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ストーリー代表・CEO

千載一遇のチャンスは、 追い求めるのではなく 向こうからやってくる

最新ストーリー代表_ゴンチャ ジャパン

アップル、マクドナルド、ベネッセ
そしてGong cha。

有名企業の経営者を歴任した男の
『追いかけない』キャリア論

株式会社ゴンチャ ジャパン
代表取締役会長 兼 社長 兼 CEO
原田 泳幸/ Eikoh Harada

元祖プロ経営者が語る、今だから伝えたいキャリアの裏話

原田泳幸。日本の経済界で、彼の名を知らない者はいない。アップルコンピュータ、日本マクドナルド、ベネッセホールディングスと3社での社長・会長歴は計20年。経営者として大企業を渡り歩くキャリアや、広く知られる有名ブランドのトップという立場から、原田は世間から 『プロ経営者』と呼ばれ、称賛もバッシングも浴びてきた。事実でない憶測が流布したことも一度や二度ではない。

「当時は、経営の責任を果たすことを第一に、あえて口をつぐんでいた側面もあります。また、私はベネッセ退任後に複数社の企業顧問や経営者の育成を支援してきましたが、いかなる企業も課題の本質はほぼ共通していることを実感させられました。私自身の経験を、時間が経った今だからこそお伝えしたいのです」

原田のキャリアは、研究開発をおこなうエンジニアからスタート。10年間の技術者生活を経て、横河・ヒューレット・パッカードでは意図せず営業に配属。その後、わずか3年で仏系の油田探査企業シュルンベルジェ社に転職。原田のキャリアの変遷において、自分の意思のみで転職先を決断したのは、このときだけだ。

しかし、技術サポートの仕事で入社したつもりが、ここでも予想外のミッションが待ち受けていた。任されたのは、原田と外国人上司の二人で直販部隊を立ち上げること。事業計画もファイナンスも知らなかった原田は、ゼロから猛勉強。これが経営を知ることにもつながった。そんな日々を過ごすうちに、原田の実績がヘッドハンターの目にとまり、40歳で再び転職の誘いが舞い込む。そのときに紹介された企業こそ、のちに社長を務めるアップルコンピュータジャパン(現:アップルジャパン)。ところが、当時紹介されていた別の大手外資系企業に入社するつもりだったという。

「紹介を受けていた別の会社は、勢いもありポジションも魅力的でしたが、自分の心がワクワクしなかったんです。かたやアップルは、当時ほぼ知名度のない会社で日本法人は最も危ない外資系企業と言われていた。でも、常識に縛られない活き活きとした雰囲気を感じ、『アップルの方が断然面白いんじゃないか』という直感で決めました」

1990年、アップルに入社した原田は、『マッキントッシュ』の専門職向けのコンピュータというイメージを変えるべく、ジャネット・ジャクソンの日本6大都市公演をスポンサーとして実現させたり、スティーブ・ジョブズが後に基調講演をおこなった『マックワールド東京』を開催したりと、斬新なマーケティング戦略を次々に成功させていった。

原田流のV字回復術は、そのブランド「らしさ」を取り戻すこと

時は流れ1997年。原田は、アップル日本法人の社長となる。マイクロソフト社の『Windows95』によって、パソコンが一気に普及しはじめた頃。競合の勢いに押され、アップルが非常に苦戦していた時代に経営を任されたのだが、この就任劇には裏話がある。

「たしかに、Windows95は画期的な商品でした。けれど、アップルが業績不振に苦しんだ一番の要因は、競合の勢いを目の前にしてアップルらしさを忘れてしまったから。なりふり構わぬ販売戦略や一貫性のない経営方針に、私は憤りを感じていたんです。だから、もうこの会社を去ろうと、当時務めていた米国本社のマーケティングVPも退任しました。すると、一週間後に本社からエグゼクティブがやってきて、私を新宿のパークハイアットに呼びだし、こう言ったんです。『原田が日本の社長をやれ。退職金は返せ』と」

急転直下の社長就任に驚いた原田だが、「チャンスがあるのなら」と二つ返事で引き受け、それから5日徹夜をして変革のシナリオをつくった。原田が描いた戦略のなかで有名なのは、販売インフラの刷新。当時最先端のサプライチェーンモデルに変えた原田の功績は現在に続くアップルの礎となっており、家電量販店で見かける周囲の売場とは一線を画した雰囲気の『アップルコーナー』は、その象徴とも言える。
 こうした変革が、米国本社でCEOに復帰したスティーブ・ジョブズの戦略と相乗効果を起こす。『iMac』『iPod』とアップルらしい独創的な商品がパソコンに縁がない人たちの目に留まり、消費者の裾野を大きく広げていった。業績はV字回復し、盤石な経営体制も確立。ところが、順風満帆ともいえる2004年、日本マクドナルドへの転身を決意する。

「アップルが嫌になった訳ではまったくありません。ただ、インターネットによって世界との距離が縮まり、多くのグローバル企業が世界同時戦略をとりはじめた。となると、徐々に各国で独自の戦略を打ち出せる枠も狭まり、アップルジャパンの社長を続けることは、自分のキャリアのチャンスを狭めるのではないか、と思うようになったのです」

