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ストーリー代表・CEO

嗜好品としてのバイクに再び命を吹き込み「走る喜び」を届ける

沖縄特集代表_ウエマツ

創業28年 顧客販売台数1万5000台を誇る
業界No.1絶版車専門店
ウエマツの軌跡

経営者兼レーサー社長の
「自分に負けない生き方」

株式会社ウエマツ
代表取締役社長
植松 忠雄 / Tadao Uematsu

絶版バイク業界No.1の知名度と実績を誇るウエマツ

独特のエンジン音に、味わいのあるボディ、乗るたびに愛着を増すヴィンテージバイクはいつの時代もライダー達を惹きつけてやまない。絶版バイクといえば、ウエマツ。業界ではその名を知らない人はいないという。ここ10年ほどは業界で圧倒的首位を走り続け、市場価格に影響力を持つ「プライスリーダー」でもある。

絶版バイク専門店として躍進を続ける株式会社ウエマツは、東京都八王子市の本社をメインに、兵庫県明石市、福岡県篠栗町、愛知県岡崎市、沖縄県宜野湾市に店舗を展開。1969年から84年まで製造されていた日本製のオートバイを、国内外問わず仕入れ、すべて直営店にて販売している。

「かっこよさに憧れて、あるいは思い出を追い求めてお店に来られる方が多いですね」と、代表取締役の植松忠雄は言う。

ある30代の若者は、父親が乗っていたバイクと同じ車種を購入したいとやってきた。幼い頃、バイクの後ろに乗せてもらい、父にしがみついて走った思い出があるからだ。しかし、彼の父親は若くして亡くなった。若者は、父と同じバイクに乗ることで、再び父の大きな背中を感じることができたのだ。

50代の男性は、若い頃、どうしてもほしかった憧れのバイクがあったが、当時はとても買えなかった。しかし、年齢を重ね、孫が生まれた今になってようやく手に入れることができた。30~40年越しでかなった夢に、喜びを噛み締めるお客様も多い。

絶版車にはヴィンテージという魅力だけではなく、乗る人それぞれのドラマが込められているのだ。

ウエマツは長らく業界No.1の座をキープしているが、その強みは「徹底した質の高い整備」と「保証」にある。絶版バイクは既にメーカー生産が終了しているモデルのため、購入しても、修理や保証面がネックとなることが多い。実際、多くの絶版車ディーラーでは、修理対応を外注整備に出すことがほとんど。しかし、ウエマツでは自社の工場にて、整備士達が1台1台、整備から仕上げまでおこなっている。何十年も前の車両にも保証書を発行しているのは、メカニックに自信があるがゆえのウエマツならではのサービスだ。  

この整備に対する徹底した姿勢が、日本中のライダーから信頼を集め、支持されている理由である。ウエマツの強さはそれだけではない。アメリカを中心とした海外市場を含め、仕入れを押さえることにより競合他社の追随を許さなかったのだ。その結果、ウエマツにしかない絶版バイクを求めるお客様が増え、遠方のライダー向けに創業時から開始している通信販売も好評を博し、ウエマツの名は全国に広がることとなった。現在では国内仕入れにも注力し、ネームバリューだけで買い取りの依頼がくるという。整備士・営業・サービス部隊が一丸となってウエマツのブランド力を支えている。

若くしての成功と失敗、放浪の末に絶版バイクで再起を図る

バブル真っ只中の頃、18歳だった植松はアメリカから絶版自動車を輸入販売する会社を立ち上げた。当時は個人経営だったが、クラッシックカーとも呼ばれる1930年代の車は、好景気の東京では面白いほどよく売れ、わずか20歳にして成功者となった。若くしての成功に浮かれていたが、数年後にバブルが崩壊。事業に失敗し、一文無しになった植松はバックパッカーとして世界放浪の旅に出た。

「もう1回事業を立て直して、いつか世界を股にかけたビジネスマンになりたい」

そんな野心を胸に秘め、欧州全土、アメリカ、アジアと各国を周った。英語はまったく話せなかったが、辞書を片手に、勇気を出して現地の人に話しかけているうちにみるみる上達。観光ビザで旅を続け、お金がなくなると、現地の飲食店等で簡単な手伝いをして、その日の食事をまかなった。この経験は植松にとって人を見る目を養い、輸入・仕入れの際のパートナーシップ作りにも役立ったという。

2年後、海外で学びを得て帰国。日野市南平にあった父の鉄鋼所の跡地と裏手の空地を大家から借り受け、中古の絶版オートバイ専門店として新たなスタートを切った。創業時のメンバーは、鉄鋼所を畳んだ父と、その部下だったバイク好きの技術者2人と植松の4人。気負わず、フラットな気持ちで事業を始めた。

