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ストーリー代表・CEO

事業領域は限定しない。世界で一番、「経営者」を輩出する企業でありたい

代表_ダーウィンホールディングス

22歳でグループ会社の
社長に就任した女性も

「失敗にこそ価値がある」。
自らの意思で仕事を動かし、
成長できる環境を提供する

ダーウィンホールディングス
株式会社ダーウィンホールディングス
代表取締役社長
中野 正幾 / Masaki Nakano

世界で一番、経営者を輩出する会社でありたい

「広くて白いキャンバスをもらったら、何を描こうかとワクワクするような人。そんな人が集まる会社にしたいんです」

そう語るのは、株式会社ダーウィンホールディングス 代表取締役の中野正幾。2007年にダイレクトマーケティング支援を行う株式会社ダーウィンズを起業。現在は、ダーウィンズのほか、美容・健康事業の「ウェルヴィーナス」、広告代理業の「D-DASH」、台湾初の同人コンテンツを扱うダウンロードサイトを運営する「台灣雞翅國際股份有限公司」など、グループ会社6社を展開している。

2015年にダーウィンズの経営を現社長に任せて以降、中野自身はグループ各社の経営実務からは一線を画すスタンスを貫いている。アドバイスはするが、口出しはしない。それが中野流の経営者育成術。まさしく広くて白いキャンバスを若手経営者たちに託しているのだ。

「僕自身の夢は、この会社で働く皆を育て、経営者を世界で一番輩出する会社にしていくこと。でも、“雇われ社長”を増やすつもりはありません。責任とリスクを背負い、悩みながらも前に進み続けることでこそ、真のオーナーシップは培われるもの。だから、グループ各社の社長に対しても社員に対しても、マニュアルや型にはまった教育研修は用意しません。“手取り足取り”は、成長を阻害すると思うんです。間違ってもいい、失敗してもいいから、自分の意思で切り拓く経験をたくさん積んでほしい。それができる人、やりたい人に、どんどん機会を提供していきます」

たとえば、ダーウィンズの広告代理業を分社化して設立した「D-DASH」。同社社長を務める女性は、就任当時22歳だった。短大を卒業後、新卒でダーウィンズに入社。一介の営業だった彼女に新会社を任せたのは、誰よりも強い意志を持っていたからだという。

「D-DASHの前身は、チラシやフリーペーパーなど紙媒体の広告代理業。時代の流れもあって業績が低迷していました。事業自体をたたむという選択肢もあったのですが、『それなら私がやりたい』と手を挙げてくれたんです。厳しい船出であることは明白だったのに、それでも経営に挑戦するという覚悟を決めていた。だから僕は、年齢や社歴に関わらず、彼女こそ最も適任だと思えたんですよ」

中野がにらんだ通り、彼女は単独では赤字だった事業を立て直し、初年度から黒字化に成功。1年で目覚ましい成長を遂げたのだという。

このような仕事の任せ方はダーウィングループにとって当たり前のこと。中野が新規事業やM&Aを発表すれば、常に10数名の社員が「やってみたい」と手を挙げる。その一人ひとりに、自分がどう成長したいのか、この事業をどうしたいのかという想いを聞き、現在の役割やポジションは関係なく意志の強さを評価し、任せていくのだ。



大手企業を飛び出し、ライブドアへ。その経験で芽生えた決意

「決められたことに従うのは窮屈。自分が興味のあることに熱中していたい」――中野は幼い頃からそう考えていた。勉強は嫌いじゃない。でも学校は決まりきったことしか教えてくれない。そんなもどかしさを感じ、中学時代の中野は科学雑誌「Newton」を読みふけった。未知の世界に飛び込んだことが面白く、物理学にのめりこんでいく。アインシュタインやホーキング博士が憧れだった。

物理学者になるために進学したのは、東京大学。けれど、卒業後は大手保険会社に就職した。安定した生き方を選択する理由があったのだ。

「学生結婚をしたんです。夢はあったけど、夢だけでは暮らせない。そのときは、生活のためにも将来設計が立てやすい道を選ぶのが最善だと思っていました」

しかし、いざ入社してみると、決められたことをただこなすだけの毎日が退屈で仕方なかった。配属された資産運用の部門で自分のアイデアを出しても、「キミの担当業務外だから」とロクに聞いてもらえない。入社3年目の冬、中野はとうとう保険会社を飛び出した。

自由度の高い外資系金融機関に転職するつもりで、内定ももらっていた。しかし、そのタイミングで、中野はあるベンチャー企業と運命的な出会いをする。エッジ株式会社。「ホリエモン」こと堀江貴文氏が率いていた、のちのライブドアである。

「当時CFO(最高財務責任者)だった宮内亮治さんに面接で言われた言葉が忘れられません。『俺たちベンチャー企業は、大手のようにはじめから十分な給料は保証できない。でも、君が成果を出して会社に利益をもたらしたら、成果の分だけ払うよ』と言われたんです。それが僕には『何をやってもいいからチャレンジをしろ』と聞こえました。だから、保険会社の安定や外資系企業の高給も捨て、ベンチャーへ飛び込んだんです」

