日本で培った戦略を武器に、海外再進出に成功
プライム・ストラテジー株式会社 代表取締役 中村 けん牛

プライム・ストラテジー株式会社

中村 けん牛Kengyu Nakamura

代表取締役

2015.06.08

ジャカルタでのオフショア開発で味わった挫折

当社は2013年9月からインドネシアに進出しています。実はこれが2度目の挑戦です。最初の進出は2005年3月。きっかけは、妻と出かけたバリ島旅行でした。

滞在したホテルに日本語を流暢に話す若いホテルマンがいて、その優秀さに驚きました。しかも、一流ホテルで働く彼のようなクラスの人材の月給が、この国ではたった1〜2万円だと知って愕然としたのです。チップによる収入を考慮しても、日本ではあり得ない金額です。

さらにこのホテルには、宿泊客用にインターネット接続したパソコンが設置され、日本語キーボードも用意されていました。ここには日本と変わらぬパソコン端末にインターネット環境がある。そのうえ、優秀で日本語堪能で超低コストな人材が揃っているのです。もしも彼らが日本人相手にシステム開発を始めたら、自分たちに勝ち目はありません。滞在中にこの考えが確信に至り、恐怖で旅を楽しむどころではありませんでした。

その時、当社は設立3年目で、ウェブサイト構築を中心にマーケティングやデザイン、運用まで幅広く手がけていました。お客様の要望に応えれば応えるほど開発コストがかかり、いつか限界が来ると焦っていた時期です。コスト面でアドバンテージのある彼らを敵に回すのではなく、味方につけよう。この発想から海外進出を決意しました。

バリからの帰国後すぐに進出先の検討を始めました。候補地をインド、ベトナム、タイ、ミャンマー、インドネシアに絞り込んで視察しました。私自身が自分の足で現地を巡り、現地の方の話を聞き、最終的に「この国の人たちなら一緒に働ける、働きたい」と判断したのが、インドネシアです。

インドネシアは古くから親日国で、世界の日本語学習者数では韓国に次ぐ第2位です。人々の性格は穏やかで日本人に近いメンタリティを持っています。インドネシア語はアルファベット表記で外国人にも読み取りやすく、文法もシンプルで、数ヵ月あれば日常会話はマスターできます。唯一、宗教観の違いを心配しましたが、それは杞憂でした。

こうしてついに進出先を首都ジャカルタと決めたものの、日系企業がまだ珍しかった当時は情報が乏しく、何からするべきなのかも分かりません。インドネシアでの会社設立の手続きは煩雑でしたが、設立手続きを設立手続き代行会社に依頼すると費用が高くつくので、投資調整庁(BKPM)で英語が分かる人に教わりつつ、一つずつ自分で手続きを進めました。

ようやくプライム・ストラテジー・インドネシアを立ち上げ、人材紹介会社を通じて募集をかけると、期待通りにとても優秀な人材が集まってくれました。アジアに共通して言えることですが、日系企業は給料水準も高くブランド力のある外資系です。そのおかげもあり、人には恵まれたと思います。

当時のインドネシアの物価は、日本の1/10程度。この経済的な差を利用して人件費を抑えコストメリットを得る、いわゆるオフショア開発を目指していました。今振り返れば、私も若かったので見込みが甘かったと思います。

進出から1年半後には撤退を余儀なくされました。理由はジャカルタには関係なく、親会社である東京の会社の業績不振です。気づいた時には3ヵ月後の資金繰りの目途が立たず、すでに瀕死の重症の一歩手前でした。不振になった原因の一つに、東京・ジャカルタ間のコミュニケーションに苦戦し、発注がしにくかったという理由があります。優秀な人材を確保していても、日本とのやり取りに翻訳者が入ることもあり、また翻訳者も専門の人は人数が少なくてコストがかかる。やり取り一つに常に膨大な時間がかかって、伝達を繰り返すうちにニュアンスが変わってしまったりと、いろいろな問題が出ていました。伝言ゲームが延々と続く状況に、日本のメンバーも「なぜジャカルタに仕事を出すのか」と疑問に感じ、仕事を出しづらい空気になり、日本とジャカルタ間の流れも止まってしまいました。つまり、オフショア開発のメリットを得る段階には到達していなかったのです。

直前まで悩み続けました。ついに撤退を告げるため現地に向かった時も、まだ彼らにどう話せばいいのか分かりませんでした。会社に着くと、事情を知らない女性社員がやって来て「私はここに入社できたことをとても誇りに思います」と言ってくれたことを、今でも鮮明に覚えています。

その30分後には全員を集め、これから会社を締めて撤退すると話しました。社員50名を解雇し、支払いを止め、4000万円のキャッシュを吹っ飛ばし、日本に逃げ帰るのです。悔しいし恥ずかしいし、何より社員やその家族、そしてお世話になった方々に申し訳なかった。その時は「もう二度と海を渡ることはない」と思いました。

業界ナンバーワンのポジションを取る戦略で再進出

会社清算の最終的な処理は、当時システム部門のマネージャーであったインドネシア人のマロワが担ってくれました。彼はさらに自己資本による新会社も設立してくれたのです。新会社の設立を私が彼に頼んだのは、東京の本社で続けていたCMSプラットフォームの自社開発に今後も協力してもらいたかったからです。私たちがやってきた証をこの国に残したかったためでもありました。社長のマロワによって名づけられた新会社は「プリマ・ソフティンド」。当社の名をインドネシア語にして半分取り入れた新たな社名と、当社のモチーフを反転させたロゴデザインを見せられた時は、心意気に目頭が熱くなりました。

