました)、レストランめぐり(上海のレパートリーは相当増えました)

Contact

ベネフィット・ワン上海 (Benefit One Shanghai Inc.)

上海市浦東新区陸家嘴環路1000号恒生銀行大厦15楼
http://www.benefit-one.com.cn

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書籍
「世界を動かすアブローダーズ ~ 日本を飛び出し、海外で活躍するビジネスパーソンたち」

日本の国内だけで働くこともいいけれど…
一度きりの人生は、海外へ目を向け、自分の可能性と仕事の幅を拡げよう!

世界の空気を吸い、グローバルに生きる!海外であくなき挑戦をする人々…その26人の生の声がここに!!

ウェブサイト:http://www.abroaders.jp/

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