
真面目におもしろいことをしよう!企業のビジネスが輝くような“世界観(ストーリー)”を世に展開し、顧客とのコミュニケーションを力強く後押しする
C Channel株式会社
代表取締役
森川 亮 / Akira Morikawa
子供の頃から大学まで、一貫して私の周りにあったのは音楽でした。親に勧められた合唱団のオーディションに合格したのがきっかけで、音楽にのめりこむようになったのです。声変わりを機にドラムへ転向。中学高校と吹奏楽部で、大学ではプロを目指して、ジャズバンドでドラムの練習を重ねていました。
音楽はスポーツと違って、誰とも戦いません。一生懸命に練習をした結果、自分たちの音楽が聞く人を喜ばせることで、自分たちもハッピーになれる。そんな音楽が大好きになりました。私が「ビジネスは戦いではない。社会貢献だ」と考えるようになった原点は〝音楽〟にあるのかもしれません。
大学でコンピューターを勉強したのも、シンセサイザーとか打ち込み系の音楽を極めたいと思ったからです。でも、コンピューター自体はあまり好きになれなくて、就活は理系ではない方向を目指しました。音楽番組に関わりたいと、ミキサー志望で受けた日本テレビに運よく内定しました。
ところがそこで配属されたのは、好きになれなくて避けたはずのコンピューター関連の部署。その時「会社を辞めようかな」と思いながらも、コンピューターにまじめに取り組んだことが、その後のビジネスに生きることになりました。
LINEの社長を退任後、設立した『C Channel』は「女性向けの動画ファッション雑誌」です。ファッション、ヘアメイク、コスメ、グルメ、旅などの情報を、クリッパーと呼ばれる女性たちがスマホで1分以内の動画を録画・編集し、リアルタイムでアップしています。クリッパーは日本のほか、ニューヨーク、ソウル、台北、シンガポール、バンコク、ジャカルタ、ホーチミン、北京、ドバイなど、海外も含めて、すでに150人ほどが活動しています。
彼女たちが行きたい場所やお店を、自腹で訪ねて紹介するというのもポイントです。そうすると自然と地元の人しか知らないような穴場や、安くておいしいお店などを紹介してくれます。ブロガーに代わる流行に影響を及ぼす人(=インフルエンサー)がクリッパー、という仕掛けを作りたいのです。クリッパー以外にも、ファッション誌や女性向けサイトなどと提携したチャンネルを増やしています。オリジナルのラインとしては、ほかに世界的なブームになりつつある料理のレシピ動画やヘアメイク動画の配信、記者会見をスマホで撮影したニュース動画の配信なども始めています。
一般の方の投稿の機能も設けました。そこではペットとか季節の行事の動画などのコンテストも行っています。世界中の美しい景色など、男女関係なく動画が集まってくるようにしたいと思っています。そして検索しなくても、自分の見たい動画が優先的に表示されるような、リコメンド機能の強化も目指しています。
お金儲けというよりも、社会貢献に近いかもしれません。こだわっているのは“日本発”ということ。メディア産業が大きく変わろうとする中で、このままでは外資のメディアが日本を席巻してしまいかねません。やはり日本発のメディアで情報を発信していかないと、日本の情報を正確に伝えるのは難しいと思います。そういうメディアプラットフォームを作って、日本の情報を広げるお手伝いができればと思っています。
再生数は開始半年で月3500万を超えました。世界的には月1億を超えると、存在感のあるサービスと言われます。2016年の早い時期に、それを目指します。
自社メディアのブランディングには、まだ時間がかかりそうなので、まずはfacebook、twitter、YouTubeといった外部のプラットフォームやテレビの地上波、紙媒体も含めて、トータルでブランドを作っていくのが目標です。さまざまなところでC Channel発の情報が目に入るようになればいいなと思っています。
日本テレビに入社当時は、コンピューター関連部署と言っても、まだインターネットもデジタルという言葉もなかった時代。担当したのは選挙速報の仕組みや視聴率の分析といった、テレビ番組の支援でした。6年経って辞表を出したのですが、成果を出していたこともあり、「好きなことをやっていいから」と慰留され、新規事業の部署に異動することになりました。
そこではインターネット事業、衛星放送、海外展開など一通り経験し、それなりに結果を出しましたが、当時のTV局にとっては地上波がメイン。それ以外はほとんど重要視されないという状況は変わらず、「もっと積極的に新規事業を展開できる環境を」と考えソニーに転職しました。
ソニーではテレビやオーディオをネットにつなげる部署に配属されました。まだiPodもカメラ付き携帯もない時代に、最初に手掛けた事業は、音楽プレーヤー兼カメラ付き携帯で、女性向けのピンク色のヨコ型端末。まだソフトエンジニアがほとんどいなかった社内で、ネットとハードをつなぐような提案が相当叩かれた末、社長交代に絡む社内政治の影響で、あっけなくプロジェクトはお取り潰しになりました。
