
真面目におもしろいことをしよう!企業のビジネスが輝くような“世界観(ストーリー)”を世に展開し、顧客とのコミュニケーションを力強く後押しする
メディアカンパニーから「プラットフォームカンパニー」へ。
新たなミッションを掲げ、ポストコロナ時代を見据える
C Channel株式会社
代表取締役社長
森川 亮 / Akira Morikawa
2015年の創業以来、女性向けコンテンツを提供してきた C Channel(シーチャンネル)株式会社は、今、事業の大きな分岐点を迎えている。代表取締役の森川亮はこう語る。
「創業から7年目、『女性の笑顔をつくる世界NO.1のメディアカンパニー』を目指し、女性向け動画メディア『C Channel』の運営を主事業として走り続けてきました。しかし昨今、Webメディアを取り巻く環境は大きく変容しています」
オンラインでの集客力と拡散力を武器に、アパレルやコスメブランドなどのマーケティングを支援するのが、C Channelの基礎となるビジネスモデルだ。具体的には、SNSメディアを活用しての動画マーケティングやインフルエンサーによるマーケティング活動をしており、さらに自社のECサイトを通じてD2C(消費者直接取引)販売も行っている。近年、これらの集客と拡散の担い手はメディアから個人へと移り変わっているという。
「今は個人が発信する時代。ユーザーも大型メディアではなく、影響力ある個人のファンとなり、彼らの発信を信用します。ユーザーの消費行動が細分化・多様化する中で、これまでのようなコストをかけて、コンテンツやネイティブアドを展開する手法に限界が見えてきました」
時代の変化に伴い、森川が着目しているのがインフルエンサーだ。それも百万単位のフォロワーを有するトップインフルエンサーではなく、数千のフォロワーで限定的な範囲に影響力を持つナノインフルエンサーにチャンスを見いだしているという。ナノインフルエンサーを束ねるプラットフォーム「Lemon Square(レモンスクエア)」を構築し、すでにアジア全域で約5万人が登録している。
通常、インフルエンサーが商品のPRをする際には報酬の支払いが生じる。しかしこのモデルでは報酬は発生しない。それはユーザーに影響力を持つC Channelだからこそできることだ。
「インフルエンサーたちはPR商品を無料で使うことができ、C Channelを通じて自分の投稿が拡散され、認知度を上げることができます。報酬がなくてもWin-Winの関係を結ぶことができるのは、数多くの女性ファンから支持を得ているC Channelならではの強みです」
日本に新型コロナウイルスの猛威が迫っていた当時、C Channelは上場準備を進めていた。
「上場のために海外で7拠点を設立し、拡張路線を走っていました。ところが上場要件が変わり、収益性がより重視されるようになった。赤字拠点をクローズし事業整理を進めていたところで、コロナ禍に突入しました」
緊急事態宣言が出た直後の2020年5月に、TOKYO PRO Marketへの上場を果たす。しかし会社の命運は、依然不透明のままだった。
「感染防止のため上場の鐘を撞きに行けなかったこともあり、お祝いムードはありませんでした。正直、危機感の方が強かったです。緊急事態宣言後、メインクライアントである化粧品業界が危機的な状況に陥りました。我々も上場を喜んでいる暇はない、すぐに次のアクションに移らなければと焦燥感を持っていました」
固定費削減のためのオフィス移転、リモートワークの導入など、コロナ禍対応を次々と進める。しかし従来からのメイン事業である動画制作への影響は甚大だった。動画制作は、人の移動や対面での撮影が欠かせない。スタッフやクライアントの感染リスクをどこまでケアできるのか。一方、コロナ禍で撮影を行うこと自体が批判の的になり得るため、商談が白紙となることもあったという。
「撮影ができなくなると、動画メディアの存続に関わります。自宅での撮影を許可したり、移動手段を手配したり、スタジオの消毒や空調などを整備したりと安全を最優先し、できることはすべてやりました。コロナ禍への対応に正解はありません。議論するよりもまずは行動を、と心がけていましたが、どうやって動画メディアを維持し収益を確保するのか、まったく先が見えませんでした」
それでも一つずつ問題を解決し、オフィスの移転や海外拠点の整理にも一区切りがついた2021年の春、森川に次の試練が待ち構えていた。
「日本・インドネシア・中国に拠点を絞り、これからリソースを集中させようというときに突如中国拠点の代表が退職することになったんです。代わりを探そうにも、海外法人の経営経験を持つ日本人はそう簡単には見つかりません。ましてやコロナ禍での海外赴任となるとハードルはさらに上がります。日に日に売上が落ちていき、一刻の猶予もありませんでした。『自分がやるしかない』と、私自身が立て直しに行くことを決意しました」
スタッフはほぼ全員が中国人。言葉も商習慣もマーケットも違う環境で、彼らの心をつかみ、業績を回復させることができるのか。予断を許さない状況だった。
「着任後は一日でも早く彼らの信用を得るために、まずボーナスを出して、一人ひとりの夢や目標を聞いて、丁寧にコミュニケーションを取りました。通訳なし、翻訳アプリで地道に自分の言葉で彼らと対話を繰り返す日々。日本と違って、彼らは経営者の仕事ぶりをじっと見ています。ダメだと思ったら辞めるんです。だから、本気で彼らの生活を守る気概が私にあることをしっかりと示さなくてはなりません。朝早く出社して夜遅くまで働き、彼らの声に耳を傾ける。泥臭いハードワークを毎日休まず続けていました」
