モノではなく自分たちの価値観を売るという醍醐味

FAST RETAILING PHILIPPINES, INC. Chief Operating Officer 久保田 勝美

久保田 勝美Katsumi Kubota

FAST RETAILING PHILIPPINES, INC.

Chief Operating Officer

2015.06.05

ブラジルでの原体験から

大学時代はポルトガル語学科に所属し、ブラジルの地域研究をしていました。3年を終えた時点で日伯交流協会の研修生として1年間のブラジル留学研修に親友が参加するというので自分も行ってみたいと、軽い気持ちで参加しました。現地に着いて、ポルトガル語で「日本ブラジル交流協会研修生、XX大学ポルトガル語学科の久保田です」と自己紹介をしたところ、「何を言っているのかわからない。大事なところから言え」と真顔で言われたのです。今まで自己紹介はこうするものだと型通りに行ってきた私は、衝撃を受けました。まず一番大事なのはアイデンティティである自分の名前であり、次に重要なのは「自分は何が好きか」「何をしたいのか」だというのです。

それ以降、挨拶する時は必ず自分の名前から言うようになりました。日本のビジネスの流儀からは外れるかもしれませんが、明日変わるかもしれない会社や肩書のような不確定なことよりも、本質的な「自分は何者か、何を目指しているのか」が重要だと考えるようになったのです。そしてここでは現地の人と同じ水準の暮らしをしながら、州の電電公社で事務に携わりました。ライフラインさえ不安定な生活という日本では考えられない大変な日常の中で得たものは多く、海外経験の原点となりました。

帰国後、就職活動では「より早くブラジルに行き活躍できる会社」を基準としてYKKに入社し、希望通り入社1年半でブラジルの駐在員となりました。営業・マーケティング担当として10年間を過ごし、その後北米で7年間勤務してから、2004年にシンガポール地域本部へ転勤となりました。この期間を通じて南北アメリカ大陸やアジアの30ヵ国で、さまざまな価値観の人々と仕事をする機会に恵まれました。

シンガポールで働くうちに、自分がアジア人であることをつくづく実感しました。それまで、どこの国の人ともフェアに接してきたつもりでしたが、こんなに自然にフラットな目線で仕事ができるという環境は新鮮だったのです。組織ですから、上司や部下、クライアントや発注先など、立場はもちろんありますが、多民族国家ならではなのか、とても対等な関係で仕事ができました。

そして2006年、転機を迎えます。部品製造業のビジネスでは、自らのパフォーマンスはもとより、売り先の状況によって自分の売上も大きく上下します。YKKは自分を育ててくれたグローバル企業であり今も尊敬していますが、自己完結できる製造小売業に移りたいという気持ちが強くなりました。

このことを日本の友人に相談すると、ユニクロを薦められました。すでに国内では有名な会社でしたが、20年以上海外で暮らしてきた当時の私はユニクロを知りませんでした。白紙に近い状態で面接に赴くと、「今後は海外事業を伸ばしていく」という大志を熱く語られ、これから新しく事業の基盤を作っていくことに魅力を感じ、是非一緒にやらせてください!とお願いし入社しました。

初出勤の日、上司は開口一番「あなたが久保田さんですね。何をやりに来たのですか?」と尋ねてきたのです。ユニクロは一人ひとりが自ら考え、仲間を集い、事業を創っていく会社だと痛感しました。やがて自ら提案し、バングラデシュでの生産を立ち上げることになりました。かつて中米で一緒に仕事をしていた先輩が、ちょうどYKKバングラデシュ社長を務めていらっしゃったので、縫製工場を探したいと相談したところトップ50社のリストを作ってくれました。すべての工場をリクシャ(三輪タクシー)に乗って視察交渉し、最後は3社に絞り込んで、無事にユニクロのバングラデシュ生産をスタートすることができました。

