会社の文化を変えずまったく新しいことをする

豫洲短板産業株式会社 代表取締役 森 晋吾

森 晋吾Shingo Mori

豫洲短板産業株式会社

代表取締役

2015.06.09

味わったことのない開かれた世界へ

当社がメインとしている事業はステンレス鋼材の卸売です。1933年に祖父が愛媛県で機械工具および金物店を創業してから、長らく工業分野に関わってきました。約50年前からは、ステンレス専門の会社としてやっております。

私は大学卒業後にまず広島の同業者のところで修行し、さらに2年ほど商社で勉強させてもらいました。海外進出を考え始めたのは、商社でいろいろな情報を得るようになった頃です。2001年に当社に戻ると、社長になる前から折に触れ「海外に出る」という話をするようになりました。

鋼材の卸売業者が海外に出て行くのは珍しいことで、あまり前例がありません。先代社長である父は今でも「自分ならやらない」と言ってました。「若さがなければできない」という含みがあるにしても、本音だと思います。しかし、私が海外進出に向けてチャレンジするのを見守ってくれました。

現在は国内外の鉄鋼メーカーが作った製品を日本にストックして卸すのが本業ですが、2010年の上海子会社設立を皮切りに、バンコク、ホーチミンと3ヵ所の海外拠点を設立しました。また、中国では火力発電所向けプラントの補修工事に加わるなど、卸売り以外にも事業を広げてきました。

実際に中国視察を始めたのは2005年頃です。当時、業界には「2006年問題」が囁かれていました。2006年には中国で鉄鋼材の生産力が需要を上回り、余剰製品が日本市場に流入すると。これを機にメーカー再編の時代が来れば、卸売業も統合されたり廃業したりする会社がきっと出てくるし、中国に限らずアジアでの競争に勝たなければならなくなる。生き延びるには国内でトップシェアを取り、海外進出をするほかないと言われていました。しかし国内ではそれなりの売上はあっても、海外については未知数です。噂に翻弄されて不安だけが膨らんできました。こうした危機感から中国への視察に踏み切ったのです。そしてその成長市場を見て「これは日本にいたらあかんな」と思ったのです。

私はバブル期に仕事をしたことがありませんが、きっとこういう世界だったのだろうと思いました。そして、これまで自分がいかに閉塞感の中でしか仕事をしてこなかったのかと思い知ったのです。自分では高いモチベーションを持って働いてきたつもりでした。しかし、これだけ開かれた世界ならもっと可能性を感じながら仕事に取り組めただろうという気がしました。

そこで最初は半年に1回ほど中国に出かけて、いろいろな方と会いました。その間にも街がみるみるきれいになり、昨年行った会社が今年は工場を2倍に増床しているといった激しい変化を目の当たりにしました。

やがて上海に拠点を作り、私も2ヵ月ごとに現地を回るようになりました。私が実際に行動することで海外進出ということがイメージできていなかった社員たちを、共に行動するメンバーとして巻き込んでいった感じです。メンバー以外の社員にも海外進出という新たな分野へのチャレンジがイメージしてもらえるようになりました。こうして徐々に海外展開は現実のものとなっていったのです。

家業を継いだ私が、会社の文化を変えずに、これまでと違うこと、新たな分野へのチャレンジを試みています。そのたびに私が要求することは、これまで社員誰しもが経験したことがないことなので、長く当社を知る社員ほど戸惑いはあると思います。それでも、ここまで展開してくることができました。

中国への進出を試みるにあたり、最初は日本の鉄鋼メーカーの高い技術力をアピールして売り込んだのですが、まったく受注が取れませんでした。すでに成熟したローカル市場に、海外から参入するだけでも難しいことですが、「良い材料が喜ばれるわけではない」という日本とのギャップに驚かされます。つまり、日本の品質基準はマーケットインで求められているものではなかったのです。

そこで卸売業として、中国の材料をどうやって売っていくかも考えることにしました。もちろんローカルでの仕入れという新たなチャレンジがあり、これをクリアしてようやく先に進めるようになります。

また鋼材に日本の優れた技術を加えることも始めます。私たちのお客様の中に、非常に特徴的なチタン加工の特許技術を持つ会社があり、環境問題への対応もできているので、その権利を取得して中国に持ち込むことにしたのです。

幸い現地に営業力も技術力もあるパートナー企業を見つけることができました。そこで世界中のどこにもない唯一無二の加工技術の指導をして、中国火力発電プラントの「煙突補修」に活用できるようになりました。私自身は、最近はこのパートナー企業とのやりとりがかなり増えています。

私たちの基準をクリアしたものが日本より安くできて、流通させることができる。中国にとってもプラスとなる事業ですから、中国の人たちにも応援してもらっています。

まずは「アジアの豫洲」と呼ばれるように

海外でも日本でもさまざまな人との出会いと応援があって、一歩ずつ進んできました。そして今は主に現地で活躍する社員たちの働きによって、前進しています。

現地に行っている社員の多くが若手です。大阪にいればそもそも市場があり、上司もいる。その守られた環境を出て、それぞれ苦労してもらっています。もちろん大阪で仕事をしていても苦労はありますが、外に出るともっと違う苦労がある。だからこそ彼らから前向きな言葉を聞けると、私としては本当に嬉しく思います。

