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ストーリー代表・CEO

どんなことでもいいから「夢」を持て夢なき者に成功はない

代表_バーディグループ

 

株式会社バーディグループ
代表取締役
中川 雅也 / Masaya Nakagawa

思い描いた夢に向かって、努力を怠らないことが大切

「みなさん、夢を持っていますか?」

なぜ、こんなことを聞くのかというと、夢はすべての源になると考えているからです。吉田松陰の名言にもあるように、何らかの夢があれば理想が生まれ、理想があれば、なんとかそこに近づこうとして計画を立てたり、その計画を実行に移したりするようになります。そして、その工程が実を結んだ先に成功があるというわけです。

私自身もいつも夢を思い描き、どうすればその状態に近づけるのかを考えて行動を起こしてきました。納得できないことは絶対に譲らないし、自分がやりたいこと、望ましい状態に近づくための努力も怠ったことがありません。ただし、夢がある程度実現してしまうと、次の新しいことへと興味が向かってしまうので、極めるところまで行かず、後で悔しい思いをしたこともあります。それでも、失敗や後悔を糧にしながら新しい夢を抱くことを繰り返して今に至っています。だからこそ、みなさんにも夢を持ってほしいと思うのです。

大学に入学すると、当時大流行していたディスコにも出かけたりして、そこで大手広告代理店に勤めているような社会人と知り合ったりもしました。大学の友人たちがサークルの立ち上げや部活動に熱中しているのを尻目に、私は人脈を活かして簡単なビジネスを始めました。たとえば、イベントをやろうとしているサークルがあれば、前述した知り合いがいる広告代理店を通して、通常よりも安い単価で人気の会場を押さえ、手数料をもらうなどといった具合ですね。

ただ、こうしたビジネスや学校外での遊びに明け暮れたおかげで、卒業のための単位はギリギリでした。お金も稼げていたし、もう1年だけ大学生をやって、ゆっくり先のことでも考えようかと思っていた矢先、私に一回目の転機が訪れました。

それは阪神・淡路大震災です。被災地の中心部にある実家に住んでいた私は、そこで被災しました。地震直後、飛び起きてきた両親と家の外に出た途端、轟音を立てて天井が落ち、我が家は全倒壊してしまいました。この時「生かされた」と思ったことを今も鮮明に覚えています。

そして、これも天命と考え本腰を入れて勉強を始め、留年することなく卒業しました。

30 歳で年商 35 億円―あまりに早過ぎた成功

就職は、法人をメインの取引先とする大手不動産会社に入社しました。ちなみに不動産業を選んだのは、当時としては珍しく、実力主義の報酬形態を採っていたからです。

こうして働くうちに、世間ではITが台頭し、インターネットが普及し始めます。とはいえ当時はまだ黎明期。ITやインターネットの技術者はいても、開発チームの取りまとめやプロジェクトの進行管理も含めたマネジメントを行う職業そのものがなかったのです。

そこにチャンスを見いだした私は、24歳でインターネット関連の会社へ転職したのですが、上司の仕事のやり方に疑問を持ち、知人からの助言もあって独立しました。そこでフリーのプロデューサーとして、さまざまな企業のウェブサービス開発に携わるようになりました。ニーズは思った以上で、受注案件も右肩上がりに増加。ついに一人では対応しきれなくなり、1999年、25歳で最初の会社を設立しました。

設立当初は、受託事業をメインにしていましたが、このやり方では仕事に追われて常に忙しく、クライアントの厳しい注文にも従わざるを得ません。このままでは疲弊するだけだと思い、ビジネスモデルを転換させたいと考えるようになりました。そこで、3年間の資金を元手に「ガラケー」向けの広告媒体、今でいうアドテクのサービスを企画・開発。
モバイル広告事業をスタートさせたのです。当時、競合他社は1社のみ。最初の1年こそ苦戦したものの、瞬く間に高い広告効果を誇る媒体に成長しました。

最盛期の売上は35億円。、媒体の性質上、簡単に売上が落ちることもありませんでした。毎月数千万円単位の収入があり超高級外車を所有し、贅沢もしました。

その頃は会社の規模をとにかく大きくすることだけを考えていましたし、実際、最終的には300名の社員を抱えるほどになりました。けれども、組織は一体感もなく、自分が思い描いていた理想からは程遠い状態でした。

しかし、弱冠30歳で「成功」を手に入れたこと、それだけで私は満足し、ある意味で燃え尽きてしまったのです。というのも私は元々、起業を志していたわけではなく、いってみれば成り行きで起業したので、志や理念が希薄でした。もし、きちんとそういったものを当時持っていれば、私が散財したお金の一部でもシステムや人材、M&Aなどの投資に回していたことでしょう。実際、私たちの媒体に陰りが見え始めたころ、後発の同業他社は、より先見性の高いビジネスモデルを開発し、ほどなく上場を果たしました。とても悔しいですが、冷静に考えれば当たり前のことですね。

