自分がリーダーになると考えてみる

株式会社ピーバンドットコム 代表取締役 田坂 正樹

田坂 正樹Masaki Tasaka

株式会社ピーバンドットコム

代表取締役

2015.03.24

世の中になかった通販

当社で扱っているプリント基板は、おもちゃ、パチンコ、歯医者さんの椅子、自動車から人工衛星まで、電気で動くあらゆるものに使われています。

お客様から「こういうロジックで動作するもの」と注文が入ると、日本かインドで設計し、中国、台湾、韓国で製造、電子部品の実装も行います。お客様の半分は名のある大手企業で、半分は従業員20人以下の中小企業。法人相手ですから、納期は絶対厳守です。

現地工場で徹底的に指導し品質基準も、納期管理能力も引き上げました。それでも台風などで国際物流が止まればハンドキャリーを使い、飛行機が遅着すれば成田から名古屋着でもバイク便を飛ばします。海外で製造した製品が通関で足止めされたら、日本で製造することもあります。いくらコストがかかっても、間に合うことが大事という世界。当社は納期遵守率は99パーセント以上を保っています。

2002年の創業当時、プリント基板をフルオーダーメイドでインターネット通販をしているところはありませんでした。このビジネスモデルについては、以前勤めていた会社で新規事業案件として構想を練っていました。ところが会社が新規事業を取りやめたので、構想のままに終わりました。そこで私が退社して約2年後に、当時の上司や同僚などと共に会社を立ち上げました。

サラリーマンよりもとび職のはずが

私は、東京の多摩で育ちました。地元を支配するのは強くて怖い先輩連中で、まるでジャイアンだらけの世界。不条理なことが起きても、受け入れるしかありません。

テレビのブラウン管の向こうには、どこかの国の風光明媚な土地を列車で横切りながら、美味しい食事をしている人たちがいて、穏やかな世界が広がっています。しかし、こちら側でサラリーマンになれば、毎日満員電車でもみくちゃにされ、住宅ローンを完済するために働く。そんなイメージしかありませんでした。悲観的な気分に光が差したのは、MBAというものの存在を知った時でした。その資格を取る人は、英語が話せるビジネスマンで年収は軽く1000万円を超えるらしい。高校生の私は、そんなサラリーマンも存在するなら未来は明るいと思いました。

経営者の育成を謳う大学に進み、友達もできたし刺激もいろいろとありました。ただ本当の転機が訪れたのは、3年生の時でした。

当時東証二部上場だった会社の説明会で、私と同じ大学を出ている社員が話をしました。あまり興味はなかったのですが、その先輩を知る学生が立ち話をしていて「あの先輩、1年目の年収が500万円だったって」と言っているのを耳にしたのです。

その頃の私はほとんど大学に行かず、建築現場でとび職をしていました。とび職の生活は健康的です。早起きして朝ご飯を食べ、体を動かして働き、夕方5時に上がってちょっと飲み、早くに寝ます。毎日体を動かして健康、規則正しい生活のとび職は女性に受けがよく、どこに行ってもモテました。

父はサラリーマンですが、よく私に「お前にサラリーマンは務まらない」と言っていました。父も自分も、卒業後の私はとび職になるのだと思っていました。でも1年目で500万円もらえるなら、満員電車と安月給に苦しむのとは違うサラリーマンになれる。そこで、どうやったらその会社に入れるのか調べ、入社しました。

あの時、あの立ち話を聞かなければ、私はとび職になっていたと思います。


Profile

1971年東京都生まれ。
多摩大学経営情報学部卒業。1995年株式会社ミスミ入社。

2000年株式会社ブレイク・フィールド社設立に参画、取締役就任・現職。2002年4月株式会社インフロー(現株式会社ピーバンドットコム)を設立し代表取締役就任・現職。2008年公益財団法人起業家支援財団評議員就任・現職。2011年gCストーリー株式会社取締役就任・現職。

Contact

株式会社ピーバンドットコム

〒102-0076
東京都千代田区五番町14 国際中正会館10F
TEL:03-3261-3431
URL:http://www.p-ban.com/

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