
想いがあれば「やってやれないことはない」。TTSは一人ひとりが成長できる組織を目指す
株式会社OKPR
代表取締役CEO
漆畑 慶将 / Keisuke Urushibata
「株式会社OKPR」は“PR=Public Relations”の原則に立ち返り、企業とお客さまとのコミュニケーションを支援する会社です。起業のきっかけは、前職の経験からPRの重要性を実感したことにあります。
前々職の大手TV局では報道の第一線に携わる業務を担当し、前職ではベンチャー企業にて広報や経営企画を担当。情報を世に出す側と情報発信をしたい企業側としての、両方の経験を経て現在に至ります。
OKPRは、単純にセオリーに則してパブリシティやメディアアプローチをおこない、メディア露出を支援するだけに留まっておりません。クライアントの過去から現在、将来の展望を丁寧にヒアリングし、本来クライアントたちが有する価値を再定義した上で、PR施策を推進していきます。私たちは「一緒に戦略を作るパートナー」としてクライアントと伴走し、共に事業拡大や商品認知を目指しており、それが当社の強みの一つでもあります。
私は静岡で生まれましたが、生後すぐに兵庫県へと移り、その後も転勤族として引っ越しが多い家庭環境で育ちました。小学校6年生の時に千葉県への引っ越しを機に、新しいことに取り組もうとホームページ制作を始めました。
同時に複数のサイトを運営していたのですが、その中の一つである、夏休みの宿題の裏技集を掲載した「まとめサイト」が月間4000万PVを達成。これを皮切りに、学生時代から個人事業主としてWeb制作やメディア運営を展開しました。当時は、Web制作やメディア運営はあくまでも趣味の延長線上であり、将来の本職とは考えていませんでした。
大学は弁護士を目指して法学部に進学。幼少期からの転校生生活で、時折クラスメイトから不合理な扱いを受けることがあったことから、「世の中に問いかけをおこない、より良い社会を目指したい」と想い、弁護士を志しました。しかし、学部生だった頃に法科大学院制度が導入され、弁護士になるには大学院までの進学がほぼ必須要件となりました。そこで大学院進学のためにお金を貯めようと、一度就職することを決意します。
日々仕事に邁進する中で、次第にPRの魅力に惹かれていき、気がつけば起業するほどまでにPRの虜となりました。起業したPR事業は法律とは異なるフィールドですが、弁護士で成し遂げたかった「社会を良くしていきたい」という根幹の想いは一貫していると感じています。
今後はOKPRのスローガンである「Revive Japan with PR」のとおり、日本でPRの新しい価値を作り上げ、その認知度向上を目指していきます。
日本では、まだまだ広報やマーケティング担当の取締役や執行役員が少ないのが現状です。PRを極めた人が、最終的に行き着く先のロールモデルが確立されておらず、出世ができても部長や室長止まり。キャリアパスが見えづらいため、広報の道を途中で辞める人も多いのです。
経営会議や役員会にCMO(Chief Marketing Officer)やPRの専門家が参加することは、「会社として、社会に対してどのような発信をするのか」という情報の精査が可能となり、企業価値向上につながります。企業にビジョナリー性が求められてくるこれからの時代にはさらにPRの概念が重要になると予想しています。
個人としても「情報経営イノベーション専門職大学」の客員教員として活動したり、「サムライ広報会」と呼ばれるコミュニティを主宰するなど、社会全体へのPR認知向上や若い世代へ向けてPRの魅力を伝える活動をしています。今後もPRの道を極めていきながら、「PRはこんなにも活躍できる職業だ」というロールモデルを確立し、日本全国にPRを浸透させていきたいと思っています。
父親の影響で小学生からPCに興味を持ち新聞制作や動画制作、HP制作に打ち込む。2001年に個人事業主として起業しHP制作業をメインとして展開。高校生のときには月間4000万PVのサイトを作り上げる。大学卒業後は大手放送局やITベンチャー企業へ就職。2016年に株式会社OKPRを創立し、PR事業を展開。三菱UFJ銀行などのデジタル企画部門への出向経験も持つ。 2020年2月よりVOYAGE GROUPへとジョインし現在に至る。
インタビュー・執筆:大井麻規子/編集:佐々木久枝
想いがあれば「やってやれないことはない」。TTSは一人ひとりが成長できる組織を目指す
システム監査、ネットワーク、セキュリティ領域に強みを持つコンサルタント集団
“伝える×つながる”を、テクノロジーの知見を活かして最適化したい
自身を見つめ生き方を模索する、その起点となる場を提供したい
タグ