「大胆な権限委譲で圧倒的に成長する」

株式会社東京一番フーズ 代表取締役社長 坂本 大地

坂本 大地Daichi Sakamoto

株式会社東京一番フーズ

代表取締役社長

2015.03.31

死ぬほど仕事が嫌いな社長のもとで学んだこと

私が飲食の世界に入ったのは、高校3年生のときに始めたアルバイト先の社長に口説かれたのがきっかけです。その会社は、いまでいうベンチャー企業。社長は「浪速魂のかたまり」のような強烈な個性の持ち主でした。正々堂々とお客様と向き合って商売をする方で、当時26歳ながら稼ぎも凄い。「この社長のような起業家になりたい」と、卒業を待ちきれずに卒業式直前に高校を中退。社員として働くことになりました。

入社初日のこと。アルバイトをしていたディスコが自分の職場だとばかり思っていたところ、社長がいきなり「魚屋をやる」「よし、お前は今日から仕入れ部長だ」と言い出すではありませんか。魚の名前すら知らないのに、もう無茶苦茶な社会人生活のはじまりでした。

魚屋というのは、当時はまだ珍い「活魚ビジネス」でした。魚を生きたまま運ぶのですが、初めのうちは、産地から大阪まで運ぶ間に、半分も生きていればいいほうでした。そこで、輸送技術や物流などを試行錯誤した結果、いろんな魚を生きたまま運べるようになり、それまで高価だった活魚を安く提供できるようになったのです。また、鮮魚についても、慣例であった中間業者を省き、さらに現金による市場での直接買い付けによって、安く買える仕組みを確立。良いものが安いということで、たくさんの注文が舞い込み、私は19歳にして立派な仕入れ部長になっていました。

しばらくして、「自分たちで店をやろう」ということになり、大きな水槽で泳ぎ回る活魚を、注文時に生きたまま捌さばいて提供する飲食店を開業。そのスタイルが大ヒットし、増店を重ねるうちに、5000万円だった年商がわずか3年で20億円、5年で30億円にまでなりました。社員も7人から200人に増え、私自身も仕入れ子会社の社長になっていました。あまりの急成長ぶりに、とにかく忙しい毎日でしたね。

早朝から市場で仕入れをし、昼は配送をしたり、店でタイやヒラメを捌いたり、時には料理人が足りずに厨房に入ることもありました。夕方からはフロアの手伝いやアルバイトの教育までこなして、仕事が終わるのは毎晩11時過ぎ。その他にも、求人や店舗設計、税金の申告などもやっていました。

何しろ、その社長が「死ぬほど仕事が嫌い」と公言する人で、朝方に会社へ姿を見せたかと思うと、すぐに出掛けてしまい、時々私たちにお店の夢を語るだけなのです。当然、仕事は私を筆頭に、社員全員に丸投げ状態。そのおかげで勉強もたくさんしなければならず、休みも、寝る時間さえも無いような日々でしたが、こうして仕入れ・調理・フロア・経理・教育のすべてを掛け持って働いたことが、独立後のビジネスモデルや事業の強みへとなっていきました。

商売で負った借金は、商売で返す

独立したのは23歳のとき。18歳で入社した頃、社長に「5年経験を積めば商売人になれる」といわれ、その5年が経過していました。人の何倍も働いてきたという自負や、やり切った感が背中を押すきっかけになり、私は独立を決意しました。

しかし独立を決めたものの、先立つものがなかった私は、社長に2000万円を貸してくれるように頼みました。するとどういうわけか、借金の条件としてディスコ経営を命じられます。元々、ディスコで働いていた私はお安い御用とばかりに、引き受けました。とにかく社長になりたかったのです。

早速、勇んでディスコの本場ニューヨークに視察旅行へ。いまでいうクラブが流行っていると知り、そのスタイルをそのまま持ち込んだのですが、これがまったくお客が入らない。関西でもローカルな立地だったことが完全に裏目に出ました。良いものさえ仕入れればなんでも売れるものだと、高を括くくっていたんだと思います。マーケティングというものをすっかり勘違いしていました。結局、わずか4カ月で運転資金が底をつき、会社は実質的には倒産状態。ビラ配りなど、考えられることはすべてやりましたが、万事休すでした。これまでの成功は、実は社長のおかげだったのだと痛感しました。

人生で初めての大きな挫折。脳裏には社長からの借金2000万円が重くのしかかります。約4カ月間、今までにない程に悩みました。その末の結論は、「商売で負った借金は、商売で返す」でした。そこで、これまでに築いた自分の得意分野を、もう一度見つめ直したときに浮かんだのが「水産」そして「飲食」でした。

厚かましいのを承知で、社長にもう一度2000万円を貸してくれるように頼み込んだところ、またしても快諾。リベンジのチャンスが巡ってきました。

翌月、現在のとらふぐ亭の原型となるふぐ料理店を、大阪で開業しました。活魚店での経験を活かしたその店は「大阪でふぐの価格破壊をした第1号」ということで話題となり、行列ができるほど繁盛。4年間で年商6億円にまで成長して、借金4000万円も無事返すことができたのです。

その後も大阪で店舗展開をしていったのですが、恩人である社長もふぐ料理店を経営していたこともあり、次第に競合することが増えるようになってきました。恩をあだで返すわけにもいかないと思い、私は東京に進出することを決断。周囲の方からは「東京の人は、ふぐを食べない」といわれる中、それなら逆にチャンスじゃないか、と腹を括りました。

半年間、東京に住み込み、自分の足でマーケティングした末、手て応ごたえを感じた私は、大阪の店をすべて売却。大阪と雰囲気が近いという理由で新宿・歌舞伎町に「とらふぐ亭」1号店をオープンさせました。さすがに人の数が桁けた違いな東京では、初年度から行列が大阪の2倍。テレビや雑誌にも多数取り上げられ、有名店になっていったのです。

東京一番フーズ-坂本様

Profile

1967年大阪府生まれ。
18歳のときから大阪の鮮魚店で、魚の仕入れから販売までを経験し、23歳で暖簾わけで独立。大阪で数店舗を運営後、東京に進出。
「とらふぐ料理を切り口に、日本の食文化を変えていきたい」という想いから起業。1996年、新宿歌舞伎町に「泳ぎとらふぐ料理専門店 とらふぐ亭」新宿本店をオープン。1998年に有限会社東京一番フーズを設立。2000年に株式会社へ移行。中間業者を通さず、産地からダイレクトに仕入れを行うことにより、高級な国産とらふぐのフルコースをリーズナブルな価格で提供、業界に革命を起こす。2006年に東証マザーズに上場を果たす。2011年2月、漁業行使権を取得し、6次産業化を進め、事業拡大。

Contact

株式会社東京一番フーズ

本社〒160-0022東京都新宿区新宿5-6-1 新宿やわらぎビル4階

TEL:03-5363-2132

URL:http://www.tokyo-ichiban-foods.co.jp/

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