そんな森川の粘り強い行動の一つひとつが、次第に周りの心をつかんでいく。懸念していた退職者も最小限に抑えられ、組織が安定して前進できる体制が整い、業績の立て直しにもメドが立った。たった一人で中国に渡ってから、4カ月後のことだった。
「まさにスタートアップそのものの濃い4カ月で、毎日が戦場でしたね。この歳になって海外でこのような経験をすることになるとは思いませんでした」
これまでの経験もまるで役に立たなかった中、株主やクライアント、そして現地のスタッフに対する責任感だけを支えに、重圧がのしかかる4カ月をやり抜いた。
森川が帰国したのは、日本でコロナ禍が収束の気配を見せていた2021年の秋だった。ようやくスタートラインに立った森川は、C Channel本体の収益改善のため、プラットフォームをコアとする事業改革に着手した。
従来のC Channelは、メディア運営企業でありながら多くのクリエイターを擁するクリエイティブ企業、いわばスペシャリストの集団だった。そこにボトルネックがあったという。
「個性あるクリエイターたちの化学反応で、ほかにはない独自性のあるコンテンツを生み出すことができました。しかしクリエイターは定着しにくく、退職すると会社に資産が残らないんです」
急成長するナノインフルエンサーの市場に舵を切り、メディアカンパニーからプラットフォームカンパニーへと転換する。データドリブンであるプラットフォームなら、蓄積したデータや仕組みが資産として残るため、人が移り変わっても成長を続けていける。ボトルネックを解消し、盤石なビジネスモデルを構築した。
「もちろんインフルエンサーも売れると離れていくケースは多々ありますが、数万人規模を束ねていれば多少減っても影響はありません。基盤となる仕組みをつくり、それを回していくことで売上を積み上げていくビジネスモデルを確立することができました」
事業転換に当たっては、時間をかけて新たなビジョンを仲間たちと議論し、突き詰めた。こうして導き出したのが「誰もが自分らしく輝ける機会を創る」というビジョンだ。
さらに「三方よし」や「やりきる」などの5つのバリューを掲げ、行動基準として徹底した。それはこれまでのC Channelで散見された「結果を出してさえいればいい」という個人中心の風潮からの脱却を意味している。
「採用においても、ミッション・ビジョン・バリューに共感する人だけを採用するという方針に改めました。この方針に基づいて全役員で面接し、納得しないと採用しないという形を取っています。ハードルは上がりましたが、強烈な個性を持ったスタープレーヤーではなく、我々に共感できる人を増やしていける。そういう人たちが地道に成果を積み上げていくことで会社のカルチャーが育っていくんだなと、あらためて実感しています」
海外拠点を含めた連結決算では利益を確保しつつも、日本法人では業績不振が続いていた。そこに終止符を打つべく、ここでも森川自身が先陣を切ってスタッフに道を示している。
「アポ取りから商談まで、私自身もすべて携わっています。みんなに頑張ってもらうためには、まず社長が一番頑張らないと。最近は1日5〜6件のアポを入れており、手応えを感じています。黒字化のめども立ったので、あとはひたすら成長するのみです」
上場、コロナ禍、中国法人の立て直し、そして事業転換。数々の難題を突破し、ついに成長軌道に乗せることができた。
「ここ5年間はまともに熟睡できないほど、不安でいっぱいでした。最近はようやく枕を高くして眠れるようになりましたね」
森川の次なる計画は、プラットフォームの横展開による事業拡大だ。インフルエンサーと同様にクリエイターのプラットフォームをつくり、クライアントとクリエイターをマッチングするビジネスを計画している。苦難を乗り越えた森川の目には、再び闘志の火が灯る。
「生きていればいろいろなことがあります。渦中にいるときは大変ですが、終わってみれば、貴重な経験ができたことには感謝しかありません。困難の先には必ず成長がある。やるからには、どんなことでも楽しんでやっていきたいですね」
公開日:2022年3月31日
1967年1月13日生まれ。1989年筑波大学卒、日本テレビ放送網株式会社入社。
1999年、青山学院大学大学院国際政治経済学研究科修士課程を修了しMBA取得。その後ソニー株式会社に入社。
2003年、ハンゲームジャパン株式会社に入社、取締役を経て、2006年10月、取締役副社長に就任。
2007年10月、NHN Japan株式会社(ハンゲームジャパンより商号変更)代表取締役社長に就任。
同年11月、ネイバージャパン株式会社設立に伴い、ネイバージャパン代表取締役社長を兼務。
2013年4月、NHN Japan株式会社の商号変更により、LINE株式会社代表取締役社長に就任。
2015年3月、同社代表取締役社長を退任。同年4月、C Channel株式会社代表取締役に就任。
2020年5月、C Channelは東京証券取引所TOKYO PRO Marketに上場。
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東京都目黒区青葉台4-7-7
インタビュー:垣畑光哉/執筆:安部亮多/編集:ひらばやしふさこ
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