それからの約2年間、マロワたちに外部のパートナー会社として協力してもらいつつ、彼らがジャカルタで生き残るための方法を共に模索しました。以前の業務は東京の顧客に向けた開発のみで、ローカル市場での販売は未経験でした。しかも小さなベンチャー企業が生き残るのは東京に比して非常に難しいマーケットです。少しでもブランド力をつけていく努力が必要でした。

その後、東京での業務を「WordPress(ワードプレス)」スキームによる開発に絞り込みました。つまりこの時点で、CMSプラットフォームの自社開発を停止したのです。これによりジャカルタの新会社への継続的な仕事の依頼はできなくなってしまいました。このことで、彼らはジャカルタ市場向けのローカルシステム開発企業として茨の道を歩むことになったのです。それでも年に数回は、マロワとスカイプで話しました。彼は毎回「今年は戻って来られますか?」と聞いてきます。私は正直、戻りたいと思っていました。しかし、いまだ損失をカバーできていない状況で頷くことはできませんでした。

当社が的を絞って取り組んできたWordPressとは、現在、世界中のウェブサイトの約22%で利用されているオープンソースのソフトウェアです。そのスキームに集中して取り組んできた結果、当社はWordPressコンサルタント企業世界52社のうちの1社、東京で唯一の存在となりました。業界ナンバーワンの地位を獲得するポジショニング戦略に成功し、それが当社の揺ぎない強みとなりました。つまり、当社ならではの強みという武器が手に入ったのです。

「今なら、この武器を使ってもう一度インドネシアで戦える」。そう判断した私は2013年の夏にジャカルタのマロワを訪ねました。そして「もう一度一緒にやらないか?」と申し出たのです。9割増資するから社長になってほしい、と。小さな会社に厳しいジャカルタで7年半も戦い抜いてきた彼に、私は要するに買収話を持ちかけたのです。この提案について、彼の結論が出るまで待つつもりでしたが、彼は「やりましょう」とその場で即答してくれたのです。

撤退した時に会社の登記抹消といった手続きをしっかり行っていたこと、必要な手続きはすでに存在する法人であるプリマ・ソフティンドの資本に増資をして社名変更することだったため、最初の進出時よりも手続きはかなり円滑に進みました。そして、初めてジャカルタにやってきた時と同じ社名で、再スタートを切ることができました。

マロワたちがローカル企業として戦い続けてくれたおかげで、今やこの会社はインドネシアで10年続く会社として認知されています。もちろん、インドネシアで唯一、アジアで2社しかないWordPressコンサルタント企業というポジションを獲得しました。

日本で培ったポジショニング戦略といった自分たちの強みは、インドネシアでも確実に武器となっています。マロワが「話を聞いてくれるわけがない」と最初は尻込みした、国内最大手のメディア複合企業体に認められたり、その結果としてWordPress関連書籍を出版したり、大手銀行がクライアントになったり、以前は考えられなかったようなことが起きているのです。

現在のアジアは、生産(開発)・販売(消費)どちらの市場でも活気づいています。将来そのどちらにもシフトしやすいように、今、双方に取り組んでいます。たとえ一度失敗しても、チャンスがあれば挑戦すればいいのです。その時に備えてきちんと体制を整え直し、前回の失敗を活かせば同じ間違いはしないはずです。

今後、インドネシア発で世界に通用するプロダクトを開発してアジアでのポジションを確立できれば、世界でもほぼ同じポジションが取れるでしょう。その基盤となり10年以上お世話になっているインドネシアに、これから恩返しをしていきたいと思っています。

インタビュアーの目線

「私たちはいつか必ず戻ってきます」中村さんがこう言い残してから約7年間、連絡が途絶えていた時期もありながら、同氏とマロワさんの思いはどこかで繫がっていて、それぞれが日本とジャカルタで生き残りを懸けて会社経営を続けたからこそ、今があるのですね。「もう一度、一緒にやりましょう」と誓い合った二人の思いに胸が熱くなりました。

書籍「世界を動かすアブローダーズ ~ 日本を飛び出し、海外で活躍するビジネスパーソンたち 」から掲載】


Profile

1971年、栃木県生まれ。
中学1年生で電波新聞社の『マイコンBASICマガジン』にプログラムを寄稿して以来、プログラミング歴30年。早稲田大学法学部を卒業後、野村證券に入社。公認会計士第二次試験合格。2002年にプライム・ストラテジー株式会社を設立、代表取締役に就任。2005年にPT. Prime Strategy Indonesiaを設立して以来、アジアでのITビジネスに携わる。
執筆監訳書籍に『WordPressの教科書』シリーズ(SBクリエイティブ)、『詳解 WordPress』『WordPressによるWebアプリケーション開発』(ともにオライリー・ジャパン)などがある。

Contact

プライム・ストラテジー株式会社

〒101-0047
東京都千代田区内神田1-4-1 大手町21ビル5F
03-5577-6047
http://www.prime-strategy.co.jp

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