「大胆な権限委譲で圧倒的に成長する」

株式会社東京一番フーズ

坂本 大地Daichi Sakamoto

代表取締役社長

 目次

死ぬほど仕事が嫌いな社長のもとで学んだこと

私が飲食の世界に入ったのは、高校3年生のときに始めたアルバイト先の社長に口説かれたのがきっかけです。その会社は、いまでいうベンチャー企業。社長は「浪速魂のかたまり」のような強烈な個性の持ち主でした。正々堂々とお客様と向き合って商売をする方で、当時26歳ながら稼ぎも凄い。「この社長のような起業家になりたい」と、卒業を待ちきれずに卒業式直前に高校を中退。社員として働くことになりました。

入社初日のこと。アルバイトをしていたディスコが自分の職場だとばかり思っていたところ、社長がいきなり「魚屋をやる」「よし、お前は今日から仕入れ部長だ」と言い出すではありませんか。魚の名前すら知らないのに、もう無茶苦茶な社会人生活のはじまりでした。

魚屋というのは、当時はまだ珍い「活魚ビジネス」でした。魚を生きたまま運ぶのですが、初めのうちは、産地から大阪まで運ぶ間に、半分も生きていればいいほうでした。そこで、輸送技術や物流などを試行錯誤した結果、いろんな魚を生きたまま運べるようになり、それまで高価だった活魚を安く提供できるようになったのです。また、鮮魚についても、慣例であった中間業者を省き、さらに現金による市場での直接買い付けによって、安く買える仕組みを確立。良いものが安いということで、たくさんの注文が舞い込み、私は19歳にして立派な仕入れ部長になっていました。

しばらくして、「自分たちで店をやろう」ということになり、大きな水槽で泳ぎ回る活魚を、注文時に生きたまま捌さばいて提供する飲食店を開業。そのスタイルが大ヒットし、増店を重ねるうちに、5000万円だった年商がわずか3年で20億円、5年で30億円にまでなりました。社員も7人から200人に増え、私自身も仕入れ子会社の社長になっていました。あまりの急成長ぶりに、とにかく忙しい毎日でしたね。

早朝から市場で仕入れをし、昼は配送をしたり、店でタイやヒラメを捌いたり、時には料理人が足りずに厨房に入ることもありました。夕方からはフロアの手伝いやアルバイトの教育までこなして、仕事が終わるのは毎晩11時過ぎ。その他にも、求人や店舗設計、税金の申告などもやっていました。

何しろ、その社長が「死ぬほど仕事が嫌い」と公言する人で、朝方に会社へ姿を見せたかと思うと、すぐに出掛けてしまい、時々私たちにお店の夢を語るだけなのです。当然、仕事は私を筆頭に、社員全員に丸投げ状態。そのおかげで勉強もたくさんしなければならず、休みも、寝る時間さえも無いような日々でしたが、こうして仕入れ・調理・フロア・経理・教育のすべてを掛け持って働いたことが、独立後のビジネスモデルや事業の強みへとなっていきました。

Profile

1967年大阪府生まれ。
18歳のときから大阪の鮮魚店で、魚の仕入れから販売までを経験し、23歳で暖簾わけで独立。大阪で数店舗を運営後、東京に進出。
「とらふぐ料理を切り口に、日本の食文化を変えていきたい」という想いから起業。1996年、新宿歌舞伎町に「泳ぎとらふぐ料理専門店 とらふぐ亭」新宿本店をオープン。1998年に有限会社東京一番フーズを設立。2000年に株式会社へ移行。中間業者を通さず、産地からダイレクトに仕入れを行うことにより、高級な国産とらふぐのフルコースをリーズナブルな価格で提供、業界に革命を起こす。2006年に東証マザーズに上場を果たす。2011年2月、漁業行使権を取得し、6次産業化を進め、事業拡大。

Contact

株式会社東京一番フーズ

本社〒160-0022東京都新宿区新宿5-6-1 新宿やわらぎビル4階

TEL:03-5363-2132

URL:http://www.tokyo-ichiban-foods.co.jp/