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ストーリー代表・CEO

日産でいくつもの荒波を乗り越えた経験を活かし、 日本の産業力強化、人材育成に取り組む

代表_INCJ

「日本の次世代を担う
リーダーを育てていきたい」

日産の取締役として
ゴーン氏と共に新たな取り組みに挑む

株式会社INCJ
志賀 俊之 / Toshiyuki Shiga
代表取締役会長

日本の技術を世界に浸透させるため、強い産業を創る

2009年7月、次世代を担う産業の育成・創出を目的に、官民出資の投資ファンドとして誕生した産業革新機構。規模の大小問わず、企業・事業に対して成長資金としての投資活動を行っている。なお、2018年9月、法改正に伴い、同機構から新設分割する形で株式会社INCJが発足し、産業革新機構の投資事業は、株式会社INCJに承継されている。

現在この組織の代表取締役会長・CEOを務めているのが志賀俊之。日産自動車において、1999年にCOOに就任したカルロス・ゴーンのもと、アライアンス推進室長として『日産リバイバルプラン』を立案・実行しV字回復に貢献、後にCOO(最高執行責任者)・代表取締役を務めた人物だ。現在も日産自動車の取締役を兼務する。

2013年に日産自動車の代表取締役副会長に就任し、さらに2015年、産業革新機構の会長に就任した。

産業革新機構の会長就任への打診を受けたとき、志賀は即答で引き受けたという。

「新卒で日産に入社して、46歳で常務、51歳でCOOに就き、任期を終える60歳まで駆け抜けてきました。サラリーマンとしてはやりきった、次は日本のために貢献したいと思っていたんです。私が日産に入社した頃は、ちょうど高度経済成長期。今の中国のように、GDPの成長率も毎年プラスで賃金も上がる一方。その後のバブル崩壊以降は停滞してしまい、日本の産業競争力が目に見えて弱くなっていきました。でも技術力はまだまだ負けていない。『技術で勝って事業で負けている』、それが今の日本だと感じていました。さらには起業率も他の国に比べて低い。これだと企業の新陳代謝は進んでいきません。産業力を強化したいと思っていたところに産業革新機構の話をいただいて、まさに私が求めていたことができると思い、お引き受けしました」

INCJでの志賀の役割は、新規投資案件の決議や既存投資先に対するバリューアップ、加えて追加投資やExitに向けての協議を行うこと。2018年8月末時点で、産業革新機構設立当初からの累計投資決定件数は133件にも上る。中でも志賀が尽力しているのが、投資先の企業価値や収益性向上を図る支援活動だ。

「代表取締役社長COOの勝又は金融畑出身で、投資ファンドの組成を強みとしています。一方、私は『事業』畑の人間。日産時代にも新規事業には資金を投じていたので、事業拡大の流れは把握しているつもりです。その経験は活かせているかなと思っています。これまでの投資先の全体件数の8割がベンチャー企業。特に多いのがIoT、ビッグデータ、AI、ロボット、創薬といった新技術への投資。私自身テクノロジー系が好きなので、勉強になりますし、ワクワクした仕事をさせてもらっている。とても幸せなことだと感じているんです」

 

傍流を渡り歩いてきた日産時代

志賀は和歌山県で生まれ育った。父は和歌山日産に勤務しており、幼少期からいつも身近に車があった。ダットサンやブルーバードといった名車が次々と生まれる度に、「世界一の車だ!」と、どんどん夢中になっていった。物心つく頃には、「日産で仕事をする」と決意。その念願が叶い、1976年に日産に入社した。

1年目に配属されたのは、その年に創設されたボートやヨットを扱うマリーン事業部。同期からは「貧乏くじを引いたな」と慰められたが、自身は海の上での仕事を満喫。日産イコール自動車というイメージが定着している中、ゼロからネットワークをつくり、必死になって船の売り込みをした。

1983年にアジア大洋州営業部へ異動。7年目にして初めて車の販売に携わることになった。志賀はこの異動を「ラッキーだった」と振り返る。

「私は若い世代には転職を勧めているんです。一度きりの仕事人生、2、3回は会社を変えて揉まれた方が強くなる、と。すると『志賀さんはずっと日産じゃないですか』と言われてしまうんですが、私は同じ会社にいながら全く異なる環境を経験できた。最初のマリーン事業部は今でいうスタートアップのような場所ですよね。ここで私の起業家精神が芽を出した。その後30歳手前で右も左もわからない自動車販売に配属。車の知識はもちろん、輸出業務や英語をがむしゃらに勉強しました。しかも私は部署の社員をほとんど知らない。転職したようにゼロから挑戦できたことは、とても良かったと思っています」

その後、中国での仕事を経て、インドネシア市場への参入を担当する。4年かけてプロジェクトをけん引したが、バブル崩壊によって海外投資は凍結。参入は断念せざるを得なくなり、すべてが水の泡となった。諦めきれない志賀は勢いでジャカルタ事務所の設立を嘆願し、所長としてたった一人で赴任。周りに頼る人間がいない中、人材採用から資産管理までほぼ全ての業務をこなした。3年がかりで現地工場をつくり、生産までの道筋をつけた。

