夢に近づくための目標を一つずつ達成していく
株式会社ダイヤコーポレーション 代表取締役 太田 大哉

株式会社ダイヤコーポレーション

太田 大哉Daiya Ota

代表取締役

2015.10.06

ブランド品のリサイクル事業との出会い

私の名前は父が宝石を扱う仕事をしていたためか、「ダイヤモンドのように」という意味で名づけたと聞いています。物心つく中学生の時にはすでに、「いずれは宝石を扱うような仕事に就きたい」と考えていたので、就活の時は迷わず百貨店を受けました。百貨店の外商部に配属になれば、富裕層を相手に宝石も扱える、そのうえ自分自身も成長できると考えたからです。

しかし、内定後も続けていた就活で考えが一変。というのもリサイクル品販売チェーン大手、株式会社大黒屋の説明会で、「これからの時代はリサイクルだ」という話を聞いたからです。リサイクルというと、私は家電や古着などのイメージでした。しかし、「日本人は宝石やブランド品などをたくさんタンスに眠らせている︒それをリサイクルして転売するニーズは今後どんどん高まる」という話は、私の考え方を180度変えたのです。

百貨店の商品はだいたい価格が決まっていますが、リサイクル品は状態やその価値によってゼロ円にもなれば何万円にもなる。私はこのようなビジネスの方が絶対に面白いと思い、株式会社大黒屋への入社を選びました。

そこで2年半リサイクル品の売買などを学び、25歳で最初の独立を果たしました。2009年に当社を設立し、ブランド品の買い取り・販売と、ブランドオークションの運
営を手がけています。一般的にリサイクル業界は買い取った商品を店舗で販売して利益を得ますが、当社はオークションという販路をもっていることが他社と大きく異なります。世界的に見ても日本はリサイクル先進国であり、ブランド品などをリサイクルして販売する文化は日本にしかありません。自動車や不動産などは中古品が売買されますが、ブランド品などの小物をきれいに使用してリユースするという発想がないからです。

それが近年、アジアを中心とした海外のお客様がリサイクル品に注目するようになり、需要がどんどん伸びています。そこで、当社でオークションを運営し、海外のバイヤーも巻きこんで中古ブランド品の売買をしているのです。

いま、渋谷に2店舗、「TIMELESS TOKYO by Paulaʼs」というショップ名で展開していますが、ここはヴィンテージ(年代物)商品を扱っています。当社の言うヴィンテージというのは、その商品が生まれた時から現在までの歴史を指しています。たとえば、銀座の一等地に店舗を構えるような有名ブランドには、歴史のある商品もたくさんありますよね。ただ、店舗に行ってしまったら最新作しか手に入りません。しかし、そのブランドの古い歴史を知れば、新しい発見があり良いものに出会える、だから「TIMELESS」なんです。こういうコンセプトをしっかりと持っているところが、当社の強みだと思っています。

「自信と過信は紙一重」を学んだ過去

私は小さい頃から両親が別居しており、母親と6歳離れた弟と3人暮らしをしていました。大学生の時に両親が正式に離婚。それまでの生活から一転、一軒家から古びたアパートに引っ越しをしました。母親もつらかったと思いますし、まだ思春期真っ只中の弟は気持ちの整理ができなかったと思います。この時から、母を支え、弟の父親代わりになり、太田家を支えていくんだという意識を強くもつようになりました。引っ越しをした日の夜、親子3人で約束したのは、1日も早くここから脱出し、いつか弟と2人でお金を稼いで母親に親孝行しようということでした。また特に弟にはサッカーの才能を感じていたので、その才能を開花させたいという強い想いもありました。私はそれを支えながら、社会人としてお金を稼ぐ。そうして太田家を豊かにしようと誓いあったのです。そうして僕が社会人になって間もないころ、1日でも早く今の生活を抜け出し、もっと良い家に母親を住まわしてあげたいという気持ちから、弟と2人で35年のフルローンでマンションを購入したんです。