「このときに、商材をこれまでの絶版自動車から、絶版オートバイにチェンジしました。バイク好きだった父親の影響で、子どもの頃から親しんでいたので、オートバイも好きだったんです。もう一つ、車に比べると、バイクの方が輸送費などのコスト面もかからず、登録などの手続きもシンプル。ショールームのスペースも取らないので、多くのモデルを並べることができる。こうしたメリットも鑑みてオートバイで勝負しようと思いました」

この頃、既に日本でもヴィンテージバイクは市場で人気を集めており、競合他社が多く存在した。輸入が盛んだったこともあり、コンディションの良いバイクがたくさん売られていたが、そのほとんどは高額で販売されていた。

そこで植松が取り組んだのは輸送コストの削減。粘り強く船会社と交渉し、手間のかかる従来のクレート式(合板の木箱等に入れ密閉する梱包方法)から箱詰めが不要で、かつ大量に輸送できるコンテナ式に切り替えた。輸送費の大幅ダウンに成功すると、商品を他店より安く販売できるようになり、市場におけるウエマツの競争性は一気に高まった。

とはいえ、肝心の商品となる中古の絶版バイクはアメリカから仕入れなければならなかったため、植松は再び日本を後にした。渡米し、ロサンゼルスに住む日系アメリカ人3世の先輩を訪問。日本向けにアメ車の輸出企業に勤めていた先輩を巻き込み、ビジネスパートナーとして、共に歩むことになった。

先輩が仕入れをサポートしてくれることになったが、当時はインターネットも普及していない時代。中古車の個人売買が一般的であるアメリカからバイクを仕入れるには、現地のトレーダー専門雑誌から情報を得て、電話をかけて買いに行くしかない。仕入れルートが確保できたといっても、全米から個人売買で集めなければならないため、困難を極めた。

日本とアメリカを往復する日々を経て、業界No.1の座を掴む 

植松は、競合に先を越されないよう、専門誌が1番先に売り出されるハリウッド近くのコンビニに開店前から並び、オープンと同時に雑誌を購入。その場で売主に「今から行っていいですか」と電話をかけ、トラックで西海岸から内陸まで、個人宅とその界隈のバイク店を巡った。毎月渡米し、日本とアメリカを往復する日々が続いた。

「当時は朝7時にロスに着いて、そのままトラックを借りて、走り回っていました。私は負けず嫌いですし、他のバイク屋さんと差を付けたいと思っていたので、やりがいしかなかった。とにかく仕事が楽しくて、夜寝るのがもったいない程だったので、夜の街で飲み歩くなんてことは皆無でしたね」

アメリカでの仕入れに慣れた頃、植松は、現地のオートバイ好きが集まるクラブのメンバーに声をかけ、アメリカの西から東へと、どんどん現地バイヤーを増やしていった。こうした仕入れを進める中、アメリカで日本向けにバイクを集め、日本に輸入する業者が増え始めた。そこで、アメリカの業者に対し「とにかく1番先にオファーしてほしい」と声をかけ、仕入れを押さえることに集中した。経営状態は自転車操業であったが、一度事業の失敗を経験している植松は、薄利多売の手法をとり、無借金を貫いた。

「利益を追求したいとか、大きくなろうとか考えてなかったですから。とにかく業界で1番になって、社員皆で幸せになろうと。仕入れにこだわったのもそう。そして、うちには最初から本当にいいメカニックがいたんです。ちゃんと直さないとダメだ、っていう頑固さがあったおかげで、ウエマツの土台ができたと思います。旧車のバイクに保証を付けたのって、うちが1番最初。これは他では真似できなかったし、今でも最長の保証期間を維持しています」

豊富なバイクの台数に加え、「ウエマツのバイクはちゃんと整備してあるし、アフターフォローもしてくれる」という口コミが徐々に広がっていった。そして、多くのライダー達の間でその名を知られるようになった2000年以降、植松が目標としていた業界No.1の座を獲得することができたのだ。

その後、2008年に本店を日野から八王子に移転すると、植松の経営者としての意識に変化が訪れた。それまでは我流を貫き、個人商店の感覚で経営していたが、今後はウエマツを企業として成長させたいと思うようになり、経営者が集まるコミュニティーで経営やマネジメントを学び、組織体制を強化した。

経営者兼現役レーサーとしての活躍

30代を迎えた頃、植松はカーレースという大舞台で再びNo.1を目指すことになる。8歳の頃、父親に買ってもらった小さなモトクロスのバイクに乗りはじめ、その面白さに夢中になった。12歳からは草レースに参加し、やがて公式レースの全日本大会に出場するまでに成長。バイクの免許を取得後は、レースの世界と距離を置いたものの、レーサーとしての感覚はずっと植松の中に残っていた。

