
真面目におもしろいことをしよう!企業のビジネスが輝くような“世界観(ストーリー)”を世に展開し、顧客とのコミュニケーションを力強く後押しする
「急場の資金調達」のサービスから
「経営支援」「事業再生」まで、二人三脚で歩む
佐藤 貢 / Mitsugu Sato
ピーエムジー株式会社
代表取締役
「私たちの信念は『傘を貸す心』。社員一人ひとりが『あなたに会えて良かった』と言っていただける存在になることを使命としています」
佐藤貢が代表を務めるピーエムジー株式会社(以下、PMG)は、総合金融コンサルティングサービスを手がける企業だ。主力サービスである「ファクタリング」では、業界でトップクラスの実績を持つ。
ファクタリングとは、売掛債権早期資金化サービスを指す。企業が早急に資金を必要としているが、金融機関からの融資が受けられない場合など、保有する売掛債権をPMGが買い取ることにより、早期に現金化する仕組みだ。
短期的な資金不足を乗り切るこの手法は、欧米では定番化しており、近年、日本でも民法改正により正しく導入できるようになった。中小企業の経営を安定化する有効な手段として、政府も推奨している。
「ドラマ『半沢直樹』の中に、こんなセリフがありました。『銀行は晴れの日には傘を貸し、雨の日には傘を取り上げる』。中小企業が資金繰りに困った時、頼るのは銀行融資。けれどこの言葉が示すように、銀行は業績悪化した企業への融資を渋ることも多い。そんな時、私たちが傘を差し出せる存在でありたいんです」
PMGの顧客企業の業種は多岐にわたるが、特に建設業、運送業が多い。取引先の倒産や工期の遅れで予定していた入金がなくなるなど、取引先への支払い・給与の支払いに窮した企業を支援してきた。
企業から喜ばれているのは、「スピード対応」。「明日までにどうしても資金が必要」など、顧客からの相談は緊急であるケースも多い。PMGでは、状況によるものの、朝一番で申し込みを受け、その日の午後に着金を完了させることもできる。
PMGがトップクラスのシェアを勝ち取っている背景には、「他社のファクタリングサービスから乗り換える企業も多い」という事実がある。顧客から支持される理由は、スピード対応だけでなく「基本スタンス」にあると、佐藤は自負している。
佐藤が創業時から守り続け、今も社員たちに徹底させているスタンス。それは「下から目線」だという。
「経営者の方々に話を聴いていると、ファクタリングに限らず、資金を提供する側の業者は『上から目線』であることが多いようです。『困っているんでしょ。助けてあげますよ』といった態度で接してくる。それでは気分が悪いし、悔しいですよね。だから私たちは、決してお客様を見下ろすことなく、『下から目線』で尊重する姿勢を徹底してきたんです」
顧客の立場に立って考えることが習慣づいているPMGの営業メンバーは、さまざまな場面で気配りをしている。例えば、建設会社や運送会社などからの依頼を受けて訪問する際、スーツではなく、あえて作業着で行くこともある。従業員たちも会社の危機を感じ取っているかもしれない状況の中、スーツ姿の人物が会社を訪問したら目立ってしまい、動揺させてしまうかもしれない。余計な心配をかけないように、との配慮からだ。
経営者は、会社運営に関する悩みを従業員や家族には安易に打ち明けられないもの。特に資金繰りについては相談できる相手がおらず、一人で悩みを抱え込んでいることも多い。そんな状況下で寄り添える存在になることを、PMGは目指している。
営業メンバーたちは初めて顧客を訪問した際、緊急の要件でないかぎり、いきなりお金の話から始めることはない。まずは担当者自身のことをオープンに話し、趣味やプライベートの雑談で場の空気をほぐすことを心がけている。
打ち解けるにつれて、経営者も本音を話しやすくなる。「話し相手になってもらえて、気持ちが少し楽になった」と言われることもあるという。
このように信頼関係を築くことで、急ぎの資金需要が生じた時、真っ先にPMGの営業担当者を頼ってもらえる。
PMGの営業メンバーには、「稼ぎたい」という動機からこの業界に飛び込んだ者も多い。
しかし経験を積む中で、この仕事の本当の価値に気付くようだ。営業メンバーの一人は、自身の体験談をこう話す。