「ベンチャーの社長のような体験をさせてもらって面白かった」と話す志賀だが、精神的な苦しさも味わった。ジャカルタからいくら企画書を送っても、リストラモードの本社からは返事がない。送り出してくれた上司からも「3年で成果を出さないとキツい」と言われ、焦りから円形脱毛症になってしまったこともある。

大きな山場はその後も訪れる。日産が倒産寸前にまで追い込まれたときだ。インドネシアから帰国し企画室へ配属になった志賀は、国内工場の閉鎖やリストラが想像以上に加速していることを知る。業績は下降線をたどっていた。

「あと半年で外資提携ができなければ倒産する」。1998年秋のことだった。当時企画室主管だった志賀は、交渉のメインネゴシエーターに抜擢された。本格的に交渉に着手するが、提携先が決まらぬまま1999年3月を迎える。期限まで残り3週間というとき、ついにルノーとの交渉が動き出す。

成田からパリに飛び、丸一日ルノーと交渉をして、日本にトンボ帰り、そして社長と打ち合わせ。家には帰れず、会社の応接室で仮眠をとる日々が続いた。そして同年3月27日、ついにルノーとの資本提携が成立。期限目前にして、10 万人以上の従業員を抱えていた日産の倒産をまぬがれることができたのだ。


 

ゴーン氏から得たリーダーシップを次世代に伝えていく

志賀がどんなに困難な状況でも、前を向き続けられるのには秘訣がある。

「大変な時こそ自分の人生を客観視して、ストーリーメイキングしてみるんです。もしこれまでの人生を1冊の本にするとしたら、今は第3章の第3節。つまりクライマックス。越えるべき山が高ければ高いほどストーリーにしたときに面白いな、と思うと苦境も踏ん張れる。それに保守本流の場所にい続けるより、傍流を渡ってきたゆえの強さが養えたと思います」

ルノーと資本提携し、カルロス・ゴーン氏をCOOに迎えた日産は、『日産リバイバルプラン』によりV字回復を遂げる。常務を経て、2005年にCOOとなった志賀は、「コストよりバリュー」を信念に掲げてきた。

「倒産寸前だった会社を立て直すわけですから、まずはコストカットするのは当然なんですが、バリューを生み出すことで業績アップを図りたいという気持ちは常にありました。お客様に喜んでもらえる自動車を世に送り出して、自分が入社した頃の『憧れの日産』を取り戻したかった。現役から離れた今も、一番気になるのは熱狂的なファンの気持ちです。心をしっかりと捉えられているのか、と。いつまでも価値を見出せる日産でありたいんです」

INCJで任務を遂行するかたわら、現在エネルギーを注いでいるのが人材育成だ。最近ではゴーン氏と共同で「Global Resilient Leadership Program」というリーダーシップ養成講座を開催している。当プログラムは社会人向けだが、講演活動では、中学生や教師を対象に実施するなど、教育現場での活動も積極的に行っている。

協調性や和が重要とされる日本の教育では、リーダーシップについて学ぶ機会は少ない。しかし、「誰もがリーダー性を生まれ持っている」と考えている志賀は、その力をできる限り若いうちに引き出せるよう人材育成に取り組んでいるという。

志賀は、日産時代から現在まで組織の舵をとってきた。マネジメントにおいて心がけていたのは「苦難の時こそ団結を保つ」ことだ。

「日産でCOOを務めていた9年間、『平時』はほとんどありませんでした。在任中のリーマンショックと東日本大震災は特に大きな出来事です。しかしそういった有事の局面で私があわてていたら周りもつられてパニックになってしまう。どんな窮地でも冷静沈着であり、会社全体をまとめ、一緒に危機を乗り越えていく。そんなリーダーシップの取り方を目指してきました」

経験を活かして日本のマネジメント力強化に励む志賀だが、自身もまだまだリーダーとしての成長を遂げたいと話す。

「私はゴーンさんと出会い、リーダーシップとはこういうものだと教わった。日産時代、仕事で行き詰まった時は、ゴーンさんの部屋に行きました。そこで5分足らずしか話していないのに、部屋を出るときには勇気100倍になっているんです。答えや指示を受けたわけではなく、ただ会話を交わしただけ。私も、『志賀さんと話したら元気が出ました』と言ってもらえるよう、努めていかなくてはならないですね。INCJは若い社員が多いので、刺激を与えられる存在でありたいと常に思っています」


 

リスナーの目線

今語られる手に汗握る真実に、本当の修羅場をくぐり抜けた人だけが、いかなる有事にも動じない大らかさを身に付けられることを教えて頂きました。志賀さんが「有事にこそリーダーに求められる包容力」を学んだのは、他でもないゴーン氏からだったというのも、実に感慨深いですね。話の端々から、今も昔も志賀さんが生粋の日産ファンだとうかがい知れたのにはニンマリしてしまいました。

インタビュー・編集/垣畑光哉堤真友子

撮影/森モーリー鷹博

Profile

1976年、大阪府立大学経済学部卒業。同年、日産自動車に入社。

2005年、最高執行責任者・代表取締役に就任。

2013年、代表取締役副会長に就任。

2015年、産業革新機構会長に就任。その後、日産自動車取締役副会長を退任し、取締役となる。

2018年9月、株式会社産業革新機構から新設分割により株式会社INCJが新設され、現在は株式会社INCJの代表取締役会長を務める。

2014年から2018年まで、経済同友会副代表幹事も務めた。

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