
病院を飛び出した理学療法士が鳥取県でつくる「つながり」
19歳で学生起業。
21歳で事業承継失敗。
その時みえた日本の課題。
社会課題解決のために辿りついた
『オープンイノベーション』
株式会社サーキュレーション
代表取締役CEO
久保田 雅俊 / Masatoshi Kubota
新卒入社した会社で定年までずっと働き続ける――そんな「終身雇用」の時代は終わった。大手企業であっても経営難に陥り、大量リストラが行われている現実がある。また、昨今はビジネスの変化のスピードが速くなっているため、会社が力を入れる事業領域が変わり、社内で自分の専門性や経験が活かせなくなるといったことも頻発している。「安定した職場」は、今やどこにも存在しないのかもしれない。
そうした環境の中、「正社員」という雇用形態にとらわれず、自分の強みを活かして、自分らしく自由に働く人が増えている。そのチャンスを提供しているのが、株式会社サーキュレーションだ。サーキュレーションとは「循環」「流通」を意味する。
「当社が循環させるのは、ビジネスパーソンたちが持つ『経験』や『知見』」と、代表取締役の久保田雅俊は言う。
サーキュレーションが手がけるのは「事業改革コンサルティング」。事業の成長や改革のために「経験」「知見」を求めている企業と、それを持つプロフェッショナル人材を結び付けるというスタイルで、多種多様な業種・規模の企業を支援している。
同社には、さまざまな分野のプロフェッショナルである30代~40代の人材や、50代~60代のエグゼクティブ人材(経営幹部経験者・高度な専門職など)、約1万人が登録。一方、企業からは「新規事業を開発したい」「新しいマーケティング手法を取り入れたい」「営業組織を強化したい」「採用・人事制度を改革したい」「コストを削減したい」「海外展開を支援してほしい」など、経営に関する幅広い相談が寄せられる。
各企業ニーズに応じて、サーキュレーションがプロジェクトを組み、登録人材の中から適任者を選定して企業側とチームを組成。登録人材は、期間限定でミッションを遂行する「業務委託」という形態で従事する。同時に複数プロジェクトへ参画することもあり、中には、そのままその会社の経営陣に加わるケースもある。こうしたスタイルで、これまでに600社1500プロジェクトを手がけてきた。
「経験・知見を持った人材が一つの会社に縛られているのはもったいない。1人のプロフェッショナルが複数の会社で力を発揮すれば、生産性が上がり、労働力不足の解消にもつながります。すべての人が知見や経験を最適な形で活かせる社会にしたいですね」
日本では労働人口の減少が問題となっている。2017年、国立社会保障・人口問題研究所が発表した日本の将来推計人口は、2065年で8808万人。そのうち15~64歳の「生産年齢人口」は4529万人。これは2015年より4割減となる数字だ。経済の維持・成長のため、労働力の確保は最重要課題。その課題を解決するために必要なことは、少ない労働力でも大きな成果を生む仕組みを創造するイノベーションだ。
サーキュレーションはプロフェッショナルによる「改革」と「1人が同時に複数社で働く多様な働き方」を同時に創出することで、イノベーションを支援しているというわけだ。
静岡県の自然豊かな環境で育った久保田。子どもの頃は冬でもTシャツ・短パン姿で山や川を駆け回った。父は地域最大規模の進学塾を経営し、「鬼塾長」と呼ばれた人物。ゲームは禁止、読むことを許されたマンガは手塚治虫作品のみ、悪さをすれば問答無用で家から閉め出されるという、厳格な教育を受けた。当然、学習も厳しく指導され、学校での成績は上々。しかし、次第に父に反発するようになる。
「有名大学への進学が絶対、という考え方に納得できなかった。当時、父の書棚にあった偉人の伝記を数多く読むうちに、学歴をつけるよりも早く働いて広い世界を見たい、世の中を変える人になりたい、という想いが強くなっていったんです」
大学に進学しながらも、並行して起業し、海外に荷物を届ける「ハンドキャリー」や広告などの事業を起こした。しかし、自由な学生生活はある出来事で一変する。父が事故で意識不明に陥ったのだ。経営への復帰は叶わず、20人いた講師たちは次々と去っていった。
「一家離散か」と頭が真っ白になったが、気を取り直し、帳簿整理、廃業手続き、今後の家族の生活設計など一つひとつ処理。母・弟・妹が暮らしていける目処を立てた。
もともとは起業を志向していた久保田だったが、一家を支える安定収入を得るため、就職活動を開始。「これから伸びるマーケット」と感じ、人材サービス会社に入社した。
しかし、頑張っても営業成績が伸びず、空回りする日々が1年間続いたという。
「自信満々で天狗になっていたけれど、その鼻をへし折られた(笑)。でも、おかげで気付けたんです。『自分流』を貫くのではなく、相手の目線に立つことが重要なんだ、と」
状況を打開するため、毎朝5時起きで新聞3紙を読み、日中はビジネス書で学んだノウハウを実践、帰宅後も鏡の前で営業ロールプレイングを行った。徐々に成績は上がり2年目にはトップセールスに。最年少マネジャー、最年少部長へと一気に駆け上がった。
そして28歳のとき、久保田は会社に新規事業を提案。社内ベンチャーとして出資を獲得し、同社で初の「イントレプレナー(社内起業家)」となった。