「お客様の窮地を救えた時、社長から『君がいなければ、うちの会社はどうなっていたか分からない。本当にありがとう』とお礼を言っていただけた。仕事をする何よりのやりがいとは、誰かの役に立てることだと実感した」
佐藤は自社のメンバーたちについて、「前向きでガッツがある。そして素直な人間が多い」と言う。
この素養を持つ人が、心のうちに「もっとお客様に喜ばれたい」「もっとお客様の役に立ちたい」という想いが湧き上がると、自然と「学び」へ向かっていく。そして「素直さ」を発揮し、知識やノウハウをどんどん吸収していく。
「例えば、『毎日、日経新聞を読むように』と伝えています。そして、『お客様の役に立ちそうなニュースを見つけたら、お客様にお知らせしなさい』と。皆、それをしっかり実行しています。私はかなり厳しいことも言いますが、それでもついてきてくれている、頼もしいメンバーたちです」
営業メンバーが「もっとお客様に喜ばれたい」と考えた時、PMGにはそれを実行できるだけの組織体制が整っている。
PMGは、ファクタリングサービスを提供する一方で、ファクタリングを「卒業」するための支援も行っている。PMGとしては、ファクタリングを繰り返し利用してもらうことで、手数料収入を得ることができる。しかし、それではいつまでもお客様の資金力の改善にはつながらない。
顧客にとっての最善策をとれるように、PMGでは「総合成長支援」の事業部門を設け、長期融資に移行するためのコンサルティングサービスを提供している。いわば「社外のCFO」的な立ち位置で、金融機関との折衝や経営計画・改善策の策定、本質的な財務の立て直しなど、キャッシュフローを根本から改善するためのサポートを行うものだ。また、助成金や補助金の活用法を案内することもある。
つまり、ファクタリングで「延命」するだけでなく、その後の事業の安定化、黒字化、成長を総合的に支援していくということだ。そのために、財務面のコンサルティングサービスを強化している。
さらに資金調達のみにとどまらない、経営改善策も支援する。その一つが「ビジネスマッチング」。売上を伸ばすために仕事の案件を紹介したり、「仕事はあるが下請け業者がいない」という顧客には事業者を紹介したりしている。
お客様の課題の本質に気付き、最適なサービスへつなぐためにも、「本音を語ってもらえる」関係構築に、PMGの営業メンバーたちは力を入れているのだ。
「雨の日に傘をお貸しするだけでなく、晴れにすることを目指しています。『PMG』の社名の由来は、Professional Management Group。お客様の悩みをすべてマネジメントできる、プロフェッショナル集団でありたいという想いを社名に込めました。日本の企業のうち99%が中小企業であり、彼らは日本経済を支えています。だからこそ、中小企業の事業を支えなければなりません。私たちは金融に関わるプロとして、そして経営者の真のパートナーとして、社会、事業、働く方々の一人ひとりの未来を共に創りたい。それが、私たちの強い信念なのです」
佐藤は20歳の時に金融業界に飛び込んだ。その頃は何よりも「稼ぎたい」という想いが強かったという。なぜなら、子ども時代を貧しい環境で過ごしたからだ。
埼玉で育ち、小学2年生の時、両親が離婚。母は実家がある沖縄県・石垣島に帰り、佐藤は父に引き取られた。父は1,000万円の借金を負っており、離婚時に家を売却。何度も引越しをし、貧乏で好きなものは何一つ買えない生活、夕食を一緒に食べた記憶もない。
父の生活は荒れていた。複数の女性と付き合い、ほとんど家に帰ってこない。夏休みの1カ月間、佐藤は石垣島の母の家に滞在し、新学期が始まる頃には「埼玉に帰りたくない。母と離れたくない」と空港で大泣きした。
生活が激変したのは小学6年生の時。父は日本語があまり話せない外国人女性と結婚し、腹違いの妹が生まれた。しかし、新しい家族との生活は3年で終わりを迎える。中学3年生の時、父が肝臓がんで他界したのだ。継母はほどなくして再婚。佐藤は居場所を失い、家を出た。それから約3年の間、友人や家族の家を泊まり歩く生活が続く。公園で一夜を過ごしたこともあった。
