
病院を飛び出した理学療法士が鳥取県でつくる「つながり」
株式会社越路(東京柴又コシジ洋菓子店・アンテナショップこしじ家)
代表取締役
角田 聡 / Satoshi Kakuda
東京都葛飾区柴又。映画「男はつらいよ」の舞台としても知られるこの町で、53年目を迎える洋菓子店がある。創業者の父から事業を受け継いだ2代目「東京柴又コシジ洋菓子店」と、「アンテナショップこしじ家」を経営する、株式会社越路の代表取締役角田聡だ。
「当店では、1968年の創業より柴又に根ざして営業を続けてきました。50年以上の歴史において、世の中では見た目も華やかなスイーツブームが起きたこともありますが、そうした時代のブームに左右されることなく、お客様に長く愛される商品をつくり続けています」
コシジ洋菓子店は、プリンやチーズケーキ、チョコレートケーキなど、洋菓子の王道ともいえる商品が中心。シンプルであるがゆえに職人の腕が試される商品だが、小さな子どもはもちろん、何十年と通い続けている常連客まで、幅広い層を楽しませている。
「特にうちの一押しは、ブランデーケーキ。V.S.O.Pのブランデーをふんだんに使用した上質な大人の味わいが人気で、かれこれ30年近くお客様に愛されている当店の王道商品です。あるWebメディアで、東京を代表するブランデーケーキの一つとして紹介されたこともあるんですよ」
東京柴又コシジ洋菓子店の創業は1968年。コシジの名は、創業者である父の出身地、新潟県に通じる道「越後路(越路)」に由来する。父より先に上京していた伯父が、日本ではじめてチーズケーキを出したことでも知られる、六本木の名店「クローバー」で洋菓子職人の修業をしていたのが、すべてのはじまり。あとを追うように洋菓子の世界に入った父と伯父で商売をはじめ、それぞれが家庭を持ったことで伯父は足立区綾瀬に、父は葛飾区柴又に店を出した。
こうして角田は、家族や身近な親戚のほとんどがケーキづくりに携わっているという環境で育ったが、子どもの頃はほとんど興味がなかった。学生時代はラグビーに熱中。在学中に日本一を経験するほどの強豪校で真剣に取り組んでいたが、けがでその道を断念することになる。
「ラグビーの道が断たれたことで、家業のことを考えるようになりました。いとこたちも私の前に5人も洋菓子の世界に入っていましたから、はじめは大きな決心をしたというよりは、家の仕事を継ぐのもいいかなというくらいの気持ちで職人見習いになったんです」
ところが、この道を選んだ矢先に父が病気で倒れてしまう。当時の角田はわずか22歳。本来ならまだまだ修業はこれからという段階で、跡を継ぐことになった。
「もともとは父と母が夫婦でやっていた、家族経営のケーキ屋でしたから、父が他界して残されたのはまだ半端者の私と母だけ。親戚の皆に助けてもらいながら、なんとか続けていましたね。商売についても何も知らないところからのスタートでしたが、父がいないからこそ、いい意味で父の時代のやり方に固執することなく外に出て学ぶことができました」
こうした角田の姿勢は、東京柴又コシジ洋菓子店を「町のケーキ屋」から進化させていく。松屋など百貨店の催事出店を経て、最近はインターネット販売も拡充。柴又のお客様だけでなく、より幅広いお客様に楽しんでもらえるようになった。
多くの人に自分たちの味を楽しんでもらうため、角田が今注力しているのが、カフェやレストラン・ホテル等からの委託を受けるOEM製造だ。これは、長く経営を続けてきた中で、自社の強みを活かすための道を模索した結果でもある。
「時代が変わり、商売はますます複雑になっています。私たち洋菓子職人はケーキをつくることに集中して、製造後の販売を他社に担っていただくほうが、結果的にたくさんのお客様に商品を届けられるはずです。一方で、お店や企業からすれば自社で設備や人員を揃えるよりも、私たちのような専門店から仕入れた方が品質も効率も担保できます。そんなふうにほかのお店や企業と協業をするような、BtoBの商売を広げていくことが、創業50年超の歴史をこれからも守っていくためには必要だと考えています」
現在、大口の取引はカフェレストラン。チーズケーキやガトーショコラなど、“シンプルかつ良質”をモットーに腕を磨いてきた角田のつくるケーキは、OEMとの相性もいい。クライアントからのオーダーに応えつつも、よりよい商品にしていくための提案を進めていく。その先に角田が見据えるのは、クライアントの夢を支えながらたくさんの人へ洋菓子を届けていく未来だ。
「私たちが提供する洋菓子でカフェやレストランの商売が繁盛すれば、それだけ多くの人に食べていただける。だからこそ、私はほかのお店や企業の商売を一緒に盛り上げるパートナーでありたいですし、自前の店舗だけにこだわらず、さまざまな可能性を模索しながら、コシジ洋菓子店の味を幅広い層に届けていきたいです」
1966年東京生まれ。國學院大学久我山高等学校卒業後、パテシエの世界に。22歳の時、父が倒れ「東京柴又コシジ洋菓子店」を継ぐ。以降、50年超続く洋菓子店のオーナーとして、菓子作りに励む。現在は「アンテナショップこしじ家」も含め2店舗を経営する。
Contact
〒125-0052
東京都葛飾区柴又4-15-15
https://www.kosiji-shibamata.com/
インタビュー・執筆:森田大理/編集:佐々木久枝
撮影:鈴木愛子
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