そのとき手がけたのが「顧問」ビジネスだ。中小企業の課題に対し、シニアが顧問として経験・知見を提供するというマッチングビジネスを立ち上げた。
父が倒れたとき、すでに60歳を超えていた。シニアが働き続けるということ、中小企業が存続していくということ、その難しさをこのときに実感したという。
人材業界に入ると、ミドル・シニア層の転職が困難である現実に直面した。
「優れたミドル・シニア層が経験と知見を活かし、生き生きと働けるチャンスを提供したい。それが中小企業の課題解決にもつながる」――そんな想いが社内起業、さらにサーキュレーションの設立につながっていった。
「高度なビジネス経験を積んできたビジネスパーソンほど、定年退職後も働きたいという希望が強い。自身の経験や知見を次世代に伝え、社会に貢献したいと考えているんです。けれど、大手企業で事業部長を務めてきたような人でも、定年後にハローワークやシルバー人材センターに行くと、マンション管理人や清掃員、介護職といった仕事を紹介される。それは違うだろう、と。その人が培ってきたものが最大限に活かされるべきだし、それによってこれからの時代を担う会社や人材が育つ。そんな循環を生み出したいんです」
一方、会社組織・時間・場所などに縛られず、自分のライフスタイルや価値観に合わせた働き方をしたい、という人も増えている。サーキュレーションには、そうした「ノマドワーカー」「インディペンデント・コントラクター」も多数登録。自身の専門性を活かし、複数企業のプロジェクトで活躍している。
「会社に所属し、ネクタイを締めて、上司の顔色をうかがって仕事をする。それ自体を否定する訳ではないですが、そうじゃない働き方、そうじゃない価値発揮の仕方があってもいいと思うんですよね」
さまざまな人材の経験・知見をフルに活用する――それによって久保田が目指すのは「イノベーション」の創出。新しい仕組みや手法によって、これまでになかった価値を生み出したり、世の中に変革をもたらしたりするということだ。
企業が新規事業の開発に取り組もうとすると、優秀な社員を責任者に抜擢する、あるいは社内でアイデアを公募するのが一般的なやり方。しかし、固定観念にとらわれて斬新な発想が生まれず、計画が進まないケースも多い。とはいえ、新規事業企画に長けた人材を社外から採用しようとしてもとしても、期待するような人材にはなかなか巡り合えないのが現実だ。そんな中に、外部の新規事業のプロが入ることで、会社の強みと弱みを把握し、新規事業だけでなく抜本的な改革を提案することがある。これまでの自身の強みを存分に発揮し、新規事業の創出から成功まで導いている。
このように、サーキュレーションが介在することで、企業は門戸を開き、社外人材を受け入れて活用しやすくなった。そんな「オープンイノベーション」をさらに推進していきたいと、久保田は考えている。
かくいうサーキュレーション自身も、プロフェッショナル人材たちを自社事業のプロジェクトで活かす、まさにオープンイノベーションの体現者だ。
「当社は平均年齢30歳程度とまだまだ若い組織。ミドル・シニアのプロの方々の知見をしっかり吸収したいですね。中には、千人・万人単位の組織を見てきた人や、会社の創業から上場までを支えてきた人もいる。豊かな経験談を聞けるのは本当に面白いです。僕たちがそれを継承して成長し、社会に循環させ、次の世代にもつなげていきます」
同社では創業3年で4つの事業を生み出し、いずれも順調。今後も新規事業に取り組んでいく。労働環境が大きく変化していく中、社会課題をつかみとりながら、新しい働き方を生み出し、提供する。それは進化を遂げているAIでも取って代わることができない仕事だ。ミドル・シニアに限らず、さまざまな可能性が広がっているマーケット、世界にも出て行けるマーケットであると、久保田は確信している。
新しい市場の開拓に挑む久保田社長の姿にぶれない経営哲学を感じました。幼い頃から歴史上の偉人たちの生き様に影響を受けてきたことや、経営者であったお父様の姿を見て中小企業の存続に対する危機感をお持ちであったというエピソードを伺い、「社会をよりよく変える」という意識が根底に根付いていらっしゃるのだなと納得。その「経営哲学」に共感と信頼を得て、業界をリードする大手企業との連携が実現しているのでしょう。
1982年、静岡県生まれ。大学時代に学生ベンチャーを立ち上げた後、大手人材総合サービス会社に入社し、さまざまな人材活用を学ぶ。父親の介護の傍ら、27歳で最年少部長となる。その後、自ら会社に起案し、社内起業家へ転身。シニアの経験・知見を中小企業の経営課題とマッチングするサービスを立ち上げる。これからは、「人生3回の転職ではなく、同時に3社で働く」ことが当たり前になる時代が来ると感じ、2014年、株式会社サーキュレーションを設立。企業経営にオープンイノベーションの概念を持ち込み、企業が外部の知見をどのように活用するのかを提案し続けている。創業3年で、経営プロフェッショナルのネットワークは1万人、導入企業は600社を超える。2015年ベストベンチャー100でトップの北尾賞を受賞。テレビ東京 ガイアの夜明け、日経ビジネス、日経トップリーダー、産経新聞、プレジデントなどメディア出演多数。
病院を飛び出した理学療法士が鳥取県でつくる「つながり」
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