
真面目におもしろいことをしよう!企業のビジネスが輝くような“世界観(ストーリー)”を世に展開し、顧客とのコミュニケーションを力強く後押しする
徳川幕府の歴史を超え、
300年続く企業に育てたい
クライアントとユーザーの
「期待を超える」サービスを
考え抜き、実行する
株式会社WonderSpace
山本 尚宏 / Naohiro Yamamoto
代表取締役社長
※令和3年10月1日をもちまして、旧社名 株式会社猿は株式会社WonderSpace(ワンダースペース)へ社名変更いたしました。
「株式会社 猿」。
そのインパクトのある社名は、天下統一を成した武将・豊臣秀吉のあだ名に由来する。代表取締役社長・山本尚宏は、殺すか殺されるかの戦国時代にあって人を思いやり、主君のために尽くした秀吉の人間性に強く惹かれ、社名にその名を冠した。
山本が秀吉に魅力を感じるようになったきっかけは、司馬遼太郎の歴史小説『新史太閤記』だ。そこに描かれた秀吉の、「純粋に信長の役に立ちたいという一心で働いていたら、いつの間にか出世していた」という生き方が山本の心を揺さぶった。
当時、山本は27歳。社員十数名の会社で営業として働く中で、自社社長の意向もクライアントの意向も汲まなければならない難しい場面に遭遇することが多々あった。新史太閤記を読んだ山本は、そんな自身の姿を、信長からの命令で城攻めに赴いた秀吉が敵の事情に理解を示し、双方を生かそうとする、いわばWin-Winの状態を創ろうとする姿と重ね合わせた。
「秀吉は主君の命に忠実に動きながら相手の想いにも寄り添い、敵将も信長も『これならまぁいいか』と納得する、すなわち幸せにする落としどころを見つけるんです。調整力を発揮し、関わる人すべてを思いやり、大切にすることで信頼を得ていく。自分もそうありたいと思いました」
山本は秀吉をロールモデルとして、「一方的に商品を売る」のではなく、相手を気遣い、双方にメリットのある着地点を見つける手法に切り替えた。すると、伸び悩んでいた売上は半年で6倍に。これこそがあるべき姿と実感し、起業時、その決意を社名に込めた。
猿が現在積極的に取り組むのが記事LP(ランディングページ)事業だ。記事LPとは広告とLPの間にはさむ記事風の広告を指す。「これまでリスティングやSNS広告、SEOに取り組んできたが、もっと事業を拡大させたい」「さまざまな広告手法を試しているがなかなか効果が現れない」という企業に取り入れてほしい手法だと、山本は言う。
その特徴は、広告を嫌がるユーザーにも商品・サービスを買ってもらえること、そして95%以上を占めると言われる「潜在層」にも興味を持ってもらえることにある。また、相対的に低コストで顧客を獲得できるというメリットがあり、クライアントによっては検索広告の5分の1の単価で顧客を獲得できているケースもあるという。
また、山本はパートナー企業である株式会社ルーシーとともにコンテンツマーケティングやSEOに関するセミナーを開催し、その講師も務めている。
SEOは、従来のようにリンクを多く集めることを良しとする仕組みから、中身のある質の良いコンテンツを上位表示する仕組みへと変わりつつある。
「人は、何らかの悩みを解決するために検索をします。だから、『このキーワードで検索をする人はどんな人で、何に悩み、何を知りたいと思っているのか』というユーザーの心理を想像し、その顕在ニーズにも潜在ニーズにも応えられるコンテンツづくりを目指す。そうすれば自ずと検索結果として上位表示されるようになりますから。検索する人にとって、求めている情報に近いコンテンツが検索結果の上位に表示されれば、その人の人生はより豊かになる。その実現を目指します」
事業を通じてクライアントやエンドユーザーに喜んでもらいたいという根本的な思考は、やはり秀吉の生き方がお手本になっている。秀吉は「相手がいま何を考えているか」「どうしたら相手が喜んでくれるか」を徹底的に考えていた。それはマーケティングをする上でも根本的な考え方だと、山本は言う。人は他人のことを簡単には理解できない。だからこそ、ターゲットが何を思い、何を求めているのかを徹底的に考え抜く。
「期待を超えることをしてもらったり、経験したりすると、人は感動する。だから、相手が何を求めているのかを考えた上で、プラスαの価値を提供できるよう常に意識しています。『期待を超えたい』という姿勢においては一番でありたいと思います」
山本がマーケティングを行う上で重視している「他者の感情を知る」感覚に初めて触れたのは、小学生時代に打ち込んだ軟式野球での経験だった。チームメンバーと一つの目標に向かう喜びを感じていたが、卒業を間近に控えた春季大会の決勝で敗退し、目標を達成できない悔しさも味わった。そして、一緒に戦ってきた仲間が涙を流す姿を見て、彼らもまた自分と同じように悔しがっていることを知ったのだという。
「マーケティングにおいて、どんな人たちをターゲットとするかは、業種・商品によってさまざまです。それぞれのターゲット層がどんなことを考えているかを具体的にイメージし、適切な打ち手を講じていかなければならない。その点では、幼い頃の経験を通じ、自分の感情だけではなく、他者の感情に目を向けるという素地ができたのはよかったな、と思いますね。今は積極的にドラマやドキュメンタリーを観たり、小説を読んだりします。『こういうことを考える人がいるんだ』『こんなとき、こう感じる人もいるんだ』という気付きを1つでも多く得ることが大事だと思いますから」