原田はこの想いを、直属のボスだったティム・クック(現・アップルCEO)に打ち明けた。成田空港まで自らの運転で彼を送る車中の会話は、今でも鮮明に覚えている。それから一週間後、偶然にもまたヘッドハントを受ける。このときの話こそマクドナルド。IT業界33年の原田が飲食業界のオファーを受けたのも、偶然の一致だった。

「当時、『次は人を幸せにする食べ物屋をやろう、日本の焼き芋を世界に通用するブランドにしたい』なんて冗談で言っていたんです。そうしたら、フライドポテトのマクドナルドから声がかかった。深く話をすると、本社が抱く危機感と私が外から感じていたマクドナルドの危うさに共通項が見つかり、それならと正式に受けることにしたんです」

こうして「マックからマックへ」と転身する原田。ITから外食へと身を移したが、そのどちらにおいても、経営の根本となる考え方は同じだと語る。当時のマクドナルドが業績不振に陥っていた原因を、マクドナルドらしさの喪失だと見ていたからだ。アップルがアップルらしさを取り戻して蘇ったように、顧客が期待するマクドナルドに原点回帰すること。やるべきことはこれだけだという確信があった。

「7年連続マイナスの業績が就任3ヶ月でプラスに転じましたが、画期的なアイデアは何もありません。あれこれ手を出していた戦略を止め、クオリティ・サービス・クレンリネスを追求すること。当たり前をきちんとやる。それが業績回復の最大の戦略でした」

原田体制のマクドナルドは、2004年から会長時代の2012年まで順調な成長を遂げ、全店売り上げが3050億円から5400億円まで伸びた。ところが翌年後継者に経営を委ねたところ業績が急落。そのため、元部下だったサラ・カサノバをマレーシアから呼び戻し、新たなリーダーとして社長にすえた。世間では業績不振による辞任と言われているが、実はベネッセホールディングスからの誘いがなければ辞めていなかっただろうと語る。

しかし、ベネッセでも苦難が待ち受けていた。事業のデジタル化を進めようとしたが、主要事業である進研ゼミの業績不振が重なり、世間はデジタル化を失策だと責め立てた。ただ、これは原田が就任した直後に発覚した情報漏洩事故が大きく関わっている。

「進研ゼミは、DMによる会員募集が主な集客チャネルです。しかし、情報漏洩が起き、DMは凍結せざるをえなかった。メインのチャネルを失えば、業績は落ち込む。私たちは耐えるしかなく、脱DMを目指した訳でもありませんでした。しかしデジタル化戦略と混同してとらえられ、結果的に教育業界の変革が進まなかった。それが非常に残念でした」

こうして原田は、就任2年でけじめをつけ退任。自らの言葉で引責辞任だとメッセージを出したのは、就任前の問題がきっかけだったとしても、トップとして会社を守るためのベストな対応だったと考えている。

期待を越え続ければ、チャンスは向こうからやって来る

ベネッセ退任後も、ソニーの社外取締役や顧問業に取り組んできた原田。2019年12月には、タピオカドリンクで絶大な人気を誇る台湾発のティー専門店『Gong cha(ゴンチャ)』日本法人に招聘され、会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)に就任。再び経営の表舞台に立つ原田だが、過去の3社とはまったく意味合いが異なるという。

「これまで私に求められていたのは、一貫して『変革』でした。でも、今のゴンチャはゼロから新しいマーケットをつくるフェーズです。かつてスターバックスがカフェ文化をつくったように、ゴンチャがアジアンカフェという一つのライフスタイルをつくろうとしているのが私にとってまったく新しい挑戦であり、これが今のやりがいなんです」

キャリアを振り返ってみると、表向きは意欲的にチャンスを追い求めてきた人物に見えるが、実際は偶然やタイミングも重なって決断してきた。では、そうした偶然を原田が引き寄せられたのはなぜなのだろうか。

「今の若い人にアドバイスをするとしたら、『チャンスは向こうからやってくる』と言いたいですね。ただしそれは、今の仕事で他人以上、これまで以上の成果を出してこそ。目の前のことに真剣に向き合う人のことを、世の中はきちんと見ているものです」




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リスナーの目線

「あの時は言えなかった話をしよう」そんな第一声で始まったインタビューは、それぞれの転身のきっかけやあの時は言えなかった真実、信じられないような偶然の連鎖に満ち溢れ、まるで世界を股に掛けた経済小説か、映画をみているようでした。日本と世界の経済に影響を与え続けてきた重厚で濃厚なエピソードとは対照的だった、原田さんのどこまでも穏やかな笑顔が今も焼き付いています。

インタビュー、編集/
垣畑光哉、森田大理、西野愛菜

撮影/
後藤敦司

Profile

長崎県佐世保市出身。1972年、東海大学工学部卒業後、日本ナショナル金銭登録機(現・日本NCR)入社。横河・ヒューレット・パッカード、シュルンベルジェグループを経て、1990年よりアップルコンピュータ。米国勤務を経て、1997年より同社代表取締役社長兼米国アップルコンピュータ副社長に就任。2004年より日本マクドナルドホールディングス代表取締役会長兼社長兼CEO、2014年~2016年はベネッセホールディングス代表取締役会長兼社長、2013年~2019年はソニー社外取締役と、20年以上にわたって社長・会長を歴任し、企業変革・事業のV字回復を手掛けてきた。現在は複数社の顧問や経営者育成事業を行いながら、2019年12月より台湾発のティー専門店「ゴンチャ(Gong cha)」を運営するゴンチャジャパンの会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)を務める。

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