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ダーウィンホールディングス

中野 正幾株式会社ダーウィンホールディングス

代表取締役社長

大手企業を飛び出し、ライブドアへ。その経験で芽生えた決意

「決められたことに従うのは窮屈。自分が興味のあることに熱中していたい」――中野は幼い頃からそう考えていた。勉強は嫌いじゃない。でも学校は決まりきったことしか教えてくれない。そんなもどかしさを感じ、中学時代の中野は科学雑誌「Newton」を読みふけった。未知の世界に飛び込んだことが面白く、物理学にのめりこんでいく。アインシュタインやホーキング博士が憧れだった。

物理学者になるために進学したのは、東京大学。けれど、卒業後は大手保険会社に就職した。安定した生き方を選択する理由があったのだ。

「学生結婚をしたんです。夢はあったけど、夢だけでは暮らせない。そのときは、生活のためにも将来設計が立てやすい道を選ぶのが最善だと思っていました」

しかし、いざ入社してみると、決められたことをただこなすだけの毎日が退屈で仕方なかった。配属された資産運用の部門で自分のアイデアを出しても、「キミの担当業務外だから」とロクに聞いてもらえない。入社3年目の冬、中野はとうとう保険会社を飛び出した。

自由度の高い外資系金融機関に転職するつもりで、内定ももらっていた。しかし、そのタイミングで、中野はあるベンチャー企業と運命的な出会いをする。エッジ株式会社。「ホリエモン」こと堀江貴文氏が率いていた、のちのライブドアである。

「当時CFO(最高財務責任者)だった宮内亮治さんに面接で言われた言葉が忘れられません。『俺たちベンチャー企業は、大手のようにはじめから十分な給料は保証できない。でも、君が成果を出して会社に利益をもたらしたら、成果の分だけ払うよ』と言われたんです。それが僕には『何をやってもいいからチャレンジをしろ』と聞こえました。だから、保険会社の安定や外資系企業の高給も捨て、ベンチャーへ飛び込んだんです」

入社時に提示された年収は前職より200万円ほど低かったが、それでも清々しい気持ちだった。結果として1年後、年収は前職の7~8倍に跳ね上がった。中野は人一倍成果を出し、宮内氏の言ったとおり、会社はそんな中野に応えてくれたのだ。

ライブドアでの日々は、とにかく刺激的だった。M&Aアドバイザリーとして入社したのに、それ以外の仕事もどんどん任された。ITの専門知識がないのに、ポータルサイトの新コンテンツを任され、中国・大連の開発会社に飛んで行ったこともある。ライブドアがプロ野球の球団運営に乗り出そうとしたときも、「中野くんは元野球部だよね。新球団の統括責任者をやって」と、堀江氏から一任された。弱冠25歳のときのことだ。

2007年にライブドアを去るまでに、中野はグループ企業である上場企業の役員やライブドアファイナンスの社長も務めた。最後に手がけた仕事は、ライブドア事件後の会社の清算。取引先に頭を下げ、苦渋の決断で社員のリストラも行った。30歳を目前にして、経営の酸いも甘いも味わった中野は、この経験からある想いを強くする。

「もう二度と会社を潰すことはしたくない」

自分は環境を変えたことで救われた。水を得た魚のように働き、成功も失敗もしたが、幸せだった。そういった環境を人から奪うのではなく、提供できる人でありたいのだと。

株式会社ダーウィンホールディングス 代表取締役社長 中野正幾

Profile

1978年生まれ。2001年、東京大学卒業後、大手保険会社に入社。その後、エッジ株式会社(その後、ライブドアに商号変更)に転職し。M&AアドバイザリーやVC業務に従事。株式会社ライブドアファイナンスの代表取締役社長を務める。2007年、株式会社ダーウィンズを起業。現在は、同社を含む持ち株会社ダーウィンホールディングスの代表取締役社長を務める。

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