事業領域は限定しない。
世界で一番、
「経営者」を輩出する
企業でありたい

株式会社ダーウィンホールディングス 代表取締役社長 中野 正幾

株式会社ダーウィンホールディングス

中野 正幾Masaki Nakano

代表取締役社長

2017.11.07

22歳でグループ会社の
社長に就任した女性も。
「失敗にこそ価値がある」。
自らの意思で仕事を動かし、
成長できる環境を提供する

世界で一番、経営者を輩出する会社でありたい

「広くて白いキャンバスをもらったら、何を描こうかとワクワクするような人。そんな人が集まる会社にしたいんです」

そう語るのは、株式会社ダーウィンホールディングス 代表取締役の中野正幾。2007年にダイレクトマーケティング支援を行う株式会社ダーウィンズを起業。現在は、ダーウィンズのほか、美容・健康事業の「ウェルヴィーナス」、広告代理業の「D-DASH」、台湾初の同人コンテンツを扱うダウンロードサイトを運営する「台灣雞翅國際股份有限公司」など、グループ会社6社を展開している。

2015年にダーウィンズの経営を現社長に任せて以降、中野自身はグループ各社の経営実務からは一線を画すスタンスを貫いている。アドバイスはするが、口出しはしない。それが中野流の経営者育成術。まさしく広くて白いキャンバスを若手経営者たちに託しているのだ。

「僕自身の夢は、この会社で働く皆を育て、経営者を世界で一番輩出する会社にしていくこと。でも、“雇われ社長”を増やすつもりはありません。責任とリスクを背負い、悩みながらも前に進み続けることでこそ、真のオーナーシップは培われるもの。だから、グループ各社の社長に対しても社員に対しても、マニュアルや型にはまった教育研修は用意しません。“手取り足取り”は、成長を阻害すると思うんです。間違ってもいい、失敗してもいいから、自分の意思で切り拓く経験をたくさん積んでほしい。それができる人、やりたい人に、どんどん機会を提供していきます」

たとえば、ダーウィンズの広告代理業を分社化して設立した「D-DASH」。同社社長を務める女性は、就任当時22歳だった。短大を卒業後、新卒でダーウィンズに入社。一介の営業だった彼女に新会社を任せたのは、誰よりも強い意志を持っていたからだという。

「D-DASHの前身は、チラシやフリーペーパーなど紙媒体の広告代理業。時代の流れもあって業績が低迷していました。事業自体をたたむという選択肢もあったのですが、『それなら私がやりたい』と手を挙げてくれたんです。厳しい船出であることは明白だったのに、それでも経営に挑戦するという覚悟を決めていた。だから僕は、年齢や社歴に関わらず、彼女こそ最も適任だと思えたんですよ」

中野がにらんだ通り、彼女は単独では赤字だった事業を立て直し、初年度から黒字化に成功。1年で目覚ましい成長を遂げたのだという。

このような仕事の任せ方はダーウィングループにとって当たり前のこと。中野が新規事業やM&Aを発表すれば、常に10数名の社員が「やってみたい」と手を挙げる。その一人ひとりに、自分がどう成長したいのか、この事業をどうしたいのかという想いを聞き、現在の役割やポジションは関係なく意志の強さを評価し、任せていくのだ。

株式会社ダーウィンホールディングス 代表取締役社長 中野正幾

大手企業を飛び出し、ライブドアへ。その経験で芽生えた決意

「決められたことに従うのは窮屈。自分が興味のあることに熱中していたい」――中野は幼い頃からそう考えていた。勉強は嫌いじゃない。でも学校は決まりきったことしか教えてくれない。そんなもどかしさを感じ、中学時代の中野は科学雑誌「Newton」を読みふけった。未知の世界に飛び込んだことが面白く、物理学にのめりこんでいく。アインシュタインやホーキング博士が憧れだった。

物理学者になるために進学したのは、東京大学。けれど、卒業後は大手保険会社に就職した。安定した生き方を選択する理由があったのだ。

「学生結婚をしたんです。夢はあったけど、夢だけでは暮らせない。そのときは、生活のためにも将来設計が立てやすい道を選ぶのが最善だと思っていました」

しかし、いざ入社してみると、決められたことをただこなすだけの毎日が退屈で仕方なかった。配属された資産運用の部門で自分のアイデアを出しても、「キミの担当業務外だから」とロクに聞いてもらえない。入社3年目の冬、中野はとうとう保険会社を飛び出した。

自由度の高い外資系金融機関に転職するつもりで、内定ももらっていた。しかし、そのタイミングで、中野はあるベンチャー企業と運命的な出会いをする。エッジ株式会社。「ホリエモン」こと堀江貴文氏が率いていた、のちのライブドアである。

「当時CFO(最高財務責任者)だった宮内亮治さんに面接で言われた言葉が忘れられません。『俺たちベンチャー企業は、大手のようにはじめから十分な給料は保証できない。でも、君が成果を出して会社に利益をもたらしたら、成果の分だけ払うよ』と言われたんです。それが僕には『何をやってもいいからチャレンジをしろ』と聞こえました。だから、保険会社の安定や外資系企業の高給も捨て、ベンチャーへ飛び込んだんです」

入社時に提示された年収は前職より200万円ほど低かったが、それでも清々しい気持ちだった。結果として1年後、年収は前職の7~8倍に跳ね上がった。中野は人一倍成果を出し、宮内氏の言ったとおり、会社はそんな中野に応えてくれたのだ。

ライブドアでの日々は、とにかく刺激的だった。M&Aアドバイザリーとして入社したのに、それ以外の仕事もどんどん任された。ITの専門知識がないのに、ポータルサイトの新コンテンツを任され、中国・大連の開発会社に飛んで行ったこともある。ライブドアがプロ野球の球団運営に乗り出そうとしたときも、「中野くんは元野球部だよね。新球団の統括責任者をやって」と、堀江氏から一任された。弱冠25歳のときのことだ。

2007年にライブドアを去るまでに、中野はグループ企業である上場企業の役員やライブドアファイナンスの社長も務めた。最後に手がけた仕事は、ライブドア事件後の会社の清算。取引先に頭を下げ、苦渋の決断で社員のリストラも行った。30歳を目前にして、経営の酸いも甘いも味わった中野は、この経験からある想いを強くする。

「もう二度と会社を潰すことはしたくない」

自分は環境を変えたことで救われた。水を得た魚のように働き、成功も失敗もしたが、幸せだった。そういった環境を人から奪うのではなく、提供できる人でありたいのだと。

株式会社ダーウィンホールディングス 代表取締役社長 中野正幾

Profile

1978年生まれ。2001年、東京大学卒業後、大手保険会社に入社。その後、エッジ株式会社(その後、ライブドアに商号変更)に転職し。M&AアドバイザリーやVC業務に従事。株式会社ライブドアファイナンスの代表取締役社長を務める。2007年、株式会社ダーウィンズを起業。現在は、同社を含む持ち株会社ダーウィンホールディングスの代表取締役社長を務める。

Contact

株式会社ダーウィンホールディングス

東京都渋谷区道玄坂1-16-5 大下ビル8F

http://www.darwin-hd.jp/

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