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ストーリー代表・CEO

一人ブラック企業から、皆が生き生きと働ける成長企業へ

代表_コノフィー

設立以来、3期連続で売上拡大
順調な成長・拡大の背景には
孤軍奮闘だった10年間の経験があった

過去の失敗や考え方を改め、
コノフィーとして再スタート

株式会社コノフィー
代表取締役
北島 寿将 / Toshimasa kitajima

コノフィーの成長は10年間の苦い経験のたまもの

株式会社コノフィーはセールスプロモーションに特化した人材サービス会社だ。イベントやキャンペーンにおけるスタッフのキャスティングや、運営業務を請け負っている。
 2016年7月の設立以来、売上は1期目で3200万、2期目は1億400万円、3期目は2億900万。そして4期目となる今期は3億円を見込んでいる。正社員をはじめ内勤スタッフは現在10名となり、着実に成長・拡大中だ。

同社代表取締役の北島寿将は、コノフィーの強みを「当たり前のことをしっかりできる会社」と表現している。人材サービスでは、急な病気やトラブルなどで欠員が出てしまうケースもあるが、コノフィーでは、そうした事態を想定し常にバックアップの人員を確保していることがその一例だ。また、スタッフの登録の際も、必ず面接をおこない、全員に研修を実施。「もちろん、登録スタッフの頑張りがあってのことですが『コノフィーのスタッフは質が高い』とクライアントから評価をいただいています」と北島は自負している。

「登録会で事前連絡なしで遅刻をされた方は、その日の登録会は実施せず、予約を取り直してもらっています。また、 Web登録のみで登録を受け付ける企業もあるようですが、当社ではそうしたことは一切しません。もし、説明や研修がない状態でスタッフが現場に入ることになれば、本人が困ってしまいますし、クライアントにも迷惑をかけてしまいます。だからこそ、スタッフへの説明や研修をしっかりおこなっていますし、スタッフのクオリティ担保という点では、自信があります」

しかしながら、こうしたコノフィーの順調な成長があるのは、前身の会社である株式会社エアーでの北島の苦い経験があるからだ。北島が会社を興したのは2007年10月。「社長になりたい」という理由で会社を創業。「実は、会社設立時はどんな事業をやっていくかも決まってなかったんですよ」と北島は振り返る。見切り発車ではじめた会社だが、偶然にもそれまで勤めていた外資系企業の営業部を引き受けることになり、営業代行事業からスタートした。北島が代表となり、友人が取締役、友人が連れてきた社員と3名での船出だった。営業代行事業で複数のプロジェクトを請け負い会社は軌道に乗っていたが、見切り発車ではじめたたこともあり、不安な気持ちがあった。その後、「営業代行の次は販売代行だろう」と、短絡的な理由で販売代行事業を立ち上げることになる。

「まだ案件も取れていないのに、まずは登録スタッフが必要だと求人広告を出したりしていましたね。市場規模は大きいだろうと見込んではいましたが、最初はどういったところにニーズがあるかもわからない状態でした」


販売代行業の事業立ち上げを試行錯誤していくうちに「広告代理店」や「イベントの制作会社」にニーズがあることに気付き、現在のセールスプロモーション事業に発展。順調に顧客を開拓し事業拡大をしていった。だが、それとは裏腹に創業メンバーが退職してしまい、代表の北島と社員1名のみで運営をすることになった。北島は当時のことを「創業時のプレッシャーや日々の業務に追われ、創業メンバーや社員を思いやる気持ちが足りなかった」と振り返る。

社員1名という状況の中、無理な売上拡大を図っていたため、やがてたった一人の社員も体調不良で退職することに。社員がいなくなり、一人になってしまった北島は登録スタッフの面談、現場への手配、経理、トラブル対応などすべてを一人でこなさなければならず、目まぐるしい忙しさだった。

「連日、深夜3時ぐらいに帰宅して、コンビニ弁当と缶ビールでひと息ついて…。それがちょっと幸せと思えるぐらい多忙でした(笑)。 そして、早朝5時からトラブルの電話がかかってくる。社員やアルバイトを採用しても、そうした地獄のような状態を見ているからすぐに辞めてしまいます。私も次第に要領を掴んでいって仕事も早く切り上げられるようになり、いつしか一人で会社を回すことに慣れていってしまったのです」

組織創りを怠った結果、とても評判が悪い会社になってしまった

祖父は、北島の故郷である佐賀県唐津市で飲食店を経営。一世を風靡し、駅前に自社ビルを持つほどの成功者だった。また、父も数々の事業を手がけ、北島が生まれてからは釣り具店を営んでいた。そうした祖父や父の背中を見ながら北島は育ったため、「社長になる」という夢を子どものときから抱いていた。

 地元の高校を卒業した後に上京。光通信系の営業会社にアルバイトで入り、携帯電話の販売業務をしていた。携帯電話が売れると店長に褒めてもらえ、そのうれしさから仕事にのめり込んでいった。販売成績も順調に伸びていったことから、アルバイトから社員、そして店長になり、複数店舗で活躍した。

その後、IT企業や外資系企業のトップセールスとして成果を出していたが、「社長になる」という目標が明確だったため、「生涯、会社経営をしていこう」と決意し、30歳のときに起業。「心に誓っていたからこそ、一人になったときにも会社を畳もうとは思わなかった」と北島は振り返る。その一方で、「組織を創るということを怠けていた」とも自省している。

「『一人でもできる』という気持ちが、心のどこかにあったのでしょうね。これじゃダメだと心の中で思っていても、組織を創り、育てていくという会社経営では当たり前のことができていませんでした。言葉で伝えたり、心の中で思っていたりしても実が伴わない。自分一人が食べていける稼ぎがあるならいい…というやる気のなさでした」