この頃、佐藤の心に刻まれた座右の銘がある。
「自分と戦え」
中学校の3年間、担任だった先生がいつも黒板に書いていた言葉だ。
逆境の中でつらい思いはしたが、くよくよ悩むことはなかった。逃げ出すこともなかった。佐藤には天性のものともいえる、ポジティブさがあったのだ。うまくいかないことがあってもへこむことはなく、「どうしたらうまくいくか」を考えるタイプだった。
親が不在という環境から、なんでも自分でやることを覚え、先生の言うことをよく聞いた。小学校高学年では学級委員長を務めるような、しっかりした子に成長した。
この頃に身に付けた、自発的に動ける「行動力」とどのような環境にも対応できる「順応力」は、その後、ビジネスの世界で活きた。だからこそ、PMGの社員たちにも「自分と戦え」と、げきを飛ばしている。「自分に甘い人間は嫌いだ」「言われてやるような人間は二流だ。言われなくても自らやる人間にならなければダメだ」と。
「人間って弱いじゃないですか。さぼろうと思えばいくらでもさぼれる。でも『これくらいでいいか』と思えば、その程度で終わってしまう。僕は絶対に負けたくなかったから、自分にムチ打ちながらやってきましたね」
「自分と戦え」という座右の銘は、PMGの社風にも反映されている。大切にしている理念は「切磋琢磨」。仲間同士、刺激を与え合いながら自身を磨いていく風土が築かれている。
そして、佐藤にはもう一つの座右の銘がある。
「『本物は場所を選ばない』という言葉が好きです。うまくいかないからといって、環境のせいにはしたくない。本物の野球選手ならどんなバットを使ってもホームランを打つし、本物の寿司職人ならどんな包丁を使ってもうまい寿司を握れる。どんな状況に置かれても、プロの仕事ができる人間でありたいし、社員たちにもそう伝えています」
とはいえ、佐藤が真剣に自分と闘い始めたのは、20歳を過ぎてからだったという。親も家も失った状態で中学を卒業。当然お金もなく「進学」の選択肢はなかった。職人として働き始めるが、遊びを優先して仕事に身が入らず、職を転々とした。
「このままではいけない」と危機感を抱き始めたのは18歳の頃。今後の道を探るために、東京へ行ってみたり、付き合う人を変えてみたりした。
人生を変える覚悟を決め、先輩に「何でもやるので仕事を紹介してほしい」と頼み、20歳でノンバンクに入社。当時は「貧乏から脱したい。お金持ちになりたい」という一心だった。
子どもの頃から、やると決めたことにはまっすぐに向き合い、とことん極めていくタイプだ。ビジネスローンの営業として、ひたすら「一番」になることを目指した。
同僚たちが朝8時30分に出社してくるところ、佐藤は毎日7時30分に出社し、営業活動の準備をした。商談でうまくいかなかったことがあればノートに書き出し、帰宅後の夜9時に先輩に電話。「この場面でどう言えばよかったんでしょうか」などと教えを請い、アドバイスされたことをノートに綴った。
またアポイントが取れた相手が、先輩に「わざわざ会う価値ないよ」と言われるような人だったとしても、接客経験を積むため、終業後に会いに出かけた。
そんな実践と振り返りを繰り返し、営業力を磨いていった佐藤は、トップの成績を上げるようになっていった。
24歳の時にはノンバンクを辞め、独立起業。ある時「ファクタリング」の手法を知った。将来性を感じ、人脈をたどってファクタリングを手がける会社を探し出すと、「給料はいらないから勉強させてほしい」と社長に掛け合い、入社。実際、報酬なしで1年半経験を積んだ後、26歳で独立した。
地元の友人にも声をかけて仲間を集め、27歳でPMGを設立。代々木の13坪のマンションで、7人でのスタートだった。マーケット調査と競合分析から成功法則を見出し、PDCAを回していくと、会社は数年で急成長を遂げた。
「稼ぎたい」という目標を掲げ走り続けてきて、一定レベルの達成感を得た佐藤は、「調子に乗って、遊んでしまった時期もある」と振り返る。
そんな時、佐藤が後に「恩師」と仰ぐようになる社長と出会う。オーナー経営者に専門特化した経営コンサルティング会社の社長だ。
