
真面目におもしろいことをしよう!企業のビジネスが輝くような“世界観(ストーリー)”を世に展開し、顧客とのコミュニケーションを力強く後押しする
「欲張りで幸せキャリア」な生き方を提案
収入も働くペースも、その時々のライフスタイルに
合わせて変えながら、人の人生に寄り添っていける仕事
ジブラルタ生命保険株式会社
東京第5支社 支社長
萩原佐知子/Sachiko Hagihara
「やりがいを感じられる仕事を、できる限り長く続けたい」――そう願う人は多い。しかし、とりわけ女性の場合、プライベートな事情によって働き方が左右され、中にはキャリアそのものを断念せざるを得ないケースも少なくない。
萩原佐知子は大学卒業後、事務職、大手住宅メーカー営業職を経て、生命保険の営業職に転身。1年目でトップクラスの業績を達成し、19年のキャリアを経て現在はジブラルタ生命保険株式会社で支社長のポジションにある。プライベートでは妻であり、7歳年下の夫と高校生の息子を持つ主婦である。
これまでのキャリアは決して右肩上がりだけではなかった。ワークライフバランスを崩し、家族のためにあえて一見「後退」に思える決断をしたこともある。
「ジャングルジムのように、時には下方に進んだり、横にそれたり、Uターンしたり、回り道をして進んだり。女性のキャリアは目標や方向が変わることもあって当然。その都度、『今、何を大事にしたいか』という正直な気持ちに従って選択してきました。目標や方向が変わることもあって当然。失敗も経験のうち、いつも笑顔で成長していけることを大切にしています。好きな言葉は“Have Fun”、どんな時も楽しむ」
萩原は大学を卒業後、病院の受付事務として総合病院に就職した。女手一つで育ててくれた母が病気がちだったこと、父の代わりにいつも寄り添ってくれた祖父に恩返ししたい気持ちがあったことから、「病気に苦しむ方や高齢者の役に立ちたい」と選んだ道だった。
ところが、就職した病院は担当する科だけで1日200人近くの患者が訪れる大規模病院。一人ひとりに気を配る余裕はなく、次から次へと「さばく」といったほうが近い状態だった。「患者さんに誠実に対応したい」という理想と現実とのギャップに苦しむようになった萩原は、次第に仕事にストレスを感じるようになった。
悩みながらも3年勤務し、転職を決意。安定した仕事に…という母の意にも沿うようにと、国家資格である宅地建物取引士(当時:宅地建物取引主任者)を取得し、大手住宅メーカーに入社した。
まったく畑違いの営業職に就いた萩原。入社後しばらくは売上を挙げることができなかったが、トップセールスの同僚の行動を観察し、100%真似するところから始めた。
「『学ぶ』の語源は『真似る』だと聞いたことがあり、ただただ愚直にやりました。ひたすら先輩のしていることを真似ては失敗と成功を繰り返し、少しずつ成功のパターンを会得していったんです。その中で気付いたのは、営業とは理論武装して相手を説得しようとするのではなく、『お客さまのニーズを汲み取り、プロとしてお客さまが自身で解決できない問題点を解決する』という意識で取り組むべきものであるということ。そうしてお客さまから信頼をいただいて、成約につながるということ。その結果、一生に一度あるかないかの高い買い物に寄り添える“営業としての醍醐味”を経験することができました」
この気付きによって、萩原の業績は劇的に向上し、みるみるうちにトップクラスに上り詰める。入社5年目の30歳には管理職としてチームを率いるまでになった。勤務時間は長くノルマも厳しかったが、高い業績を維持でき、やりがいは十分だったという。
しかし、32歳で結婚すると、この働き方を続けていくことに疑問を感じるようになる。夫も同じ会社で理解はあったものの、夫婦で食卓に着くのは毎日23時頃。「妻としてこれでいいのか」という葛藤を抱えるようになったのだ。管理職として会社から求められる役割を全うすることと、自分のプライベートを充実させることの葛藤。また、「そもそも私は管理職になりたかったのか?」ともやもやした気持ちが募っていった。
そんなある日、プルデンシャル生命保険からスカウトの声がかかった。転職するつもりはなかったが、アプローチしてきた人物に営業センスを感じ取った萩原は、「営業として何か学べるのではないか」という期待を持って説明会に参加した。そこで初めて「生命保険」の魅力を認識する。
「住宅と違い、生命保険には形がありません。だからこそ保険のプロとしての知識や視点がものをいい、お客さまのニーズに応じてオーダーメイドで保険を提供できる点にとても面白みを感じました。しかも、管理職になるのも、自分が選んだタイミングで手を挙げることができる。そのタイミングを自分のライフプランに沿って決められるという点にも、とても惹かれ、転職を決意しました。だって普通は年功序列ですよね。目からうろこでした。これなら大好きな営業を第一線でやれる!と」
少しでも早く「保険のプロ」に成長したいと考えた萩原は、夫に「1年間は妻がいないと思ってほしい」と宣言し、一心不乱に仕事に打ち込んだ。結果、年間成績で一定基準をクリアした者だけが表彰されるタイトルを女性で初めて獲得。当時、生え抜きの男性社員に囲まれた中でそれを達成するのは並大抵のことではなく、社内で注目を集めた。
