どんなことでもいいから「夢」を持て夢なき者に成功はない

株式会社バーディグループ 代表取締役 中川 雅也

中川 雅也Masaya Nakagawa

株式会社バーディグループ

代表取締役

2016.04.07

思い描いた夢に向かって、努力を怠らないことが大切

「みなさん、夢を持っていますか?」

なぜ、こんなことを聞くのかというと、夢はすべての源になると考えているからです。吉田松陰の名言にもあるように、何らかの夢があれば理想が生まれ、理想があれば、なんとかそこに近づこうとして計画を立てたり、その計画を実行に移したりするようになります。そして、その工程が実を結んだ先に成功があるというわけです。

私自身もいつも夢を思い描き、どうすればその状態に近づけるのかを考えて行動を起こしてきました。納得できないことは絶対に譲らないし、自分がやりたいこと、望ましい状態に近づくための努力も怠ったことがありません。ただし、夢がある程度実現してしまうと、次の新しいことへと興味が向かってしまうので、極めるところまで行かず、後で悔しい思いをしたこともあります。それでも、失敗や後悔を糧にしながら新しい夢を抱くことを繰り返して今に至っています。だからこそ、みなさんにも夢を持ってほしいと思うのです。

大学に入学すると、当時大流行していたディスコにも出かけたりして、そこで大手広告代理店に勤めているような社会人と知り合ったりもしました。大学の友人たちがサークルの立ち上げや部活動に熱中しているのを尻目に、私は人脈を活かして簡単なビジネスを始めました。たとえば、イベントをやろうとしているサークルがあれば、前述した知り合いがいる広告代理店を通して、通常よりも安い単価で人気の会場を押さえ、手数料をもらうなどといった具合ですね。

ただ、こうしたビジネスや学校外での遊びに明け暮れたおかげで、卒業のための単位はギリギリでした。お金も稼げていたし、もう1年だけ大学生をやって、ゆっくり先のことでも考えようかと思っていた矢先、私に一回目の転機が訪れました。

それは阪神・淡路大震災です。被災地の中心部にある実家に住んでいた私は、そこで被災しました。地震直後、飛び起きてきた両親と家の外に出た途端、轟音を立てて天井が落ち、我が家は全倒壊してしまいました。この時「生かされた」と思ったことを今も鮮明に覚えています。

そして、これも天命と考え本腰を入れて勉強を始め、留年することなく卒業しました。

30 歳で年商 35 億円―あまりに早過ぎた成功

就職は、法人をメインの取引先とする大手不動産会社に入社しました。ちなみに不動産業を選んだのは、当時としては珍しく、実力主義の報酬形態を採っていたからです。

こうして働くうちに、世間ではITが台頭し、インターネットが普及し始めます。とはいえ当時はまだ黎明期。ITやインターネットの技術者はいても、開発チームの取りまとめやプロジェクトの進行管理も含めたマネジメントを行う職業そのものがなかったのです。

そこにチャンスを見いだした私は、24歳でインターネット関連の会社へ転職したのですが、上司の仕事のやり方に疑問を持ち、知人からの助言もあって独立しました。そこでフリーのプロデューサーとして、さまざまな企業のウェブサービス開発に携わるようになりました。ニーズは思った以上で、受注案件も右肩上がりに増加。ついに一人では対応しきれなくなり、1999年、25歳で最初の会社を設立しました。

設立当初は、受託事業をメインにしていましたが、このやり方では仕事に追われて常に忙しく、クライアントの厳しい注文にも従わざるを得ません。このままでは疲弊するだけだと思い、ビジネスモデルを転換させたいと考えるようになりました。そこで、3年間の資金を元手に「ガラケー」向けの広告媒体、今でいうアドテクのサービスを企画・開発。
モバイル広告事業をスタートさせたのです。当時、競合他社は1社のみ。最初の1年こそ苦戦したものの、瞬く間に高い広告効果を誇る媒体に成長しました。

最盛期の売上は35億円。、媒体の性質上、簡単に売上が落ちることもありませんでした。毎月数千万円単位の収入があり超高級外車を所有し、贅沢もしました。

その頃は会社の規模をとにかく大きくすることだけを考えていましたし、実際、最終的には300名の社員を抱えるほどになりました。けれども、組織は一体感もなく、自分が思い描いていた理想からは程遠い状態でした。

しかし、弱冠30歳で「成功」を手に入れたこと、それだけで私は満足し、ある意味で燃え尽きてしまったのです。というのも私は元々、起業を志していたわけではなく、いってみれば成り行きで起業したので、志や理念が希薄でした。もし、きちんとそういったものを当時持っていれば、私が散財したお金の一部でもシステムや人材、M&Aなどの投資に回していたことでしょう。実際、私たちの媒体に陰りが見え始めたころ、後発の同業他社は、より先見性の高いビジネスモデルを開発し、ほどなく上場を果たしました。とても悔しいですが、冷静に考えれば当たり前のことですね。

その時点ではまだしっかりとした軸になるような会社経営の信念を持ち合わせていなかった私は、会社を売却できるということを知り、データセンター運営のベンチャー企業ビットアイル株式会社の傘下に入ることを決めました。そこでは同社の常務取締役に就任したのですが、これが、私の第二の転機となります。今、振り返ってみると30歳という年齢での成功は、自分にとってはあまりにも早かったと思っています。


Profile

1997年、WEBプロデューサーとして個人創業後、1999年、株式会社ファインダー設立、代表取締役に就任。2004年、ビットアイル(現ビットアイル・エクイニクス)株式会社 常務取締役就任。2004年、株式会社dual&Co. 設立、代表取締役に就任(現任)。2005年、株式会社コネクトテクノロジーズと資本・業務提携。株式会社インクルーズ 代表取締役就任。2008年3月、同職を辞任。2008年9月、株式会社バーディグループ代表取締役就任、株式会社バーディモバイル代表取締役就任。

Contact

株式会社バーディグループ

東京都渋谷区渋谷4-2-12 渋谷四丁目ビル2F
http://www.birdiegroup.co.jp

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