「根本的なスタイルは自分と共通していました。自分はビジネスをやり抜いて、極めてきた自信があったけれど、『この人にはかなわない』と感じた時、再び『上を目指す』スイッチがONに入ったんです。この人に学べば、自分は絶対にもっと成長できるんじゃないか、と」
期待を抱き、その社長のコンサルティング会社と契約。新たな気付きを得たのは、その会社が主催する経営者合宿だった。プログラムの終盤、「一流のプロフェッショナル」の例として、イチロー選手の語録が取り上げられた。
——「ハイレベルのスピードでプレイするために、僕は絶えず体と心の準備はしています。自分にとっていちばん大切なことは、試合前に完璧な準備をすることです」
「準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、そのために考え得るすべてのことをこなしていく」
「プロのビジネスアスリートを目指す」という考え方に感銘を受けた佐藤は、自身のプロ意識の甘さを痛感した。
「すごく悔しかったですね。『今まで何をやってたんだろう』って。まず意識を変え、朝起きるところから夜寝るところまで習慣を変え、もう一度本気で仕事に取り組もうと思いました」
同時に考えたのは、「自分は何のために仕事をしているのか」。答えはすぐに出た。「自分を信じてついてきてくれる社員のため」だ。
佐藤は、自分が今まで生きてこられたのは、周囲の人の支えがあったからだと自覚している。
中学時代に父を失い、住む家を失った佐藤を、友人たちが助けてくれた。友人の親たちまでもが彼の境遇を気遣い、「みーくん、うちでご飯食べなさい」「うちで寝ていいよ」と温かく迎えてくれた。先輩に食事をおごってもらい、飢えをしのいだこともあった。
多くの人に助けられた記憶が残るからこそ、今度は人を助けてあげたいという想いがある。まずは身近にいる社員たちだ。
「仲間を思う気持ちは、人一倍強いと思っています。PMGの仲間になってくれたからには、物心共に豊かになるように導いていきたい。まずは稼がせてあげたいし、ただお金持ちになるだけでなく、人から愛される魅力的な人になってほしい。そのためには、社長である自分が会社を成長させ、活躍のチャンスを広げなければなりません。本気でやった先には、必ず輝かしい未来がある。『社員全員で幸せになってみせる』と、新たな決意ができたんです」
覚悟を決めて再び走り始め、PMGはさらに成長を遂げた。そして今、新たなステージへ向かっている。
このところ佐藤は、「自分たちの事業の、社会における意義とは何か?」について考えを巡らせている。
「会社の規模が大きくなってきた。これからは利益を追求するだけでなく、本当に社会に必要とされる会社にならなければならない――そう考えるようになりました。お客様1社1社に、さらなる付加価値を提供することが我々の任務です。PMGが介在することで経営がより良い方向に向かうようにしたいと思います」
企業に「傘を貸す」だけではなく、「晴れへ導く」サポートをさらに充実させていく。そのために、「総合金融サービス企業」へと進化を図る。
コロナ禍においては、多くの企業が金融機関からの融資を受けた。2022年から2024年にかけてその返済が始まる。コロナ禍の長期化により、思うように業績を回復させられなかった企業も少なくないだろう。行き詰まる企業が増えると予測される今後、「お客様を救うサービスにより力を入れていきたい」と佐藤は話す。
2021年10月、PMGは新たに「株式会社PMG Partners」を設立し、サービスを開始した。同社では、根本的な経営改善により、中小企業の真の事業再生を二人三脚で行う。
「ファクタリングサービスが、病気の患者さんに薬を飲ませて延命をすることだったとすると、これから取り組みたいことは、手術をして病巣を取り除き、完全な健康体に戻すこと。今、さまざまな『手術方法』を自ら学んでいます」
佐藤が事業再生の支援をするにあたり、大切にしていることがある。「オーナーを守る」ことを目的とした事業再生ではなく、「事業を守る」事業再生であることだ。
「オーナーの生活さえ守れればいいなら、会社を売却したり事業を譲渡したりすればいい。船を沈めて、新しい船に乗り換える選択肢もあるでしょう。でも、事業を守ってこそ、オーナーのための本当の『再生』だと思っています。社員を守り、取引先を守る。これまで築いてきた人とのつながりを守ることを大切にしたい」
