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ストーリー代表・CEO

日本とアジアの懸け橋に。「おもてなしの精神」を通信販売で世界に届ける

代表_アジアンブリッジ

アジアマーケットへの通販支援サービスで
ナンバーワンの実績

台湾で生まれ、6歳で日本へ。
アイデンティティの悩みが気付かせてくれた使命

アジアンブリッジ株式会社
代表取締役
阪根 嘉苗 / Kanae Sakane

日本企業ならではの良質な通販サービスを海外へ

日本の通販サービスはすごい。宅配便はほぼ時間通りに届き、段ボールは開封しやすく、個人情報が書かれた宛名ラベルはなめらかに剥がれる。商品は緩衝材で丁寧に梱包され、感謝の手紙が同封されていることも。そんなサービスを見た海外の人々は皆驚くという。

アジアマーケットへの通販支援サービスでナンバーワンの実績を持つアジアンブリッジ株式会社代表の阪根嘉苗は、日本のサービスの質の高さを絶賛する。

「ずっと日本で暮らしている人は、日本のサービスやおもてなし精神がいかに素晴らしいか気付いていないかもしれません。私は台湾人として生まれました。だからこそ、外国人に響くポイントや商品の魅力を引き出し、伝えることができると思うのです」

日本企業は、海外に向けて自社商品を拡販するため「越境EC」(国際間のインターネット販売)に取り組んでいる。その多くは、海外から注文が入ってから、都度日本から発送するスタイル。日本でいう「楽天」や「Amazon」のような、現地のネットショッピングモールに出店したくても、日本企業にとってかなりハードルが高いのが現実だ。まずは言語の壁、それから法律関係や文化の違いが、海外進出の障壁として立ちはだかる。

現地モールに出店するには現地法人を作る必要がある。決済と物流のハードルも越えなければならない。代金引換が主流の国があったり、フィリピンの島々には住所が定まらないエリアもあったり。バイク便ドライバーが商品をネコババすることも珍しくない。

そこで活躍するのがアジアンブリッジの通販支援サービスだ。同社ではクライアントの受注から決済、配送までの一連の業務をサポートする。日本企業が自社で海外向け通販を行う場合、例えばお客様からの問い合わせ一つとっても、外国語で対応するとなるとスピードが落ちてしまう。政府への申請や輸出入の許諾申請も、単独で行おうとすれば途中で心が折れてしまうことだろう。アジアンブリッジはそんな面倒を一括で担っているのだ。

また、「初期費用の安さ」も同社の強み。多くの越境EC支援サービスでは、数百万円の初期費用がかかるケースが多い。売れないリスクがあるからだ。しかしアジアンブリッジはクライアントに初期費用を課さず、その代わり「成功報酬」という形で仕事を受け、毎日の受発注から顧客問い合わせまで現地の販売にまつわる全てを行っている。

「お客様の商品が売れなければ、当社も一緒に沈没するんです(笑)。だからこそ、命がけでサポートします。お客様と二人三脚で、商品の命名、キャッチコピーの制作、価格設定など、初期段階から伴走します。その商品の特徴や魅力をどのような形で打ち出せば海外の消費者に響くのか。そのポイントを引き出すことにこそ、私たちが介在する価値があります。作り手の想いを海外の人々にしっかりと伝えたいんです」

台湾と日本、自分のアイデンティティに悩んだ10代

台湾系日本人の父と生粋の台湾人の母の間に生まれた阪根は、6歳まで台湾で暮らした。祖父母は日本が台湾を統治していた時代に教育を受けた世代。家では日本語を話し、日本の魅力をよく語っていた。そして「大切な孫に日本の教育を受けさせたい」という想いから、幼い阪根を連れて日本に移住。日本国籍を取得した。

しかし大学生の頃、阪根は1年ほど台湾に戻り、両親と暮らした。日本での生活を続ける中で、「私のアイデンティティはどこにあるんだろう」という葛藤を抱き続けていた。その答えを探すためだった。

「祖父母からは『もう日本人なのだから台湾のことは忘れなさい』と言われ、両親からは『台湾人であることに誇りを持って生きなさい』と言われる。台湾の言葉も文化も人の気質も、私の一部であることは間違いありません。でも、私を育ててくれたのは日本の友達や学校の先生たちであるのも事実。どちらかを選ぶことはできませんでした」

悩み抜いた末、『選べないことこそが答え』と気付いた。自分のアイデンティティは台湾と日本のどちらにもある。「両者の懸け橋となるために生を受けたのだ」と思うと、これまでの葛藤はスーッと昇華されていった。そして、「日本と台湾のために、いつか起業しよう」と決意。大手人材会社に6年勤務した後、30歳のときにアジアンブリッジを設立した。

「日本の優れた商品を台湾に紹介したい」。そう考えていた阪根は、伝統工芸品や職人の手作りの日用品を何十個もスーツケースに詰め込み、2週間に1回のペースで日本と台湾を往復した。そんなとき、台湾でテレビショッピングが急成長しているのに着目。テレビ局に営業を仕掛ける。何度も通っていると「いつもユニークな商品を持ってくる人」と関心を持たれ、取引開始にこぎ着けた。日本のメーカーの商品を台湾のテレビ局に売り込み、商談が成立すればメーカーから報酬を受け取るビジネスモデルを作ったのだ。

「ようやく日本と台湾を結ぶビジネスに携わることができる」。そう思った矢先のことだ。テレビ局から、大量購入を条件に価格を半額にするよう要求された。それができなければ、今後取引はしないという。台湾の物価は日本の約2分の1。日本商品の品質がどんなに優れていても、台湾の人たちには高価すぎたのだ。阪根は日本に戻り、職人たちに値引き交渉を行った。そして、このとき返ってきた言葉が、今も耳に残っている。