私の経営者人生は苦労の連続でした。最初の会社を始めた時、全国的にリサイクル店がどんどん増えている時期だったこともあり、毎月増収増益で、会社は右肩上がりで成長していました。しかし、ビジネスというものは、社員、取引先、お客様、家族などから支えられて、初めて成り立つものだと思います。まだ若く世間知らずだった私はそういう原則を考えず、「皆、俺についてこい」というスタンスで拡大路線を主張していました。会社の成長は、すべて自分の力だという驕りがどこかにあったかもしれません。

その結果、設立からわずかq年で他の役員との方向性の違いから、私は会社を手放すことになってしまいました。

その時はさすがに人生で一番辛い時期でした。唐突なことでしたし、自分を信頼して入社してくれた社員を残して去らねばならないことがとにかく辛かった。しかし、まず決めたのは「1週間は落ち込もう」ということです。1週間は何もせず、誰ともコンタクトをとらない。この時期が過ぎたら、とりあえず何か仕事をしようと決めました。

そして、最初にやったのがコンビニの深夜アルバイトでした。当時住んでいた高級タワーマンションの1階にあった店舗に勤めました。正直、屈辱的な思いはありましたが、何もかも失って落ち込んでいる時期など、人生の中でもなかなか経験できることではありません。ならば、その時期にしかできないことを一生懸命しようと思ったのです。

しかしそれは結果的にとても良い経験となりました。なにせ数年ほど前は自分も必死でアルバイトしていた身です。それなのに、なぜこんなに調子に乗っていたのか。自分の原点は、もっと地道な部分にこそあるのではないか。結局、地道に生きることをどこかで格好悪いと思っていた自分に気づいたのです。夢や憧れを追って上ばかり見てきたけれど、生きるためにしっかりと足下を見ないといけなかったのだと反省しました。

その時、心に決めたのが「夢ばかり追うのはやめよう」ということです。もちろん、夢を追うことはとても大切ですし、私にも夢はあります。しかし、夢ばかり追求していると、どうしても大きく膨らみすぎて、どこから手をつければいいか分からなくなってしまいます。そこで、夢とは別に的確な目標を作るようにしたのです。

夢と目標は似て非なるもので、まず現実的な目標を定めて、その先にある夢に向かって少しずつ進んでいく。まずはその目標を達成しなければ、夢には近づけません。夢を持ったならば、実現するための目標を一つ一つ達成していく。その目標も「今日は誰かを回幸せな気持ちにしよう」といったような小さなもので構いません。

もう一つ重要視していることは「自信と過信は紙一重」と常に自分を戒めることです。これはJリーガーになった弟が、最初に所属したチームから移籍する際に、チームメイトの元日本代表・三浦淳寛さんから贈られた言葉で、太田兄弟の座右の銘にしています。自信を持った時ほど、過信ではないかと自分を見つめ直す。「俺はやれるぞ」という気持ちは重要なことですが、そう思いながら足下を見つめ、謙虚さを失わずに周りにいる人たちへの感謝の気持ちを忘れず、生きることが夢へと続くのではないでしょうか。

太田 大哉

Profile

1981年、東京都生まれ。
2009年4月、ヒュペリオン株式会社(現 株式会社ダイヤコーポレーション)を設立、代表取締役に就任。これまでの常識を打ち破る業者向けブランドオークション「レストランオークション横浜ベイサイド」の運営開始。2012年9月、リユース業界最大手の株式会社コメ兵と「レストランオークション名古屋」の共同運営開始。2013年3月、ヴィンテージセレクトショップ「TIMELESS TOKYO byPaula’s」を運営する、ジェイアンドディーインベストメント株式会社を設立、代表取締役に就任(兼任)。2015年にはゼロ円引越を武器に賃貸不動産店「らくベヤ渋谷本店」を展開。弟はサッカー日本代表太田宏介。

Contact

株式会社ダイヤコーポレーション

東京都渋谷区南平台町16-29 グリーン南平台ビル6F
http://www.dai-ya.co.jp/

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