その後はワークライフバランスを重視しつつも高成績を挙げ続け、3年目には週休2日・9時~17時の働き方で同じ水準の業績を実現した。時間で働くのではなく「成果」で働くということを実現できた感があったという。37歳で出産・育休を経て復職後も、業績・収入を維持。その働き方は社内に新しい風を起こした。
萩原が生命保険という仕事の価値を強く再認識した出来事がある。萩原を通じて加入していた30代の男性ががんを患い、奥さんと小学生の娘さんを残して亡くなったときだ。
男性は契約時、「自分に万が一のことがあっても、妻と娘に必ず幸せになってほしい。娘には夢をかなえてほしい」という想いを萩原に語っていた。萩原からそれを伝えると、失意のどん底に沈んでいた2人は暗い表情から一変。娘さんは「大きくなったら花屋さんになって、お家にお花を飾ってお母さんを元気づけたい」と明るく語った。
ご主人の家族への愛が、保険を通じて伝わる瞬間に立ち会ったこのとき、萩原はこの仕事の使命感を強く感じた。
「『なぜ保険が必要なのか』――お客さまと誠実に向き合い、ご家族への想いをお伺いし、しっかりとした保障をお届けする。そんな大切な使命を担えるこの仕事を、改めて素晴らしいと思いました。そして、その使命をこれからは多くの人に伝えたいとも思うようになったんです」
萩原は息子が小学生になるのを機に自ら手を挙げて所長に就任。営業パーソンの採用・育成でも高い実績を挙げた。その手腕を買われ、グループ会社であるジブラルタ生命保険に転籍。トレーナーとして教育システムの構築や研修に携わり、優秀なライフプラン・コンサルタントや営業所長の輩出に貢献した。
目に見えない生命保険という商品を、いかに満足しご契約いただくか……それを追求し続け、2017年、満を持して支社長として東京に赴任した。
萩原は自身が歩んできた経験を踏まえ、支社長として、世の女性たちの可能性を引き出したいと話す。
ライフステージの変化に応じて働くペースを調整でき、自分の努力次第で報酬額も自分で決められる――ライフプラン・コンサルタントという仕事は、そうした生き方を実現できると実感しているからだ。
「才能とやる気があるのに、環境のせいでそれらを活かせていない女性に、『欲張りで幸せキャリア』を選択肢の一つとしてお伝えしたいんです。『妻』や『母』になってからでもそのチャンスはもちろんあります。でも、女性のライフスタイルの変化を見据えて、若いうちからキャリアを見つめ、柔軟に選択できる環境に身を置くことで、より自分の可能性を広げることができるのです」
同社の報酬制度は、年齢や性別、前職、経験は一切問われないフルコミッション制。いかにお客さまに貢献したかによって報酬が決まる、明快でフェアな評価制度だ。仕事に没頭したい時期には仕事の比重を増やし、プライベートを重視したい時期は仕事の比重を減らすなど、その時々のワークライフバランスを踏まえ、軸足をどちらに置くのか自分で決めることができる。
「収入があれば、たとえば家事や育児の一部をアウトソーシングするという選択もできます。それによって、仕事の比重を増やしてさらなる収入アップを目指すことも、またプライベートの自由時間を確保することもできます。もちろん、家族との時間を増やすことも自分の意思で選べます。私がそうしてきたように、その時々の『今、何を大事にしたいか』という気持ちに正直に、柔軟な生き方ができるのです」
生命保険の仕事に就いて約19年。営業職・管理職・トレーナー、そして支社の経営者としてキャリアを積み上げてきた。その間、自分で職制を選択しつつ、ずっと成長し続けていられるという実感があると、萩原は言う。
「まさにプラチナチケットを手にした気分。このチケットを、仕事もプライベートも充実した人生を手に入れたいと願う方たちにお渡しし、願いを実現できるようサポートしていきたいと思います。『恩送り』という言葉があるように、私も皆様からいただいた恩をバトンタッチして、社会に貢献したいですね」
いわゆる「バリバリのキャリアウーマン」であり、野心旺盛な萩原さんですが、家庭では「1ヵ月の食費を○万円でやりくりするワザ」「野菜を使い切るレシピ」を楽しんだこともあるという、ごく一般的な主婦の顔もありました。だからこそお客さまとの共感度が高く、信頼関係を築いてこられたのだと思います。息子さんも働く母を尊敬して後押ししてくれるのだとか。母が成長を続ける姿は、お子さんにも好影響を与えることでしょう。
1965年、岡山県岡山市生まれ。県内の大学を卒業後、受付事務として総合病院に3年間勤務。大手住宅メーカーを経て生命保険業界に飛び込み、プルデンシャル生命保険株式会社に転職後1年で「社内営業コンテスト」に入賞。結婚、妊活、出産、育児というライフスタイルの変化に応じて働き方を変えながらも、連続で入賞を果たす。ジブラルタ生命保険株式会社に転籍後はトレーナーとして教育に携わり、2017年4月から支社長として東京に赴任。「年間営業成績トップの女性を育てる」を目標に、支社を牽引している。
インタビュー・編集/青木典子、藤巻史 撮影/平山諭、田中振一
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