2008年からは海外事業開発の仕事に移りました。最初の仕事はロシアでの店舗の立ち上げでした。2人の仲間と一緒に、どんな国だろう、ユニクロは成立するのだろうか、どうやって会社を作るのかと現地で調べるところから始めました。さまざまな人に会い、話を聞いて回った結果から提案をまとめて役員会に通し、事務所や店舗を借りて商品の輸入も始めました。私は1号店がオープンするまで関わり、次の国での立ち上げへとロシアを離れました。

この仕事を通じて、自分が好きな仕事を強く認識しました。ユニクロを見たことも聞いたことない人たちと会って、「ユニクロとは何者であるか、何を大切にして、何を目指している会社なのか」を伝えて、「気に入ったよ、一緒にやろう」と言ってもらってようやく次の話ができる。モノではなく自分たちの価値観を売ることがビジネスの根幹であり、とてもやりがいのある仕事だと思えました。その決断にはスピード感が重要であり、いたずらに時間をかけて進めようものなら機会は逃していたでしょう。

思いがけずフィリピンへ赴任

その後、海外事業の立ち上げ担当となり台湾、マレーシア、タイにおいて1号店のオープンまでを担当しましたが、開店すると同時に別の場所に移動を繰り返してきたので、少し寂しさも感じました。社長に海外事業責任者になりたいと思いを伝えましたが、その時には「ああそう」という答えしかもらえませんでした。やがてインドネシア、インド、ベトナムそしてフィリピンと並行して進出の準備を進めていました。フィリピンでは国内最大手のコングロマリットであるSMグループとの合弁が決まり、1号店の準備が進み始めました。すると「お前が現地の社長をやれ」と言ってもらえたのです。

ブラジル・南米が専門であった自分がフィリピンに来ることになるとは、正直なところ想像していませんでした。もともと海外事業がやりたくて入った会社ですから、「是非やらせてください」と即答し、2012年の4月、マニラに移ってきました。3年のうちに店舗は23店舗まで増え、従業員1200人規模に成長しています。

私はこれまでどの国に行く時も、まず地理と歴史を勉強することがその国に対する礼儀だと思い実践してきました。自分が全社組織の中で、その国を一番よく知っている人間であることを目指すのです。そして事業責任者となった今は、自分以外の人にもこの国を好きになってもらえるように、広めていく責任も自分にはあると思うようになりました。

日本の本社にはさまざまな立場から世界のユニクロの商品、マーケティング、店舗に責任を持つ人たちがいます。自分が担当する国を彼らにも好きになってもらい、フィリピンでビジネスをするとユニクロに良いことがあると納得してもらえれば、皆の熱意がひとつになって良い仕事ができると感じたからです。真剣にこのことを考えるうちに、ひとつのロジックが見えてきました。

これまでユニクロのグローバル展開は、その多くが、ある水準以上の所得がある土地への横方向な展開でした。ところがフィリピンで縦方向の多様性に直面したのです。私たちの商品は、誰にとっても良い服であり「ライフウェア」であることを謳っていますが、フィリピンでこれを浸透させるには縦のグローバリゼーションが必要です。

ユニクロにとって、フィリピンとは、世界で今後どう変わり広がっていくべきなのかを見つけるためのマーケットでもあるのです。この国のビジネスを通じて、アジアで拡大している中間層すべてに通用するビジネスを確立することができるはずです。これは東京やニューヨークのオフィスのみで考えていても、出てきにくい発想ではないでしょうか。


Profile

1963年、東京生まれ。
大学時代にブラジルで1年間丁稚奉公。1987年YKKに入社。翌年より19年間をブラジル、アメリカ、メキシコ、シンガポールにて勤務。2006年ユニクロ入社後、ベトナム、カンボジア、バングラデシュ、ロシアなどでの勤務を経て2012年4月にマニラ着任。好きなスポーツはテニスだが、フィリピンに来てムエタイとサーフィンを始めた。
好きな言葉「汝らは地の塩なり、塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき」(マタイ福音書)。世界中どこにいても、自分には何か人のためになることがきっとできると信じている。

Contact

FAST RETAILING PHILIPPINES, INC.

http://www.uniqlo.com/ph/

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