日本とアジアの懸け橋に。
「おもてなしの精神」を
通信販売で世界に届ける

アジアンブリッジ株式会社

阪根 嘉苗Kanae Sakane

代表取締役

台湾と結んだ懸け橋を、さらに多くの国々へ懸けていきたい

根気強い取り組みが実を結び、日本企業の台湾進出支援事業は軌道に乗った。これまで支援した企業は200社以上に上る。しかし阪根は、社会に与える貢献度や影響範囲に限界を感じるようになる。コンサルティング事業は属人的な要素が強く、自分が何人もいないと事業が拡がっていかない。「懸け橋」と呼べるほどのインパクトを与えるには、事業の転換が必要。自分がいなくてもビジネスが回る仕組みそのものを作らなければ、と考えた。

 

そこで、それまでは台湾人と日本人で構成されていた組織に、マレーシアやフィリピン、中国出身者を採用。台湾だけでなく、ECの取り扱い先をASEAN諸国まで拡大することにした。実は、ASEANのECのマーケット規模をすべて合わせても、日本のそれより小さい。それゆえに、日本企業が単独でそれぞれの国に進出していくリスクがリターンの割に合わないことが、ASEAN進出を妨げていた。そこに可能性を見出したのだ。

「日本も台湾も人口が減っていきます。人口増減は経済に大きな影響を与える。人口が増えているインドやベトナムは経済も伸びていくし、日本や台湾は縮小していきます。日本にはせっかく素晴らしい商品力やおもてなしの精神があるのに、国内マーケットだけで日本人の限られた財布を奪い合うなんて、なんて不毛な戦いなんだろうと思ったんです。一方東南アジアでは、家にテレビはなくてもスマホは持っている割合が多い。つまり日本企業は、アジア・東南アジアの消費者と、手のひらのデバイスでつながれるんです。その橋渡し役を私たちが担っていこう、と」

これまでは日台の事業をメインにしていたためスタッフには台湾人が多いが、現在は日本語でのコミュニケーションが可能であれば、国籍不問で採用を行っている。

社内の雰囲気はまるで文化祭のようだと、阪根は笑う。

「先生が不在の文化祭。裁量権があるどころか、もう『大あり』です。クライアントとの打ち合わせ中も、私の決裁なしにメンバー主導ですべて決定していくので、私が社長だということを最後まで先方に気付かれないことも珍しくありません。私もメンバー同士も、お互いを信じ合っているところが当社の自慢ですね」

社内公用語が日本語といっても、やはりグローバルカンパニーだ。いわゆる日本企業と比較すると、働き方はかなり柔軟。「仕事を最優先するのは、アジアの中でも日本人くらい」と阪根が言うように、家族の体調が悪ければ休むのは当然という考え方が受け入れられているし、それぞれのバックグラウンドを尊重する空気がある。

他者の考え方や価値観を大切にする社風はそのまま、サービスの精神にも反映されている。アジアンブリッジの価値は、単に日本商品を海外に売ることだけではない。モノづくり大国である日本の最大の武器は、やはり「おもてなし」の精神であると、阪根は繰り返す。モノはすぐに模倣されてしまう。けれど、相手の立場に立った提案やアフターフォローなどのサービス面は、そう簡単には真似できない。

「なぜなら、そこには日本の美徳である『真心』があるから。質の高い商品に付随する思いやりは、世界中に感動を与えるほど圧倒的なレベルです。それを私たちは世界へ伝え続けていきます」

インタビュアーの目線

台湾生まれの日本育ちで、日本語・中国語・台湾語を自在に操るトリリンガル。数年前に自らの拠点も台北へ移してからというもの、何かが吹っ切れたように、事業コンセプトがビシッと定まり、会社も急成長を遂げています。その細腕からは想像もつかない辣腕ぶりは「楽しいうちは仕事じゃない」と語る根っからのストイックさと、学校のような社風を良しとする受容力の賜物なのかもしれません。

インタビュー・編集/垣畑光哉ニシブマリエ 撮影/出島悠宇

Profile

1979年台湾高雄市生まれ。小学生のときに日本に留学。台湾で会社経営する両親の影響により、幼い頃から自らも経営者を志す。早稲田大学大学院卒業後、多くの経営者に出会え、かつ営業の経験を積みたいという思いから、株式会社リクルートエージェント(現:リクルートキャリア)に入社。新規開拓営業を得意とし、年間100社以上の新規企業を開拓。その後、幼い頃からの夢であった台湾と日本の懸け橋となるべく、2010年にアジアンブリッジ株式会社を設立。現在は化粧品や健康食品、Web事業のローカライズを中心に、これまでのべ200社以上の進出支援を行う。

Contact

アジアンブリッジ株式会社

東京都千代田区三崎町1-4-17 東洋ビル11F

http://www.asian-bridge.com/