
パラリンピック選手の言葉を胸に
就労支援事業での再起を決意。
度重なる試練を乗り越え
障がい者もクライアントも
幸せになれる仕組みを追求する
就労支援サービス株式会社
代表取締役
大畑 昭康 / Akiyasu Ohata
沖縄県那覇市に拠点を置く就労支援サービス株式会社。同社が運営する事業所「就労支援ワークイット」では、国の障害者総合支援法にもとづく「就労移行支援」のサービスを提供している。就労移行支援の対象は、障がい者(精神障がい、発達障がい、知的障がい)の人たち。就職に必要な知識やスキル向上を目的としたサポートを行う。ワークイットはITスキルの提供を強みとする、就労移行支援事業所だ。
今やどんな業界でもパソコンは必要不可欠。そのためワークイットの提供する教育プログラムは、最低限のITスキルからIT業界でも通用するハイレベルなものまでと幅広い。利用者の年齢層は10代から60代。プログラムを修了した利用者は、IT系企業はもとより、銀行や役所、病院、警備会社など幅広い分野への就職を果たしている。
イメージとしては「職業訓練校」に近い。しかし、ワークイットの存在意義は単にビジネススキルを教えることではない、と代表取締役の大畑昭康は強調する。「就職」のためだけでなく、障がいのある方が生涯活かせる経験や実績、自信を付け、幸せの選択肢を増やすための場として位置付けているのだ。
提供するプログラムは「ITスキルプログラム」、そして流行中の大人のぬり絵やペン習字、英会話、ヨガといった「リフレッシュプログラム」の二本立てになっている。ITスキルを学校形式で画一的に教えても、欠席したり理解が遅れたりすれば、挫折してしまう可能性がある。そこで、いつでも何回でも観れる動画教材を用意し、挫折が起こりにくくするなど、さまざまな工夫が施されている。また、プライベートが充実してこそやりがいある仕事ができるとの考えから、利用者の好きなものや、やりたいこと探しもリフレッシュプログラムを通してサポートしている。
大畑は長らくIT業界で働いてきた経歴の持ち主。福祉分野でのビジネス経験はない。だからこそ、従来の就労移行支援に違和感を抱いていた、と語る。
「既存の事業所の中には、幼稚園のような手作り感満載の内装だったり、過度に贅沢な内装だったりするところがあったんです。『障がい者だから』という『特殊な扱い』で接していると僕には感じられました。利用者はいずれ卒業しますが、就職先へ自然に移れるよう、ここでは『障がい者だから』という特別な要素は排除し、ごく一般的な企業のオフィスらしい内装にしています。自分や近い関係の人が障がいを持ったとき、やっぱり身を置く環境は今まで通りの『普通』であってほしいと思うはずなんです」
事業所のスタッフが利用者を「特別扱い」しないのも特徴だ。利用者は「お客様」ではない。スタッフが何でもしてあげることが支援ではない。言葉こそ選ぶが、あえて利用者に手を貸さずにじっと見守るときもある。利用者が自立し、スタッフと対等な関係を築けてこそ支援になる。そう大畑は考える。対等な関係を心がけ、利用者の自立を促すワークイットの支援は話題となり、利用希望者が引きも切らずやってくる。
障がいの内容やその程度は利用者によってさまざまだ。その特性を理解した上で、利用者が確実に乗り越えられる仕組みを考え、教えていく。業務内容が高度だからこそ、ワークイットでの仕事はスタッフにとってやりがいのあるものとなっている。
大畑は千葉県の出身。母方の実家が商売をしており、いつか自分も「社長」になってみたいと高校生の頃から考えていたが、大学卒業後は地元の企業に就職した。世の中はちょうどベンチャーブーム真っただ中。大畑はベンチャー企業に憧れ、情報通信系大手の子会社に入社した。しかし、過労の末に倒れ、また職を変わる。その後はIT系企業を皮切りに3社を経験。3社目で沖縄での新規事業を発案し、新会社設立に参画する。これが沖縄との出会いとなった。
ところが、この新会社が設立半年で売却され、急きょ東京の本社に呼び戻されることになる。ショックを受けた大畑は会社員として燃え尽きたと感じ、独立を決意。沖縄で会社を設立し、沖縄出身の妻の実家が栽培していたマンゴーの通信販売事業を始めた。
そのうち、通販のWebサイトをつくったことがきっかけでWebサイト制作、ゲームの受託開発へと事業を拡大する。東京にまで営業に出向き、仕事のスケジュールが1年先まで埋まるほどの案件を受注した。従業員も30名ほどに急増した。
だが、ここでも順風満帆とはいかない。顧客からの未払いによる資金繰りのショート、契約を無視した一方的な受注案件の白紙化など、思いもよらない出来事がいくつも重なり、売上があっという間になくなったのだ。従業員から見切りをつけられ、全員が退職。大畑は一人で借金を背負うこととなった。
事業に失敗すると、周りの人たちが次々と離れていった。手持ちのお金が借金の返済額に足りず、自ら命を絶とうと考えたこともある。ただ、そんな中でも気にかけてくれる友人がいた。そのつながりから少しずつ仕事を請け負って、日々を食いつなぐことができた。
そんなとき、友人たちとの食事会で大畑は初めて「就労移行支援事業」への想いを語った。障がい者の就労移行支援は、実は事業失敗前に構想していた新規事業だった。ただ、当初はあくまでビジネス目的で、深い思い入れや事業計画はなかったという。