その時点ではまだしっかりとした軸になるような会社経営の信念を持ち合わせていなかった私は、会社を売却できるということを知り、データセンター運営のベンチャー企業ビットアイル株式会社の傘下に入ることを決めました。そこでは同社の常務取締役に就任したのですが、これが、私の第二の転機となります。今、振り返ってみると30歳という年齢での成功は、自分にとってはあまりにも早かったと思っています。


失敗から真摯に学んで、理想的な企業文化の構築を夢見る

自分の裁量で意思決定するというベンチャーマインドを貫いてきた私にとって、上意下達がしっかりした管理型組織の同社は非常に新鮮でした。自分ひとりの考えで決裁できることは少なく、目上の役員の意向を聞いたり、多くの部署を跨ぐ社内調整に苦心したりしました。おかしな言い方かもしれませんが、そこで初めて社会の厳しさを知り、本当の意味で、企業人としての経験を積ませてもらえたと思っています。しかし常務取締役という立場上、周りからは「何もしないでください」と懇願されるので、身動きがとれない状況が続き、持ち前の「戦闘力」も発揮できずに、ストレスだけが溜まっていったのです。いわば「無力化」されてしまった私は、このままではダメだと自分で結論を出し、再度、別の上場企業に事業売却して、その子会社社長に就任しました。

それからしばらくして、法律改正に端を発する売り上げの壊滅的な減少で、数年にわたり大幅に業績が悪化した時期があり、それが折悪しく、新卒採用を強化した時期と重なってしまったのです。一致団結して業績改善の対策を取るべき時に、新人への教育体制も整わないのに、人はどんどん増えていく。当然、社員はバラバラになります。うまくいっていないとわかっていながら、有効な対策も打てないまま時間がたち、社内の雰囲気は悪くなる一方でした。そして就任から4年目の2008年3月に、私は辞任しました。

時間が自由になった私は、何が悪かったのか、どうすれば良かったのかと振り返りながら、深く反省しました。そこで行き着いたのが企業文化というものの重要さです。企業文化がしっかりしていれば、困難に立ち向かえると考えたのです。そこから本を読み漁り、セミナーに出かけ、コンサルタントに直接話を聞くなどして企業文化を構築するためのマネジメントの勉強を始めました。

そして、同年9月には一緒に仕事をしたいと申し出てくれた昔からの仲間15人で、バーディグループの前身にあたる会社を創業。ゼロからのスタートでしたが、今ではIT事業をメインにアパレル事業や不動産事業など、幅広く事業を展開しています。

当社がよく驚かれるのは、業績の高い伸び率と離職率の低さなのですが、それを支えているのが成長支援という仕組みを持ったマネジメントです。もちろん、最初からうまくいったわけではなく、7年前から試行錯誤を繰り返して、4年くらい前から成長ツールとして確信を持てるようになってきました。

たとえば、最初から残業を想定しないスケジュールを立てているので自分のペースで効率的に働けて、成長するためのプロセスがわかり、その成長に応じてフェアに給与が増えていきます。成長できるだけの仕組みとノウハウがある環境だからこそ離職率は低く、業績も上がり続けているわけです。これは、10年前の失敗から真摯に学び、理想的な企業文化の構築という夢を追い求めてきたからこそ、実現したと考えています。


成長を追求して、挑戦する人を創ることがビジョン

今後の会社のビジョンは、一言で表現するなら「成長を追求し、挑戦する人を創る」ということです。当社を創業するまでは、企業は規模や売り上げを追いかけることが最も大切だと考えていたのですが、それを「人の成長こそすべてである」と完全に切り替えました。ですから、会社云々というよりは、むしろ個人にフォーカスしていきたいと常に考えています。会社を動かすのは結局、それぞれの個人の力量次第なのですから。

当社は、ベンチャー企業なので、そこで働く人にも挑戦して欲しいのです。そのために快適に頑張れる仕組みを作っているわけです。私自身も何度も挑戦し、何度も挫折しながらも何とか頑張っているので、新しい人にもそれを味わって欲しいと思います。

夢を思い描く人は、たとえ失敗しても、いつか必ずその人なりに成功できます。もう一度、問いかけてみて欲しいのです。「自分は、夢を持っているのか?」と。


 

リスナーの目線

自らのラッキーナンバーは「5」と定め、車も携帯電話も「5」の番号にこだわっていると笑う中川さん。将来の夢は、55歳の節目にプロのポーカープレーヤーへ転身し、世界中のトーナメントに出場することだと語ってくれました。しかしその真意は、それまでに会社を牽引する後進を育て、時が来れば潔く一線を退こうという、戧業経営者としての美学にあるのではないでしょうか。

Profile

1997年、WEBプロデューサーとして個人創業後、1999年、株式会社ファインダー設立、代表取締役に就任。2004年、ビットアイル(現ビットアイル・エクイニクス)株式会社 常務取締役就任。2004年、株式会社dual&Co. 設立、代表取締役に就任(現任)。2005年、株式会社コネクトテクノロジーズと資本・業務提携。株式会社インクルーズ 代表取締役就任。2008年3月、同職を辞任。2008年9月、株式会社バーディグループ代表取締役就任、株式会社バーディモバイル代表取締役就任。

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