次に移ったのはネット専用のカンパニーで、そこでジョイントベンチャーを立ち上げました。動画配信の事業が主で、韓流ドラマのブームは、その部署の仲間が配信した『秋の童話』というドラマが火付け役です。私自身は横浜ベイスターズの野球中継や、パックンマックンのマックンを起用した英語企画、アスキーと組んだインターネットラジオなど、いろいろな事業を仕掛けました。
私たちの部署はうまくいっていたのですが、ソニー全体の業績が悪くなってきて、ネット事業はムダではないかという空気が漂います。次第に閉鎖された周りの部署にいた人々が私たちの部署に出向するようになってきました。彼らはそれなりに肩書を持っているので、いろいろ口を出すわけです。そこで「大企業で成果を出しても、あまり報われない。それならベンチャーで苦労したほうが、意味がある」と考え、NHNJAPAN(現LINE)に移りました。
LINEでの話は拙著『シンプルに考える』(ダイヤモンド社)に詳しく書きましたが、当時まだ社員30人くらい、しかも赤字のベンチャー企業をなぜ選んだか。その理由を一言で言うと、これからはブロードバンドの時代が来ると確信していたからです。
「どうしたら、そんなにアイデアが浮かぶのですか?」という質問をよくされますが、私は常に「既に世の中にあるものを、私たちがやったらもう少し良くなるのでは?」という視点で捉えています。
例えば私は20代の頃、周りから“歩くぴあマップ”と呼ばれるほどお店に詳しくて、いつも街をスキャンするような感覚で「この通りにはこういう店があって、こういう人が歩いていて」みたいなことに興味がありました。そしてそこに変化があると、その先には何があるのか。そういう想像をよくしていました。私は常に世界中の新しいビジネスを追いかけていましたが、「この先何が来るのか?」を考えたり、時代の最先端にいたりするのが好きなのだと思います。
今、母校の筑波大学で起業の授業を担当していて、若者と接する機会も多いのですが、残念ながら若い人たちの意識の中で、未来が暗く見えていて、挑戦するよりは守りに入ったほうがいいのでは、というムードも感じます。
「新しいイノベーションで、これから日本を元気にするのはどういう会社ですか?」と聞くと、ほぼ100%がベンチャー企業に手を挙げます。「では自分が就職したい会社は?」という質問には、今度はほぼ100%が大企業と答えます。私はそこに大きな矛盾を感じていて、「あなたたちは日本を変えたくないのですか?」というような話をよくします。
私自身は常に新規事業を手掛けてきたので、生き方も新規事業志向みたいなところがあるのかもしれません。目指したのは、より成長事業で、社会にとって意味がある分野。日本テレビからソニーに移った時は、デジタルメディアの時代が来ると思っていましたし、NHNJAPANに移った時は、次はブロードバンドの時代だと思っていました。
LINEを辞めた時も、日本を元気するプロジェクトを、やりたい、次はメディア変革の時代が来ると思い、CChannelを立ち上げました。多分その判断は間違っていなくて、確実にモバイル動画の時代は来ると思います。その中で成功できるかどうかは、私たちの努力次第です。
もっと言いますと、伸びている分野・産業に入るとき、そこには成功も失敗もありません。伸びている産業で生きるということは、自分が成長するということです。たとえ入った会社が失敗したとしても、その業界で一生懸命勉強すれば、確実に自分の価値は高まるからです。
ビジネスは突き詰めると社会貢献です。人は自分にとって価値のあるモノにしかお金を払いません。そのためには「愛せるか、愛せないか」が重要になります。そして社会で意味のあるものが、長期的に愛されていきます。それは「いいもの」というだけではダメで、タイミングとか運が大事です。
その運とは何かというと、社会から応援されているかどうか。自然淘汰と一緒で、いつまでも受け入れられるものとは、生態系の中で受け入れられるものです。情熱を持って、社会に貢献できる価値を具現化できる人、日本の未来を明るく見せてくれる人と、ぜひ一緒に仕事で苦労したいと思います。
一番印象的だったのは「ソニーからの転職は(LINEの前身である)ハンゲームジャパンを選んだというより、インターネットという市場をこれからのステージとして選んだ感覚」というお話。「会社」ではなく「市場」を選ぶ。これは転職のみならず、新卒就活においても、会社を選ぶ際の、ひとつの基準にできそうですね。巻頭を飾るにふさわしい、明確なメッセージを頂きました。
1967年、神奈川県生まれ。1989年筑波大学卒業後、日本テレビ放送網株式会社へ入社。1999年、青山学院大学大学院国際政治経済学研究科修士課程を修了しMBA取得。その後ソニー株式会社に入社。2003年、ハンゲームジャパン株式会社に入社、取締役を経て、2006年10月、取締役副社長に就任。2007年10月、NHN Japan株式会社(ハンゲームジャパンより商号変更)代表取締役社長に就任。同年11月、ネイバージャパン株式会社設立に伴い、ネイバージャパン代表取締役社長を兼務。2013年4月、NHN Japan株式会社の商号変更により、LINE株式会社代表取締役社長に就任。2015年3月、同社代表取締役社長を退任。同年4月、C Channel株式会社代表取締役に就任し、現在に至る。
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