中学までは野球部の活動に打ち込んだ山本だったが、高校時代は麻雀やビリヤードなどの遊びに夢中になった。高校3年から真剣に勉強に取り組み、得意な数学を活かして東大に合格する。最難関大学に入れたのは素直にうれしかった。しかし、そこで何を学び、将来何を目指すかのビジョンはまるでなかったという。
大学時代はアルバイトに精を出した。バイト先として選んだのは渋谷の100円ショップ。ビルの5フロアに3万種類もの商品が並ぶ大型店だ。「いろいろなお客さんが集まる場所で接客してみたかった」と言うとおり、多くの人と接するのが楽しかった。
しかし、好きな洋服を買うためにアルバイトに熱を入れるあまり、学業には身が入らず、東大を中退。フリーターとなり、渋谷のカラオケ屋や表参道のカフェで働いた。一見すると、「エリートコースからの転落」にも見える。しかし、この頃、今につながる大切なものを身に付けられたと、山本は振り返る。
「カフェのオーナーから『お水をください、とお客様に言わせるな。言われる前に気付いて行動しろ』と、厳しく指導されたんです。相手の表情やちょっとした仕草を観察し、何を求めているのかを察しろ、と。その意識と習慣を身に付けられたのは、後々の仕事にも活きていると思います」
フリーターになって2年が過ぎるころ、山本の中に焦燥と不安が芽生えた。「このままでいいのか。何か世の中の役に立つためにできることはないだろうか」――。
そこで山本は、資格の勉強をしながら法律事務所で働こうと思い立つ。世は過払い金返還請求ブームで人手不足だったこともあり、金髪の履歴書を送るもなんと採用。弁護士のアシスタントとして訴状作成や顧客対応などを受け持ち、途中から弁護士・法律のポータルサイト『弁護士ドットコム』の運営にも携わる。『新史太閤記』に出会ったのがこの頃だ。
さらには、日本テレビ『行列のできる法律相談所』で著名になった丸山和也弁護士・参議院議員の秘書も務め、政界の裏側ものぞいた。
その後、法律事務所時代にお世話になった大好きな弁護士の先生をサポートする事業を立ち上げるため、議員秘書の仕事と並行して株式会社猿を設立。トラブルに悩む人の役に立つ法律関連の情報コンテンツをつくり、そこから弁護士への相談へとつなげる役割を担い、少しずつ事業を拡大していった。
山本は、猿の存在意義であるビジョンを「『わくわく』を引き出すアイデアを駆使して日本をもっと輝かせる」とし、経営理念を「人のこころに眠る『わくわく』を呼び覚ます」に定めた。現在、山本が経営する猿を含めた3社をつないでいる軸も「わくわく」だ。
「生きているからには少しでも他人の幸せに関わりたい。どうすれば人は幸せなのか?」を考え続けた結果、やはり秀吉の生き方に辿りついたからだ。
新史太閤記の中での秀吉は、戦国時代といういつ命を落とすか分からない状況の中でも「わくわく」しながら生きていた。今は戦時中ではないものの、誰の人生にも次から次へと困難が降りかかる。それでも幸せでいるには、秀吉のように「わくわく」することが重要だと山本は考えている。
3社の中でもこれから注力したいと考えているのが、「結婚」に関する情報やサービスを届ける株式会社ハウツーの事業拡大だ。
秘書として国政に携わる中で、「少子化」に問題意識を抱いた。子どもを産み育てる以前に、まず「結婚」に対して抵抗や不安がある人が多いと、山本は感じている。そこで、「個人のライフスタイルや価値観に応じ、さまざまな結婚の形があっていい」という価値観を世の中に広げていきたいのだという。
一方、猿としては、「300年生き続ける企業」という理念を掲げ、永続的な成長を目指す。秀吉を退けて徳川が築いた263年続いた幕府の歴史を、自らが超えるという決意だ。
「働く人とその家族を幸せにしながら、300年間、ゆっくりと成長し続けたい。晩年の秀吉は自分に意見してくれる人を排除してしまいましたが、その点だけは反面教師としつつ、秀吉の優れた部分を実践し、微力ながら秀吉のリベンジをしたいですね」
秀吉を敬愛する一方、「ももいろクローバーZ」のファンを指す『モノノフ』を公言する山本社長。事務所の落ちこぼれからスタートし、努力を重ねて夢を叶えていった彼女たちの姿に、下層階級から天下を取った秀吉に相通じるものを感じ、「ボロボロになっても立ち上がって適切な努力をし続ければ、結果はついてくる」という勇気をもらっているのだとか。奇抜な社名の裏側には、人や社会に対して真摯に向き合うというポリシーがありました。
1982年、神奈川県生まれ。東京大学中退後、約3年間のフリーター生活を経て、法律事務所に勤務。その後、IT企業・広告代理店での勤務を経験し、2012年より参議院議員・弁護士である丸山和也氏の秘書を務める。2013年、株式会社猿を設立し、代表取締役社長に就任。その他にも、結婚情報サイト「HOW TO MARRY」を運営する株式会社ハウツー、不動産投資の情報サイト「不動産投資の教科書」を運営する株式会社不動産投資の教科書も経営。
インタビュー・編集:青木典子、藤巻史/撮影:出島悠宇
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フリーランスを活用する企業のリアルな声を、事業開発に活かす新しい営業職
2年間で4つの新規事業を担当。「ゼロから創る」へのチャレンジを続ける
自らの成功法則を惜しみなく伝え 結果の出せる営業部隊を創造する
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