こうして佐藤は、「事業再生」というビジネスの構造を学び始めた。そして、PMGだからこそできることを認識した。
「事業再生で利益を得ようとすると、いわゆる『ハゲタカ』的な施策をとることになります。それでは、私たちが目的とするような再生につながりません。だから、PMGが手がける事業再生では利益を得なくてもいい、と決めました。私たちにはファクタリングという収益の柱がありますから、事業再生で儲けられなくても構わない。お客様が助かればそれでいい、と考えています」
PMGの創業から現在に至るまでを振り返り、佐藤が実感するのは「企業は人だ」ということ。社会に貢献できる付加価値を生み出していくのは「人」であり、人財こそが企業価値に直結する。
それに気付いてから、人財の採用・育成にもいっそう力を入れるようになった。多くの人財を迎え、育成することで、より良いサービスをより多くの人に提供していきたいと考えている。
PMGは創業からこれまで、入社者に線引きをしてこなかった。つまり採用をする際に要件や基準を設けず、「PMGで働きたい」という希望者はすべて受け入れていた。
しかし、今は採用に際し「求める人財像」を明確にしている。「成長意欲がある」「安定を望むのでなく、チャレンジしていく気概を持っている」「プロフェッショナルを目指す」「言われてから動くのではなく、自ら行動を起こす」などだ。
「経営を支援するプロフェッショナルとして、業績を回復させるための提案をしていくためには、多くを学ばなくてはなりません。成長意欲があれば、自ら学んでスキルを磨いていける。成長意欲やチャレンジ精神を備えた人財を育てていくことで、お客様により高い価値を提供できる会社にしていきます」
佐藤の想いを受け、PMGの社員たちは「売るべきものは商品ではなく自分自身である」と強く意識している。自分自身を売り込むには、顧客1社1社に適した付加価値を提供していかなければならない。そのために、顧客の事業の内容や商流をしっかりと理解することを大切にしている。
「努力をする社員が多い組織にしていきたいと、心から思っています。『これくらいでいいや』と妥協する社員がいない。社員一人ひとりが仕事に対して高いマインドを保っている。そんな強い組織を築き、さらに新しいチャレンジを続けていきます」
佐藤の事業構想は、ファクタリングから総合金融サービスへと、さらに先の未来まで広がっている。いずれは、400万社ほどある中小企業のうち、70万社はあるとされる事業継承のニーズを満たすべく、「M&A」や「ベンチャーキャピタル」事業を手がけるビジョンを描いている。
PMGはファクタリングサービスの黎明期より、お手本のない状況から、手探りで事業を創り、組織を創ってきた。ブランディングを行い、ホームページやDMなどに工夫を凝らして販路を拡大し、マーケットのトップへと上り詰めた。その経験から得たノウハウ、そして豊かな資金力を活かして、若い起業家たちの夢を叶えてあげたいと考えているのだ。
「『支援』というレベルではなく、タッグを組んで一緒に事業・組織を創り上げていきたい。そこで多くの雇用が生まれ、仲間がさらに増えていく世界を夢見ています。その世界の実現によって、社会に貢献したいと思います」
公開日:2022年10月11日
1987年、母の故郷である沖縄県・石垣島で生まれ、埼玉県で育つ。小学生の頃は成績優秀で学級委員長などを務め、幼少期からリーダーシップを発揮。両親の離婚、父との死別により、15歳で帰る家を失う。中学校卒業後、職人として働き始めるが、職を転々とする日々を過ごす。20歳で金融会社に就職。24歳で独立してさまざまな事業を運営した後、「ファクタリング」に出合い、27歳の時にピーエムジー株式会社を創業した。
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インタビュー:垣畑光哉/執筆:青木典子/編集:佐々木久枝
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