この食事会から半年後、転機が訪れる。食事会に参加していた友人の1人から、パラリンピック選手の講演会に誘われたのだ。「世界一不幸な人間が気の毒な人の話を聞いてどうするんだ…」と正直気乗りがしなかった。それでも、再起のきっかけになるかもしれないと考えた友人の気持ちを無駄にしてはいけないと、なけなしの手持ちから参加費をねん出した。その講演会で上映されたロンドンパラリンピックのCMに、大畑は衝撃を受ける。
「パラリンピック選手が、ものすごくかっこよかったんです。障がい者はかわいそう、というイメージとは真逆の世界が映っていました。たった90秒の動画でしたが、見終わってから涙が止まらない。そこでハッと気付きました。かわいそうと思っていた彼らに僕は助けられた、僕らは対等なんだ、と。そのとき、もう一度頑張ろうと決意しました。今度は僕が就労移行支援の事業を立ち上げて、彼らの役に立ちたいと思ったんです」
大畑は数ヵ月かけて事業計画を練り直し、友人らを前にプレゼンした。パラリンピック選手の講演会に誘ってくれた友人らが大畑の計画を絶賛し、出資を快諾してくれた。
ところが、またも試練が訪れる。会社設立を目前にした時期に、父親のガンが発覚したのだ。1週間の余命宣告を受けたと聞き、会社設立の準備を中断。大畑は取るものも取りあえず帰省し、入院する父親に24時間付き添うことにした。
病院ではつらい状況が待っていた。痛み止めにモルヒネを投与すると、父の苦しみは和らぐが意識が遠のいてしまう。投与しないと苦しみが増す。薬の投与は家族が決断しなければならなかった。「父にとっての幸せって何だろう」。大畑は考え続けた。
ある日の夜中、父が突然酸素マスクの届かない窓際で外を見たいと言い始めた。マスクを外せば命に危険が及ぶ恐れもある。迷ったが最終的には父親に肩を貸し、ベッドを出た。
「千葉の片田舎の風景を、それはそれは満足そうに眺めるんですよ。きれいだなあ、と言って。ひとしきり景色を眺めた後、父は満足してベッドに戻りました。そのとき、自分の判断は間違ってなかった、ベッドから連れ出して良かったと思ったんです。人間の幸せとは何か、真剣に考える時間をもらえた。この出来事は間違いなく、就労支援サービスの事業について考える際の礎になっています」
1週間とされた余命より、父親は少しだけ長らえた。葬儀を済ませて沖縄に帰り、すぐに就労支援サービス株式会社を設立。こうして2016年4月、就労移行支援事業所がスタートを切った。
2018年5月からは那覇市内で就労継続支援の事業所も設立した。「就労継続支援」は、就職が困難な利用者に作業を通じた社会参加を提供するサービス。現在約30名が通っている。
大畑は将来、就労支援にAIを活用する構想を温めている。障がい者に仕事を発注するのは簡単ではなく、事実一般化していない。障がい者の体調次第では、納期を守るのが難しく、さらに納品管理のために、受注元とクライアント双方に人的リソースの負担が大きくなり、品質とコストが見合わなくなるからだ。
そこで障がい者の仕事の進捗と遅れがちな作業をAIにカバーさせる。AIのサポートにより、障がい者は体調に合わせて安心して働ける。クライアントは納期遅れや人的リソース負担のリスクを負わず、障がい者の雇用創出や仕事の発注という社会貢献ができる。仕事を通して障がい者もクライアントも幸せになれる仕組みの実現を目指している。
「障がいのある方の多くが従来やっていた軽作業だけではなく、IT分野や最先端の仕事に従事する喜びややりがいを感じられる環境をつくりたいですね。将来、僕らがより社会から必要とされるような状況が来たら、事業内容や事業所の拡大もあり得るかもしれません。ただ、今は利用者やスタッフの一人ひとりとじっくり向き合いたい。目の前の人の幸せを考えた支援を提供していきたいと思っています」
公開日:2018年12月13日
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ITから福祉への転身と聞いて、戦略的でビジネスライクな社長像を思い描いていたところ、実際の大畑さんはとことん人間臭く、愛すべきキャラクターで、窮地にも周囲の人々が捨て置かなかったのも頷けます。想像を絶する苦難を経験すると、人はけれんみや煩悩から解放されて、本来の生き方を志向するのですね。お父さんとのくだりでは思わずもらい泣きしてしまう、心温まる取材でした。
1972年生まれ。千葉県出身。大学卒業後、アクサ生命保険株式会社、トランスコスモス株式会社を経て、株式会社サイバードにて新規事業立ち上げ責任者として沖縄県に事業会社を設立。退職後、沖縄県にネット通販、ウェブサイト制作、ゲーム開発を事業ドメインとする株式会社ソシアブリゲードを設立し、沖縄に移住。パラリンピック柔道選手・初瀬勇輔氏との出会いをきっかけに、障がい者福祉に強い関心を抱く。15年以上にわたるIT業界での経験と人脈を障がい者福祉に活かす方法を約1年半かけて模索し、ITスキルの習得支援を強みとする就労支援サービス株式会社を設立。就労移行支援事業「就労支援ワークイット」を開始。就労支援員として、求人の開拓、プログラム作成に奔走中。趣味は読書。涙もろく、感動するとすぐ泣く。家族は妻、子ども2人。
インタビュー・編集:垣畑光哉、横山瑠美/撮影:平良信実
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