中国市場でのチタン加工事業がうまくいくようになったのは、現在は大阪の海外事業部で営業をしている張彤さんが活躍してくれたからです。中国で仕事をしたいと言い出した頃に、まだ大学院にいた彼を紹介されて通訳を頼みました。日系企業に勤めてから日本の大学・大学院を出た彼は私と同じ歳。お互い30代半ばからの付き合いです。

彼が上海の拠点を支え、ローカルの大企業から材料を仕入れるルートを作るという難しいことにも力を貸してくれました。

外国人がローカル市場で仕入先を見つけようとしても、まずどこと交渉をすべきか分かりません。仮に相手を見つけても、価格交渉をするにはそれなりに人脈や実績がないと交渉のテーブルにもつけないのです。

人間関係を作るために、たくさん会食しました。食事をして酒を飲む席で人間を見るというのは、どこの国でも同じでしょう。それでも一番大事なのは紹介者ですから、とにかく人との繫がりをたくさん作っていくということが必要でした。メーカーでもなく、流通業にしても当社の企業規模の会社が進出したいというのは珍しいこともあってか、どこに行っても応援してくれる人たちが出てきました。それはありがたいことだと思います。

最初に上海の社長になっていただいたのは福田覚さんです。大手メーカー商社のOBで、中国でお会いした時は現地法人の社長でしたが「もう引退して帰る。老後のために家や畑も買ったからこれからはのんびり過ごす」という話でした。その後、私はその老後の家に押しかけ「上海に会社を作ったので、社長になってください!」とお願いしたのです。視察を始めてからのお付き合いで、経緯をご存知だったこともあり、再び中国に戻ることを引き受けてくださいました。

バンコクの会社は2013年2月に設立しましたが、法人化までは意外にスムーズでした。現地で長く会社経営をしている日本人と組むことができて、いろいろと教えていただけたのです。

社長となった北原一さんは、大阪で当社の商品の一次加工をしている協力会社の社長でしたが、「俺がやる」とおっしゃってくださいました。すでに53歳ですが「最後のチャレンジだ!」と。彼の技術と私たちの材料のノウハウで、これから勝負をかけていきます。

ホーチミンはまだ工場ができたばかりです。ASEANのどこかに加工と在庫の両方まかなえる大きな拠点が欲しいと考えていて、一番大きな規模の工場を作りました。中国では特に隙間を探して入り込むようにビジネスをしてきましたが、ベトナムについては同業者がほとんどいないため、むしろ「早く来てほしい」と言われていました。

タイやマレーシア、インドネシア、シンガポールはすでに成長市場ですが、ベトナムやミャンマーはまだまだこれからの市場ですし、ラオスやカンボジアはさらに遅れています。こうした国々でも、これから先行者利益を得るべく進出していく予定です。

今、国内の売上は120億円です。2023年までには海外のプラント事業や材料の流通を中心にグループの売上を現在の10倍、1000億円にしたい。そして次の10年には鋼材流通だけで1000億円の売上にしたいと考えています。人口やGDPから計算しても、十分に可能性ある市場です。

流通業はこれからどんどん垣根が低くなり、海外からの調達も当たり前になるでしょう。まずはアジアにしっかり根ざした流通をして「アジアの豫洲」となりたい。その次はヨーロッパやアメリカにも進出したいと考えています。

森 晋吾

インタビュアーの目線

ITでもインターネットでもない、鋼材の卸売業が海外に出て行くのは珍しいゆえ、並々ならぬご苦労があったかと容易に察せられますが、それでも実行に移し、成果が出るまで粘りに粘った森さんの胆力もまた、並々ならないものだと思います。初めは半信半疑だった社内も一枚岩になった今、伝統と革新を併せ持った同社の展開がますます楽しみです。

書籍「世界を動かすアブローダーズ ~ 日本を飛び出し、海外で活躍するビジネスパーソンたち 」から掲載】


Profile

1973年、大阪府生まれ。
趣味はゴルフ。主に産業機器や車両に多用されるステンレス等の特殊金属を扱う専門商社「豫洲短板産業株式会社」(1933年創業)の3代目社長。常時1万点強を在庫し、自動倉庫やITシステムを駆使した即納体制で、細分化されていく顧客ニーズに応え続ける。
また、創業以来「みんなで豊かになろう」という想いと感謝の心を大切にし、事業を通じた社会貢献を経営理念に掲げ、お客様に喜んでいただく経営方針を実践している。直近は、アジアを中心に拠点を展開するグローバル化を図りつつ、「自然共創態」という地球との共存共栄を目指す哲学のもとに、ecoを本業にすべく環境カテゴリーの事業化を推進している。

Contact

豫洲短板産業株式会社

〒555-0041
大阪府大阪市西淀川区中島2-10-154
06-6473-1881
http://www.yoshu.co.jp/

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