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ストーリー代表・CEO

「世界中を躍らせる」。 芸能の限界に挑戦する 阿波踊り集団

代表_寶船

国内外で年間200公演。
満足度は90%以上

「踊り出したら、命懸け」を
体現し、世界中の人々と
感動の体験を共有する

寶船 BONVO
リーダー
米澤 渉 / Wataru Yonezawa

世界を魅了する阿波踊り界の異端児

ステージ上に立つ赤い法被姿の男女。その背中には「宝」の文字。

深い呼吸の後、「ヨッ!」という言葉を合図に、大太鼓の音が腹の奥底に響き渡る。会場を一瞬の静寂が包む。寶船(たからぶね)のパフォーマンスの始まりだ。

鉦(かね)の甲高い音、締太鼓(しめだいこ)で刻む小気味よいリズムに連員の「やっとさー、やっとやっと!」という掛け声が混ざり合う。手を高く掲げ、足を前後に激しく動かす。ときに高く飛び跳ね、髪の毛を振り乱しながら踊る姿が、観客を徐々に非日常にいざなう。

徳島県を発祥とし、400年の歴史を持つ阿波踊り。毎年8月12日から15日までの4日間開催される徳島市の阿波踊りには10万人が繰り出す。その中においてひときわ異彩を放つのが創作舞踊集団「寶船」。彼らを束ねるのが連員から「わたる先生、わたる兄」と慕われるリーダーの米澤渉だ。

阿波踊りといえば、一糸乱れぬ動きがイメージされるが、そこから逸脱した彼らを、「もはや阿波踊りではない」と評する者もいる。しかし米澤は「歴史を軽んじているわけではない」と断言する。

「阿波踊りはもともと個性のぶつかり合いで、心の赴くままに踊るものでした。連長である私の父が幼かった頃は、踊り手に近づくことさえためらわれるほどの迫力があったと聞いています。しかし、いつからか型にはまり、美しい手の動きや足の運びこそが本来の姿であるという固定観念に囚われてしまった気がします」

阿波踊り、ひいては伝統芸能を取り巻く現状は決して楽観視できるものではない。いつだって文化の中心には若い人がいた。しかし現在、伝統文化は「ダサい」「古くさい」と見る若者も少なくない。このままでは歴史ある文化が担い手の減少により消えて行ってしまう。次の世代に魅力を伝えなければ自分たちが最後になる。

考えた末、米澤が導き出した答えは「阿波踊りをアップデート」することだった。ダサいものはかっこ良いものに、古いものは新しいものにすればいい。大正・昭和時代にも、阿波踊りはジャズの影響を受けカンカン帽をかぶり、管楽器を使った時期があった。それと同様に自分たちが変化の先頭に立とう。

一見、歴史を壊しているかに思われた寶船。しかしもっとも原点に近い存在になった瞬間だった。型にはまらない表現を続ける米澤は次々と公演の場を広げ、結婚式場や企業パーティー、海外で行われるJAPAN EXPOにも招待されるようになった。どの公演でも観客の満足度は90%を超える。

「言葉が通じないパリやニューヨーク、香港。控えめな方が多い国内、さまざまな国と地域で、私たちは年200回の公演を重ねてきました。どの舞台でも私たちが巻き込めなかった人はいません。誰でもマネできる、マネしたいと思わせる。それが阿波踊りの強みでもあり寶船の強みです」

かっこ悪いと思っていた踊りこそが自分のアイデンティティ

第一線で活躍する米澤だが、阿波踊りに抵抗感を抱いていた時期もあったという。

寶船を立ち上げた連長である父の影響で踊りを始めた。もちろん、日本の伝統文化と言われるだけの魅力があった。しかし小学生になり、周りの同級生がサッカーやバスケといったスポーツをするようになってくると、次第に自分は「かっこ悪いことをしているのではないか」と思うようになっていった。

「『今度お祭りに出るから学校にポスターを貼ってもらったら?』と親に言われたのでポスターを持って行ったことがありました。先生にお願いすればいいだけのことですよね。しかし、当時の私は、周りの友人から『こんなことをやってんの?』と言われるのではないかと思ってしまったんです。結局掲示板への張り出しをお願いすることはできませんでした。阿波踊りをかっこ悪いと思っている自分に、初めて気付きました」

中学・高校時代、踊りと並行して音楽活動を行っていた。19歳の頃にはバンドを結成。ブルースの曲調に詞をのせ、想いをぶつけているうちにファンが少しずつ増えていった。全国ツアーを行うまでにもなった。しかし、どうしても他のバンドの真似になってしまい、自分らしさを表現しきれない。そんな葛藤に駆られていたとき、あるディレクターからこんなことを言われた。「売れるアーティストは、歌に人生のアイデンティティを込めて表現している」。

自分らしさとは何か…米澤の頭に浮かんだ言葉はたった一つ「阿波踊り」だった。

バンドの方向性に悩み、解散を決断した2011年、米澤に転機が訪れた。寶船創設以来、初の海外公演がハワイで行われることになったのだ。現地入りしたのは日本時間、3月11日。「東日本大震災」が起きた日だった。

ハワイは夜を迎え、すでに辺りは暗い。外出していた米澤たちだったが、異変にはすぐに気付いた。路上がにわかにざわめき立ち、ホテルに戻りテレビをつけると津波で流される街が映っていた。「日本で大変なことが起きている」。それだけはわかったが、自分たちにできることは明日の公演を成功させること以外になかった。

