
病院を飛び出した理学療法士が鳥取県でつくる「つながり」
日本ファイナンシャルプランニング株式会社
FP事業部
鹿野泰嗣 / Yasutsugu Kano
「企業理念は、For Client、For Member、For JAPAN」
お金や住まいのことなど、顧客の人生の悩みや困りごとをジャストプランで解決する日本ファイナンシャルプランニング株式会社。同社では、社員全員が顧客にとって総合的なライフプランニング・パートナーであり続けることを使命にしている。FP事業部に所属する鹿野泰嗣は、自社の社風について「まさに企業理念そのもの」と話す。
「お客様を本気でサポートするには、一つの商品だけでは足りないケースも出てきます。しかし、弊社は保険金融商品や不動産の代理店。お客様にジャストフィットする商品でプランニングできるのが強みです。そんな弊社での仕事は、私にとってこれ以上ないほどの天職。どんなときでも最適かつ最良なプランで、お客様の幸せと安心に貢献できる。四六時中、お客様のことを考えられる毎日にやりがいを感じています」
柔らかい表情と物腰が印象的な鹿野だが、その様子からはうかがい知れない、静かで熱い情熱を内に秘めている。
東京都出身で、幼い頃は好奇心旺盛で感受性豊かだったという鹿野。中学時代はプロ選手を夢見て野球に打ち込むも、実力不足を感じて断念。大学卒業後は、唯一好きな酒に関わる仕事がしたいと、洋酒貿易会社に就職した。
バーに卸すために立ち上げられた新規事業部への配属を希望していたが、面接で社長から高く評価され、配属は社内で花形のパティスリー事業部の営業に決まる。ところが、鹿野は甘いものが苦手だった。
「毎日、甘い香りが漂うパティスリーを訪問するのは、仕事とはいえ苦痛でした。パティシエやパティシエールのオーナーシェフたちとも話が合わない。共感できないから、営業しても信頼してもらえず、商品も売れない。まさに悪循環でした」
だが、鹿野は諦めなかった。苦手なケーキを克服してパティシエたちの信頼を勝ち取ろうと、営業先でケーキを購入しては、営業車の中で食べる生活を続けた。日に3個は食べていたという。
「最初は甘さしか感じられなかったのに、同じ素材でも少しずつ味の違いに気付けるようになりました。使われている栗は国産かフランス産か。洋酒はラムかブランデーか。そうした違いまでわかるようになってくる。おかげでパティスリーのオーナーシェフたちとの会話の内容が変わり、次第に信頼してもらえるようになっていきました」
鹿野の努力が少しずつ実を結び、いつしかパティシエたちの間で「すごい営業マンがいる」と有名に。その噂を聞きつけた保険会社から、ある日、スカウトが来る。
「勤めていたメーカーではお酒は売れるけど、それ以上のことは何もできない。営業担当としていろんな相談を受けるのに応えられない。パティシエたちに対して自分ができることはなんて少ないんだろうと、もどかしい気持ちでいました。そのタイミングでのスカウトに、これは!と思い転職を決意しました」
35歳のとき、13年勤めた洋酒貿易会社から保険会社へ転職。以来6年間、保険商品を介して顧客の人生に寄り添う日々を過ごし、とても満足していた。しかし、とある顧客の一言がその状況を一変させる。
「『ほかの保険会社の商品のほうが安いから』。内容はどちらも同等で価格で押し負けました。私には契約できなかったことよりも、お役に立てなかったことが何よりも残念で。それを知人に相談したら、代理店のほうが向いているのではないか、と言われたのです」
代理店であれば一つの保険会社に限定せず、顧客にジャストマッチな商品を案内できる。「今以上に顧客に寄り添えるのでは?」と考えていたところに、前出の知人から声がかかる。驚くことに、その知人は現職の社外取締役だったのだ。
「退職するなら社長を紹介するよ、と。会ってみたら、別の支社の元同僚で。彼は先に独立して弊社を起業。私を誘いたいと思ってくれていたそうなんです。ご縁を感じて『これは転職するしかない!』と思い、今に至ります」
日本ファイナンシャルプランニング株式会社に転職して2年。お金や住まいなど人生における大きな局面だけでなく、顧客の日々の困りごとにも寄り添える今の仕事に鹿野は「充実感でいっぱい」と話す。
「仕事が趣味」と言う鹿野に、自身の今後の展望について聞いてみた。すると、誠実な人柄が溢れる言葉が返ってきた。
「一生現役で、お客様のお役に立ち続けられる存在でありたいです。私の信条は『因果俱時(いんがぐじ)』。『今』は過去の結果であり、同時に未来の原因でもあります。だから、今を全力で生きることが大切なんです。ご縁を大切にしていれば、それ相応の未来が訪れる。これからも今までと変わらずに、いただいたご縁を大切にしながら丁寧にご縁をつないでいきたいと考えています」
インタビュー・執筆:浜田みか/編集:勝木友紀子
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