「がっかりしました。あなたは日本の商品の良さを台湾に伝えるためのビジネスをしているのだと思っていました。それなのに、僕らが作ったものを買い叩くんですね」。

自分が卸売業者として利益を得る事業モデルでは、どうしても日本企業に無理を強いることになる。「私がやりたかったのはこんなことじゃない」と、阪根は卸売業から手を引いた。そして再び、日本と台湾の懸け橋になる道を探り始めた。

新たに見つけたのは、「台湾への進出を考えている日本企業との協業」だった。一例を挙げると、化粧品や健康食品の通販会社に広告代行サービスを提供している企業と手を結び、台湾進出を支援するという取り組みだ。現地のコールセンターとの提携や、受注・決済・梱包・配送といったサプライチェーンの構築――ゼロから仕組みを作るのはやはり大変だった、と当時を振り返る。

「日本のコールセンターでは当たり前に行われていることでも、台湾企業では『なぜそこまでしなくてはならないのか』という感覚。そこで、日本企業がなぜ細かいことにこだわるのかの背景から説明し、日本側の要望に応える方法を一緒に考えました。それは日本と台湾、両方の商慣習を理解している私たちだからこそできることだったんです」

台湾と結んだ懸け橋を、さらに多くの国々へ懸けていきたい

根気強い取り組みが実を結び、日本企業の台湾進出支援事業は軌道に乗った。これまで支援した企業は200社以上に上る。しかし阪根は、社会に与える貢献度や影響範囲に限界を感じるようになる。コンサルティング事業は属人的な要素が強く、自分が何人もいないと事業が拡がっていかない。「懸け橋」と呼べるほどのインパクトを与えるには、事業の転換が必要。自分がいなくてもビジネスが回る仕組みそのものを作らなければ、と考えた。

そこで、それまでは台湾人と日本人で構成されていた組織に、マレーシアやフィリピン、中国出身者を採用。台湾だけでなく、ECの取り扱い先をASEAN諸国まで拡大することにした。実は、ASEANのECのマーケット規模をすべて合わせても、日本のそれより小さい。それゆえに、日本企業が単独でそれぞれの国に進出していくリスクがリターンの割に合わないことが、ASEAN進出を妨げていた。そこに可能性を見出したのだ。

「日本も台湾も人口が減っていきます。人口増減は経済に大きな影響を与える。人口が増えているインドやベトナムは経済も伸びていくし、日本や台湾は縮小していきます。日本にはせっかく素晴らしい商品力やおもてなしの精神があるのに、国内マーケットだけで日本人の限られた財布を奪い合うなんて、なんて不毛な戦いなんだろうと思ったんです。一方、東南アジアでは、家にテレビはなくてもスマホは持っている割合が多い。つまり日本企業は、アジア・東南アジアの消費者と、手のひらのデバイスでつながれるんです。その橋渡し役を私たちが担っていこう、と」

これまでは日台の事業をメインにしていたためスタッフには台湾人が多いが、現在は日本語でのコミュニケーションが可能であれば、国籍不問で採用を行っている。

社内の雰囲気はまるで文化祭のようだと、阪根は笑う。

「先生が不在の文化祭。裁量権があるどころか、もう『大あり』です。クライアントとの打ち合わせ中も、私の決裁なしにメンバー主導ですべて決定していくので、私が社長だということを最後まで先方に気付かれないことも珍しくありません。私もメンバー同士も、お互いを信じ合っているところが当社の自慢ですね」

社内公用語が日本語といっても、やはりグローバルカンパニーだ。いわゆる日本企業と比較すると、働き方はかなり柔軟。「仕事を最優先するのは、アジアの中でも日本人くらい」と阪根が言うように、家族の体調が悪ければ休むのは当然という考え方が受け入れられているし、それぞれのバックグラウンドを尊重する空気がある。

他者の考え方や価値観を大切にする社風はそのまま、サービスの精神にも反映されている。アジアンブリッジの価値は、単に日本商品を海外に売ることだけではない。モノづくり大国である日本の最大の武器は、やはり「おもてなし」の精神であると、阪根は繰り返す。モノはすぐに模倣されてしまう。けれど、相手の立場に立った提案やアフターフォローなどのサービス面は、そう簡単には真似できない。

「なぜなら、そこには日本の美徳である『真心』があるから。質の高い商品に付随する思いやりは、世界中に感動を与えるほど圧倒的なレベルです。それを私たちは世界へ伝え続けていきます」

リスナーの目線

台湾生まれの日本育ちで、日本語・中国語・台湾語を自在に操るトリリンガル。数年前に自らの拠点も台北へ移してからというもの、何かが吹っ切れたように、事業コンセプトがビシッと定まり、会社も急成長を遂げています。その細腕からは想像もつかない辣腕ぶりは「楽しいうちは仕事じゃない」と語る根っからのストイックさと、学校のような社風を良しとする受容力の賜物なのかもしれません。

Profile

1979年台湾高雄市生まれ。小学生のときに日本に留学。台湾で会社経営する両親の影響により、幼い頃から自らも経営者を志す。早稲田大学大学院卒業後、多くの経営者に出会え、かつ営業の経験を積みたいという思いから、株式会社リクルートエージェント(現:リクルートキャリア)に入社。新規開拓営業を得意とし、年間100社以上の新規企業を開拓。その後、幼い頃からの夢であった台湾と日本の懸け橋となるべく、2010年にアジアンブリッジ株式会社を設立。現在は化粧品や健康食品、Web事業のローカライズを中心に、これまでのべ200社以上の進出支援を行う。

Staff

インタビュー・編集:垣畑光哉、ニシブマリエ/撮影:出島悠宇

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