30歳を越えた頃、植松は知人から誘われ、カーレースに出場することになる。その大会に初めて参加したにもかかわらず、プロのドライバーよりも速いタイムを出し、たまたま来場していた日産チームの監督の目に留まった。

植松はこの出会いをきっかけに、日本最高峰の自動車レース「SUPER GT」に挑戦するチャンスを掴んだのだ。「GT」といえば、エンジン出力の異なる車両が混走し、速度・ドライビングテクニックを競う、レース好きにとっては憧れの世界である。植松はそこに参戦する日産のドライバーを決めるオーディションを受け、並み居るライバル達を抑えて1位のタイムを叩き出し、見事ドライバーとして採用された。

2003年全日本GT選手権(現SUPER GT)に植松は日産のサテライトチームであり、チャンピオンチームでもあるチームダイシンから星野一樹(父は星野一義)とともにGT300を戦い、シリーズランキング6位を獲得。翌2004年はGT500に全戦参戦という快挙を成し遂げた。2013年、2014年はスーパー耐久でチャンピオンを獲得、2018年にはホンダのワークス入りを果たし、中野信二、小林崇志、大津弘樹らとチームを組み、TCRクラスのチャンピオンに輝いた。

植松がレースを続けているのには、もう一つの意味がある。企業理念にも掲げている「自分に負けない」ことを52歳で自ら体現し、社員達に背中を見せることで、想いを伝えているのだ。

「他人に負けてもいい。でも自分に負けてはいけない。自分がこれだっていうものについては、とことんやるのが大事だと思っています」

1人でも多くのお客様に絶版バイクとの出会いを提供したい

植松は創業時から20年間、「お客様には店舗に来てほしい」という想いから、1店舗展開を貫いてきた。ところが2013年、沖縄に帰郷するベテラン社員の熱意により、初の地方出店に踏み切った。これをきっかけに、愛知県岡崎市、福岡、明石と新店舗を展開。地方のお客様にも、実物を見て、実際に触れてもらう機会を増やすだけではなく、「メンテナンスのことを心配せずに乗ってほしい」と、直営店としての運営にこだわった。

地方で購入後もウエマツの工場に戻して整備、レストアをおこなうため、整備のクオリティはそのままに、安心してバイクを楽しむことができる。植松は「今後も焦ることなく、いずれは東北地方へも出店したい」と意欲を見せる。

「ヴィンテージバイクの良いところは、長く愛していただいても資産として価値が高いところです。実際に創業当初から値が下がることは一度もありませんでした。何十年も乗っていただいて、多少傷みがあっても高い金額で買い取りできます。今は、アメリカだけでなく、世界各国から仕入れをしており、全世界から日本車を逆輸入しています。これからも多くのお客様に絶版バイクを楽しんでいただけるよう、全国に店舗を増やしたいですね」

ウエマツのホームページには、愛機とともにツーリングを楽しんだり、納車時にうれしそうな笑顔を浮かべたりしているお客様の写真がたくさん掲載されている。この「ウエマツファミリー」がさらに全国に広がり、愛機で走る喜びをすべての絶版バイク愛好者たちに届けること、それが今、植松が描く未来の青写真だ。

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リスナーの目線

現役のプロドライバーとしてサーキットで戦っているかと思えば、大海原を単身でセーリングしたり、大型バイクでアメリカ大陸やオーストラリア大陸を横断したり―― 本職は経営者、レーサー、はたまた冒険家なのか、もはや不明とも言えるバイタリティーは一体どこから湧いてくるのでしょう。震災の復興支援に誰よりも早く乗り込んでおられたお話からも、「正義のヒーロー」という表現が自然と浮かんできました。

Profile

1967年 東京生まれ。父親の影響で8歳からバイクに目覚め、10歳のときにTY50にてサンデーレースに初出場、以後13年間モトクロスレース漬けの生活を送る。1989年 ヴィンテージカー販売のダックオート設立。1992年 ヴィンテージバイク販売の有限会社ウエマツを設立し、オートバイの輸出入を始める。2000年 株式会社ウエマツに社名変更、年商5億円を突破。2004年 絶版車輸入7000台突破。2013年 沖縄県宜野湾市、2016年 愛知県岡崎市、2017年 兵庫県明石市、2017年 福岡県篠栗町に出店。2019年 年商10億円を突破。

Contact
〒192-0024
東京都八王子市宇津木町728-1
http://uematsu.co.jp/

Staff

インタビュー・編集/垣畑光哉、高橋奈巳、西野愛菜
撮影/後藤敦司

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