入社時に提示された年収は前職より200万円ほど低かったが、それでも清々しい気持ちだった。結果として1年後、年収は前職の7~8倍に跳ね上がった。中野は人一倍成果を出し、宮内氏の言ったとおり、会社はそんな中野に応えてくれたのだ。

ライブドアでの日々は、とにかく刺激的だった。M&Aアドバイザリーとして入社したのに、それ以外の仕事もどんどん任された。ITの専門知識がないのに、ポータルサイトの新コンテンツを任され、中国・大連の開発会社に飛んで行ったこともある。ライブドアがプロ野球の球団運営に乗り出そうとしたときも、「中野くんは元野球部だよね。新球団の統括責任者をやって」と、堀江氏から一任された。弱冠25歳のときのことだ。

2007年にライブドアを去るまでに、中野はグループ企業である上場企業の役員やライブドアファイナンスの社長も務めた。最後に手がけた仕事は、ライブドア事件後の会社の清算。取引先に頭を下げ、苦渋の決断で社員のリストラも行った。30歳を目前にして、経営の酸いも甘いも味わった中野は、この経験からある想いを強くする。

「もう二度と会社を潰すことはしたくない」

自分は環境を変えたことで救われた。水を得た魚のように働き、成功も失敗もしたが、幸せだった。そういった環境を人から奪うのではなく、提供できる人でありたいのだと。




失敗を経験した人は強い。失敗を糧に挑戦し続ける人を応援したい

こうして中野は、2007年11月に株式会社ダーウィンズを創業する。以来10年間は、山もあれば谷もあった。一番つらかったのは2011年の東日本大震災。収益の柱であるコールセンター業が、テレビの通販番組やCMなどの相次ぐ自粛を受け、仕事を一切できなくなったのだ。「自分はどうなってもいいから、働く皆を不幸にはしたくない」。リストラという決断をしてもおかしくない状況の中、社員やコールセンタースタッフの雇用を守り続けた。3ヵ月後に再開して業績を回復できたのは、その決断があったからだ。

グループをホールディングス制へ移行したのも、事業の継続性を高めるため。挑戦を恐れない集団であり続けたいが、そのためには失敗を許容できる体制が必要と考え、自らは各事業の運営から退き、一歩引いて支える存在になった。

「社員の皆には、失敗を恐れずアグレッシブに挑戦してほしい。挑戦をさせるなら、失敗したときの受け皿が必要。“失敗は成功の母”ですから、上手くいかない可能性が高くても、多少の損失で済むなら『やってみたら?』と言うことが多いですね」

例えば、2012年に徳島で新設したコールセンターは、一般的に5~10名体制で立ち上げにあたるところ、ただ1人の社員に任せた。本人の努力の甲斐あって1年で100人体制にできたものの、スタッフの士気は低く、サービス品質はイマイチ。でも、彼なりにやった結果の失敗だったからこそ、中野はその失敗を責めず、一緒に立て直しに入った。そのメンバーは今、新規事業のサービス担当を務めている。「あのとき失敗させてもらえたからこそ、今の自分がいる」と、自身の成長に手応えを感じているという。

「一からコールセンターの立ち上げ方を教えていたら、きっと本人はそこまで成長しなかったはずです。自分なりに行動したことの何が原因で失敗したのか、自分自身で考えたからこそ、その経験をベースに次の行動が変わってきたんだと思います」

「失敗した人ほど価値がある」。それが中野の信条だ。同じ能力の人が2人いたら、失敗を多く経験している人に任せたいとも思っている。それは中野自身が成功も失敗も経験して成長してきたからに他ならない。そんな環境でこそ、人は変われるのだと信じている。

「遊びだって、人から強制されてやっても楽しくないですよね。仕事も同じ。誰かに言われたとおりにやるより、自分なりに動いた方が絶対に面白い。上手くいかないこともあるし、勝負に負けたり、間違ったりすることもあるはず。でも、試行錯誤の上で結果が出たときの喜びは格別。それを味わえる環境を、僕は社員の皆に提供したいんです」

リスナーの目線

「まずやってみよう」とアグレッシブな仕事の任せ方をする中野社長ですが、人柄は驚くほどに柔和。撮影中もフロアを通るスタッフの皆さんに配慮し、「邪魔してごめんなさい」とひたすら低姿勢なのが印象的でした。「上下関係はあまり好きじゃない。家族のような関係でいたい」というのがご本人の言葉。そんな姿勢がフランクな関係性を生み出し、社員の皆さんからも積極的に意見が出る環境をつくっているのだと感じました。

インタビュー・編集/垣畑光哉、青木典子、森田大理 撮影/平山諭

Profile

1978年生まれ。2001年、東京大学卒業後、大手保険会社に入社。その後、エッジ株式会社(その後、ライブドアに商号変更)に転職し。M&AアドバイザリーやVC業務に従事。株式会社ライブドアファイナンスの代表取締役社長を務める。2007年、株式会社ダーウィンズを起業。現在は、同社を含む持ち株会社ダーウィンホールディングスの代表取締役社長を務める。

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