人生は最初から美味しいステーキ

株式会社ハーツユナイテッドグループ

宮澤 栄一Eiichi Miyazawa

代表取締役社長CEO

2度の倒産を経験

私は常々「社長にだけはなりたくない」と思っていました。その理由は、両親が自営業で2度失敗したのを見て育ったからです。

最初の倒産を経験したのは私が小学生の時です。父が経営していた工場が借金を抱えて倒産し、生活は一夜にして一変しました。それまで優しかった周りの大人の対応が急に冷たいものになり、長男である私は身を隠していた父に代わり、厳しい借金の取り立ての対応と、母と小さな弟2人を守るため、子どもながらとにかく必死でした。その経験によって培われた「お兄ちゃん気質」のためか、友達からはよく頼られる存在で、成績も優秀で小学校では児童会長、中学校では生徒会長を務めました。そのような中、高校を卒業する頃には、父も家に戻り、新たにパチンコ店を経営するようになりました。

当時、私は大学進学を考えていましたが、父に相談すると、「どうせ遊ぶつもりだろう」と開口一番に言われました。図星でした。お前みたいなのは社会で通用しない、だから家業のパチンコ店を手伝えと言うのです。当然、素直に納得できませんでしたが、「父に自分の考えの甘さを見透かされた」という恥ずかしさと、「父を見返したい」という悔しさから、高校卒業後まもなく父の会社に就職し、パチンコ店で働き出しました。新米である私にとって、まったく違う世界、環境で働くことは悔しいことの連続でした。

今振り返ると、その経験が私の「社会人」としてのベースにあると思っています。その中でも、一番自分が変わったのは、「広い視野を持つ」という点です。当時、私は「早く一人前になりたい」という思いから、たくさん提案をして意見も言いましたが、誰も聞いてくれません。初めは周りに対して不満を持っていましたが、「どうすれば聞いてもらえるのか」を考えた時、自然と自分の視野が狭かったことに気づきました。新米の自分が意見するためには、店のすべての業務を理解する必要があると思い、それからは自分から率先して教えを請うようにしました。その時から、自分の中で何かが大きく変わったと思います。

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Profile

1972年栃木県生まれ。
1991年有限会社宮澤商事入社、家業に従事。1996年同社を退社。作詞家として大手音楽プロダクションに所属。2001年デバッグ専門企業である有限会社デジタルハーツを設立し、代表取締役社長に就任。設立後、デバッグの専門性の追求に加え、メディア事業等新たな事業にも積極的に参入するなど、事業規模の拡大にも注力。2013年10月に同社グループは持株会社体制へ移行したため、同社の代表取締役社長CEOを退任。親会社である株式会社ハーツユナイテッドグループの代表取締役社長CEOに就任し、現在に至る。

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