翌朝を迎え、米澤たちがステージへ立つ時間になった。津波がハワイまで到達するかもしれないという情報の影響か、舞台から見える観客の目の中、表情に恐怖や不安があるのは一目瞭然。それでもいま、自分たちには阿波踊りしかない。その想いを胸に躍り始めた。

演技が終わった。緊張のせいか、感覚で言えば数分だったかもしれない。今できる最高のパフォーマンスをした。そう思えた踊りだった。舞台を降りると現地の人から「元気が出た」と言わんばかりの抱擁を受けた。湧き上がる歓声。ひっきりなしに求められる握手。どれも初めての経験だった。

「ずっとかっこ悪いと思っていた僕たちの踊りが、日本から遠く離れた地で、こんなにも勇気を与え、元気を生み出せるとは思ってもみませんでした。今まで阿波踊りをする自分のことを否定的に捉えていたんですけど、このとき初めて、今までやってきたことが間違っていなかったという自己肯定感が生まれました」

魅力を発信するカギを握る「枠」と「シェア」

ハワイ公演を筆頭に次々と海外公演を果たしてきた。米澤は阿波踊り・日本文化どちらにも大きな可能性があると感じている。しかし同時に、このままでは発展しない恐れがあることも危惧する。

2017年にピコ太郎による『PPAP』が世界的流行となった。その要因を米澤は「マネ」のしやすさと「シェア」のしやすさにあると分析している。

伝統文化と呼ばれるものはどこか格調高いものと思われ敬遠されることが多い。しかし、歌舞伎の世界には「スーパー歌舞伎」といい、派手な立ち回りが魅力的なエンターテインメント要素が強いものもある。歌舞伎は古くさく、年配の方が見るものという「枠」を破壊していった。米澤はこの考え方こそが今の日本芸能に足りないと語る。

「僕たちが日本から阿波踊りを持ち出して世界中に広める際、一方的に『これが型です』と言っても、きっとその国では文化として根付かないでしょう。カリフォルニアロールがいい例だと思うのですが、あれは寿司という枠だけが残ったのだと思うんです。一見、お寿司には見えないものもありますよね。でも系譜をたどっていくと確かに元は日本の『スシ』だった。私たちの踊りもそうありたいと思っています。見ただけでは阿波踊りとはわからない。系譜を辿ると源流は日本にある。それが日本文化のあるべき姿だと思います」

自分もできるかもしれない…そう思わせる「枠」を作る。その入れ物をどのように使うかは一人ひとりに任せる。それこそが阿波踊り、伝統芸能を「シェア」するということだ。

今、日本の観光資源は世界から注目を集めている。2018年現在、訪日外国人客数は5年連続で過去最高を記録。政府は2020年オリンピックに向け4000万人のインバウンドを目標とし、その後も引き続き誘致に注力することを示している。

そして外国人旅行者の目的地や需要も変わってきた。依然として東京、大阪といった都市圏の人気は高いものの、地方も目的地の候補に入ることが多い。需要も日本の「モノ」を購入する形から、伝統文化の体験ツアーなど「コト」消費へとシフトしている。米澤はこの機会をチャンスと捉えている。

「インターネットが普及し、どこにいても動画を見ることができます。すると段々とディスプレイ越しに楽しめるものには価値がなくなっていくのではないでしょうか。今の世の中はVRを始めとして、『その場に行かないとわからない価値をどのようにすれば提供できるか』ということを必死で考えています。今後は今までの経験を活かし、阿波踊りや伝統文化を中心に、音楽や食べ物などとコラボした体感型のフェスやお祭りを各地で開き、お客さんをどんどん巻き込みたいと思います」

リスナーの目線

阿波踊りのプロ。「メッセージはすべて踊りに込めている」という気難しい人を想像してしまいます。しかし、米澤さんは自分の生い立ちから活動の理念まで余すことなくお話ししてくださいました。情熱的でありながら冷静に、一つひとつの可能性を検討していく姿からは伝統芸能を担う人間としての強い使命感を感じます。熱い想いがいつの日か未来を変える。そう感じたインタビューでした。

Profile

1985年生まれ。東京都出身。

阿波踊りと由縁の深い米澤家の長男として生まれ、4歳より阿波踊りを始める。

1995年に父・米澤曜が「寶船」を設立し、所属。

観客数120万人を超える関東最大級の阿波踊り大会「東京高円寺阿波踊り」では、個人賞を受賞。他受賞多数。

高校卒業後音楽活動を行い、バンドのフロントマンとして全国ツアーを経験。

2012年、寶船の運営として一般社団法人アプチーズ・エンタープライズの起業に携わり、プロデューサー兼プロメンバー『BONVO』のリーダーに就任。

2014年、世界4カ国(インド・フランス・NY・香港)のツアーを実現させる。

2014年、山形県米沢市おしょうしな観光大使に就任。

2014年、日本PRのCM『日本の若さが世界を変える』に出演し、 「my Japan Award 2014」 にて《箭内道彦賞》を受賞。

2017年には、アサヒ『三ツ矢サイダー』のCMに抜擢される。

また、世界的カンファレンス「TEDxUTokyo」に登壇するなど注目のイベントにも出演。

2018年、東京都武蔵野市親善大使に就任。

最近では、日本を代表するDJ、DAISHI DANCEとスペシャルユニットを組むなど、他分野とのコラボレーションも精力的に行っている。

Staff

インタビュー・編集:青木典子、高橋大道/撮影:後藤敦司

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