日本とアジアの懸け橋に。
「おもてなしの精神」を
通信販売で世界に届ける

アジアンブリッジ株式会社

阪根 嘉苗Kanae Sakane

代表取締役

台湾と日本、自分のアイデンティティに悩んだ10代

台湾系日本人の父と生粋の台湾人の母の間に生まれた阪根は、6歳まで台湾で暮らした。祖父母は日本が台湾を統治していた時代に教育を受けた世代。家では日本語を話し、日本の魅力をよく語っていた。そして「大切な孫に日本の教育を受けさせたい」という想いから、幼い阪根を連れて日本に移住。日本国籍を取得した。

しかし大学生の頃、阪根は1年ほど台湾に戻り、両親と暮らした。日本での生活を続ける中で、「私のアイデンティティはどこにあるんだろう」という葛藤を抱き続けていた。その答えを探すためだった。

「祖父母からは『もう日本人なのだから台湾のことは忘れなさい』と言われ、両親からは『台湾人であることに誇りを持って生きなさい』と言われる。台湾の言葉も文化も人の気質も、私の一部であることは間違いありません。でも、私を育ててくれたのは日本の友達や学校の先生たちであるのも事実。どちらかを選ぶことはできませんでした」

悩み抜いた末、『選べないことこそが答え』と気付いた。自分のアイデンティティは台湾と日本のどちらにもある。「両者の懸け橋となるために生を受けたのだ」と思うと、これまでの葛藤はスーッと昇華されていった。そして、「日本と台湾のために、いつか起業しよう」と決意。大手人材会社に6年勤務した後、30歳のときにアジアンブリッジを設立した。

「日本の優れた商品を台湾に紹介したい」。そう考えていた阪根は、伝統工芸品や職人の手作りの日用品を何十個もスーツケースに詰め込み、2週間に1回のペースで日本と台湾を往復した。そんなとき、台湾でテレビショッピングが急成長しているのに着目。テレビ局に営業を仕掛ける。何度も通っていると「いつもユニークな商品を持ってくる人」と関心を持たれ、取引開始にこぎ着けた。日本のメーカーの商品を台湾のテレビ局に売り込み、商談が成立すればメーカーから報酬を受け取るビジネスモデルを作ったのだ。

「ようやく日本と台湾を結ぶビジネスに携わることができる」。そう思った矢先のことだ。テレビ局から、大量購入を条件に価格を半額にするよう要求された。それができなければ、今後取引はしないという。台湾の物価は日本の約2分の1。日本商品の品質がどんなに優れていても、台湾の人たちには高価すぎたのだ。阪根は日本に戻り、職人たちに値引き交渉を行った。そして、このとき返ってきた言葉が、今も耳に残っている。

「がっかりしました。あなたは日本の商品の良さを台湾に伝えるためのビジネスをしているのだと思っていました。それなのに、僕らが作ったものを買い叩くんですね」。

自分が卸売業者として利益を得る事業モデルでは、どうしても日本企業に無理を強いることになる。「私がやりたかったのはこんなことじゃない」と、阪根は卸売業から手を引いた。そして再び、日本と台湾の懸け橋になる道を探り始めた。

新たに見つけたのは、「台湾への進出を考えている日本企業との協業」だった。一例を挙げると、化粧品や健康食品の通販会社に広告代行サービスを提供している企業と手を結び、台湾進出を支援するという取り組みだ。現地のコールセンターとの提携や、受注・決済・梱包・配送といったサプライチェーンの構築――ゼロから仕組みを作るのはやはり大変だった、と当時を振り返る。

「日本のコールセンターでは当たり前に行われていることでも、台湾企業では『なぜそこまでしなくてはならないのか』という感覚。そこで、日本企業がなぜ細かいことにこだわるのかの背景から説明し、日本側の要望に応える方法を一緒に考えました。それは日本と台湾、両方の商慣習を理解している私たちだからこそできることだったんです」

Profile

1979年台湾高雄市生まれ。小学生のときに日本に留学。台湾で会社経営する両親の影響により、幼い頃から自らも経営者を志す。早稲田大学大学院卒業後、多くの経営者に出会え、かつ営業の経験を積みたいという思いから、株式会社リクルートエージェント(現:リクルートキャリア)に入社。新規開拓営業を得意とし、年間100社以上の新規企業を開拓。その後、幼い頃からの夢であった台湾と日本の懸け橋となるべく、2010年にアジアンブリッジ株式会社を設立。現在は化粧品や健康食品、Web事業のローカライズを中心に、これまでのべ200社以上の進出支援を行う。

Contact

アジアンブリッジ株式会社

東京都千代田区三崎町1-4-17 東洋ビル11F

http://www.asian-bridge.com/