 孤軍奮闘をしながら日々の仕事は何とか回せているように見えた。しかし、「とても評判が悪い会社」という形でツケが回ってきたのだ。

登録スタッフの中には、ルールを守らなかったり、無断欠席をしたりする人もいた。現在は、そうしたスタッフの対応は内勤の社員が付いて時間をかけてフォローをしているが、当時の北島には時間にも心にも余裕がなかった。思わず声を荒らげて怒鳴ってしまうなど、相手のことを慮ることができなかったのだ。

「イベントなどの現場は楽しい現場だけではなく、ときには大変な現場もあります。そういった現場で一生懸命頑張っているスタッフに支えられて当社は成り立っています。雇用しているスタッフであると同時に、会社を一緒に盛り上げてくれる大事な存在なんです。当時の私には、そうしたスタッフへの感謝の気持ちが足りていなかったのだと思います」

 こうした背景から、インターネット上や登録スタッフの間で非常に評判が悪い会社になってしまった。登録制の人材会社を経営していると通常の会社とは違い、数千人から数万人のスタッフを稼働させるため、大なり小なり風評被害や良くない書き込みなどはある。しかし、当時のエアーは評判が悪すぎたのだ。

また、創業時に「何かの足しになれば」と、簡単な講習を受講すれば取得できる特定労働者派遣事業の免許を取得していたが、既存事業に一切必要のない免許だったことや、一人でやりくりしていた忙しさから、厚生労働省へ「売上0円、派遣人数0人」という書面での報告を怠ってしまった。そのため、特定労働者派遣事業免許取り消しの通知を受けてしまい、そのこともさらに会社の悪評を助長することになってしまった。

「すべては身から出た錆でした。組織を創ることを怠ってきたことや、私自身の考え方の未熟さが巡り巡ってこうした形で身に降りかかってきたのだと思っています」

 そして起業10年目にして、北島は一つの決断をする。株式会社エアーから事業を引き継ぎ、新たに株式会社コノフィーを立ち上げた。心機一転、ゼロからの出発をしようと決断したのだ。

かかわるすべての人が「よかった」と思える会社に

「10年会社を経営してきて、当たり前のことかもしれませんが、会社は成長、拡大していかないと誰も幸せになれないと学びました」

 北島が10年前に会社を興したとき、著名な経営者の本などはそれなりに読んではいた。「たいていの本に、会社や事業は世の中のためにと書いてある。頭の中では同じように考えようと思ってはみたものの、所詮きれいごとという気持ちもどこかにあったかもしれない」と言う。地獄のような経験を経て、北島が心に誓うのは、「コノフィーにかかわる人すべてに『よかった』と思ってもらえる会社にする」ことだ。 

社員であれば、『稼ぎたい』『部下をマネジメントするようなポジションに就きたい』、という望みを持つことや『コノフィーで経験を積み自身のキャリアアップのため』でも良い。社員が、目標やビジョンを持ち、生き生きと働ける会社にしていきたいと北島は考えているのだ。
また、登録スタッフに対しても、その考えは同じだ。数年後、数十年後に「あの会社でバイトしてよかったな」と少しでも思い出してもらえるような会社づくりを進めている。
そしてそれは、誰か偉い経営者の言葉を借りてきたのではなく、北島自身が10年やってきた末の信念だ。「一本の芯が通ったような気がする」と北島は強く感じている。

また、皆が目標やビジョンを持って生き生きと働くためには、それぞれが『プライベートの時間を大切にする』ということも重要だと北島は語る。

「私自身、魚釣りが好きで、週末はほぼ魚釣りに行っています。実家が釣り具店だから好きというわけではなく、上京して来てから好きになりました。まだ行けていないのですが、故郷の唐津湾や長崎の五島列島、男女群島などにも魚釣りに行きたいですね」

魚釣りが趣味だと話す北島は、プライベートも充実しているようだ。代表自身がプライベートを充実させメリハリを持って働いているように、コノフィーでは社員もメリハリを持って働ける環境を整えている。余計な残業はせずに休みも十分に取得できる制度を導入し、仕事も遊びも全力で取り組める会社づくりを目指している。

「想像を絶する忙しさとプレッシャーで、他者を想うゆとりがなかった時代と比べると考え方がとても変わりました。10年間、組織を創り人材を育成するということをしてこなかったので、経営者としてはまだまだです。これから私自身も会社とともに成長していきたいと思っています」

リスナーの目線

「すべてをさらけ出してお話ししたい」という取材前のお言葉どおり、包み隠さず過去の苦い経験を語ってくださった北島社長。その姿勢に感銘を受けました。企業にとって風評被害は大きな痛手になりますが、そこから目を逸らさず向き合っていく勇気と、社員やスタッフの方々への真摯な想い。「生涯会社を経営していく」という北島社長の強い覚悟が感じられた取材でした。

Profile

1977年3月生まれ佐賀県唐津市出身。地元の高校を卒業後、上京し大手通信系企業・大手IT企業・外資系企業を経たのち、2007年10月に現コノフィーの前身となる会社、株式会社エアーを創業。2016年7月に株式会社エアーの事業を引き継ぐ形で株式会社コノフィーを創業。趣味は魚釣りで時間が許す限りほぼ毎週釣りにでかけている。実家は釣具店だが釣りがあまり上手ではない。遊びも仕事も一生懸命に楽しむことがモットー。

Staff

インタビュー・編集:三本夕子、西野愛菜/撮影:田中振一

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